既存の医療システムにおける弱点

 米国の医療システムが抱える主たる弱点としては、たとえば以下の点を挙げることができる。

 ●プロセスイノベーションがプロダクトイノベーションほど重んじられていない

 米国の医療システムでは、新しい治療法が続々と誕生し、現場での導入も進んでいる。その多くは、きわめて画期的なものだ。

 これはたしかに素晴らしいことだが、それと同じくらい重視されるべきことがほかにある。それはプロセスイノベーションである。プロセスイノベーションは医療提供のあり方を少しずつ、着実に変えていく力を持っている。

 プロセスイノベーションはその性格上、どうしても漸進的にしか進まない。長期間にわたり実践され続けてはじめて、劇的な変化が生まれる。しかし、この種のイノベーションが実現しなければ、医療の現場でミスが蔓延し、医療に携わる専門職が連携できず、停滞が続く。

 医療の現場でチェックリストの活用が進まないことは、その典型だ。チェックリストの有効性が明らかになっている状況でも、そうした仕組みの開発と採用に消極的な傾向がある。

 医師で著述家のアトゥール・ガワンデはチェックリストについて記した文章で、チェックリストを通じてプロセスイノベーションを普及させることの難しさを指摘している。中心ラインの挿入など、標準的処置についてチェックリストを設けることが、感染症の発症を減らすうえでほぼ100%有効だとわかっている場合でも、チェックリストの導入は簡単でないという。

 医療に関わる人たちは全般的に医療の質を向上させる意欲を持っているが、プロセスイノベーションへの支持が広がっていないために、実際には医療の質が高まらなかったり、ひどい場合はむしろ医療の質が低下したりしている。

 ●労働力が効率的に活用されていない

 医療システムを機能させるためには、高度な訓練を受けていて、高い報酬を支払われている医療従事者が不可欠だ。ただし、医療現場のあらゆる業務で、最高レベルの訓練を受け、高度な資格を持ったスタッフが必要とされるわけではない。

 ところが実際には、政府の規制や職業上の制約により、高度な資格を持った人物が、そこまで高度な専門技能を必要としない業務に忙殺されているケースが多い。その結果、現場では医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの専門職の人手不足が起きている。

 この問題は、コロナ禍でもさまざまな局面で浮上している。多くの地域では、ワクチン接種を行う臨床医が足りていない。検査などの業務に当たる公衆衛生の専門家が不足しているケースも多い。また、交通手段、食料、住宅へのアクセスなど、健康に関連のある重要な社会的ニーズに対処する人材も十分とは言えない。

 ●「既知の未知」の問題に十分備えていない

 ワクチン開発に向けた取り組みは、たしかに素晴らしいものだった。途方もない数の人たちが力を合わせて、空前の短期間で、複数の種類のワクチンを開発し、臨床試験を行い、生産までこぎつけた。

 しかし、そのような取り組みがなされる一方で、実際に人々の腕にワクチンを注射するという、ワクチン計画の最後の段階については十分な関心が払われてこなかった。たとえば、ほとんどの人は自分の順番が回ってきた時、どのように接種を受けることになるのかを知らない。

 たしかに、ある地域に、ある層の人々のためのワクチンがいつ届くかは、正確に把握できていない場合もある。しかし、いずれはワクチンが届くことはわかっている。それなら、どうしていまの段階でワクチン接種の準備をしないのか。というより、本当は3カ月前の時点で準備しておくべきだったのではないか。

 このように「既知の未知」の問題、つまり、問題が存在すること自体はわかっているけれど、その問題について具体的にはわかっていない問題への備えが十分でないという状況は、プロジェクトマネジメントの失敗と言ってよい。この種の状況は、米国の医療システムでしばしば見られる。

 その典型例としては、複数の疾病を併発している患者への医療ケアの調整不足を挙げることができる。このような患者への医療費拠出は、米国の医療費のかなりの割合を占めている。こうした患者はたいてい、多くの医療機関を受診しなくてはならず、医療の計画と調整が不十分だとコストが跳ね上がり、医療の質が下がる。

 このこと自体はよく知られているが、質の高い医療を効率的に提供する方法を明らかにすることは、依然として難しいままだ。ただし最近は、一部の医療機関がいくつかの有望なモデルを導入し始めている。

 ●必要な人に医療が提供されていない

 医師による往診は、50~60年前にはけっして珍しいものではなかったが、今日ではほとんど見られなくなった。そのため簡単な医療行為だけで十分な場合でも、患者は医療機関まで足を運ばなくてはならない。

 たしかに、薬局に併設されているリテールクリニック[編注]で扁桃炎の検査を受けたり、インフルエンザの予防接種を受けたりすることは可能になった。現在は、老人ホームで新型コロナウイルス・ワクチンの接種を行うことも許されている。それでも、交通手段などの社会サービスに十分アクセスできないせいで困窮している人たちなど、多くの人がいまもごく当たり前の医療を受けられずにいることも事実だ。

 しかも、このような格差を埋めるのに役立つはずのテクノロジーも活用されていない。貧困層や高齢層には、インターネットを利用できず、オンライン診療を受けられない人が少なくない。

 このことはよく知られているが、問題はそれだけではない。一部の医療保険会社がオンライン診療を支払い対象に含めたがらないことや、州レベルの医師免許制度により、医師がほかの州で診療を行うことが制限もしくは禁止されていることも問題だ。これらの制約はコロナ禍で緩和されているが、感染が落ち着いたあともそれが続くのかはまだわからない。

 テクノロジーが十分に活用されていない例としては、電子健康記録(EHR)システムも挙げることができる。この10年ほどの間にEHRシステムの導入が大きく進んだことにより、医療データの蓄積と、医療機関同士もしくは患者と医療機関の間での円滑な情報共有が前進すると言われていた。情報共有の狙いは、医療機関同士の協働と調整を促進すると同時に、検査の重複などの無駄をなくすことにあった。

 今日、多くの医療機関は、患者ポータルをつくって患者とのコミュニケーションを促進し、少なくとも同じ医療機関に属する医師同士が患者の情報を共有することは、ごく当たり前のことになった。

 だが、問題点はまだ多い。EHRシステムへのデータ入力が医師の業務負担を増やし、燃え尽きを助長している。医師の間では、システム上で必要なデータを見つけるのが非常に難しいという不満も聞かれる。また、医療機関が医療の質を向上させることよりも、収益を最大化させるためにEHRシステムを用いているとの批判もある