何週間、何ヵ月と困難な生活が続いた。住民は食料や衣類、おむつを見つけるだけでなく、それを買うお金を見つけるのにも苦労した。なぜなら、停電でクレジットカードシステムが使えなくなり、銀行の店舗が浸水してATMも壊れたため、現金を手に入れる術がなかったからだ。

 この絶望的状況の中、1899年に創業したミシシッピ州ガルフポートの地方銀行、ハンコック銀行の従業員が取った対応は秀逸であった。

 カトリーナの直後、銀行の従業員たちは、自身の生活もままならなかったにもかかわらず、ハリケーンの壊滅的被害を受けた約40店舗の支店の床、棚、金庫、それに浸水した地元のカジノの残骸をあさった。濡れて泥だらけになった現金をすくえるだけすくい、ビニールのゴミ袋に詰めた。そして、洗濯機と乾燥機を発電機につなぎ、アイロン台をいくつも並べて、現金を丁寧に洗い、アイロンがけした。文字通り、お金を「洗浄」したのだ。

 次に、店舗の外に折りたたみテーブルとタープを設置し、現金を求めてやってきた人全員にそれを配布した。住民は持ち物をすべて流されてしまったため、身分証を持っている人はほとんどいなかった。システムが使えないので、従業員は、紙切れに各自の名前、住所、社会保障番号と「引き出し額」を記録した。

 この間に合わせの営業で、ハンコックは洗浄した現金を4200万ドル配布した。ある詳細記事に書かれているように、これは「マフィアのボスが誇りに思うような」シーンだった。

 この機転と人情あふれる草の根の行動を、銀行も顧客も誇りに感じたのは間違いなかった。なぜなら、配布した現金の99.5%以上がハンコックに戻ったからだ。その結果、銀行の預金額と資産は急増した。顧客や、顧客でなかった人がお金を返しに店舗に来ては、感謝のあまり口座を開き、預金額を増やし、自動車ローンや住宅ローンを契約した。

 あるオーラルヒストリープロジェクトの取材を受けたハンコックのジョージ・シュローゲルCEOは、その姿勢は「必要なときに、そこにいてくれた。だからマイバンクにする」というものだったと述べている。ハリケーンの翌年、預金額は15億ドル増加した。

 ハンコックは、このサービス精神と信頼の行動に基づき、その事業戦略をさらに強化した。ハンコックはそれまでも、避けようのない自然災害に真剣に備える、自社の社風に誇りを持っていた。しかしカトリーナ以降、「最後まで営業し、最初に営業を開始する」という経営理念をブランド・アイデンティティの中心に据えた。

 ハリケーン発生から10年後、銀行幹部はナスダック株式市場の取引開始セレモニーに招かれ、湾岸地域の底力と「最悪の日々」における従業員の行動を祝した。