境界体験
境界体験は不安をかき立て、混乱を引き起こす反面、効果的な内省や発見、時には再生さえ可能とする機会をもたらす。このような機会を最大限に活かすためには、まずこの経験によって人々がいかに多様な衝撃を受けたかを知る必要がある。
コロナ禍は誰にとっても境界体験であり、全員が協働することでここまで乗り切ってきたといえる。ただし当然だが、一人ひとりがたどった道筋は千差万別だ。他の人よりも、かなり大変な思いをした人もいる。
この試練の時が、同じ会社に勤める人たちの間で、いかに異なる展開を示したかを考えてみよう。
●CEO
ロックダウンが始まった時、カートは市を一望するオフィスの角部屋を離れ、海が見える週末用の小別荘に移動した。
ロックダウンの最初の1カ月間、彼は自分の強みを活かすことができた。アドレナリンのおかげで自分自身と会社に対する自信にあふれ、社員を導いて見事な転換を遂げた。世界屈指の顧客サービスを中断することなく提供し続けたのだ。
しかし、コロナ禍が長期化するにつれ、カートは珍しく将来にも自分の会社にも、そしてみずからに対しても確信が持てずにいることに気づいた。
コロナ禍以前、カートのメンタルヘルスは身体的な健康と同じく、常に安定していた。だが、数カ月が経過するうち、同僚たちから遠く離れた別荘でカートは孤独を感じ、自分が苦闘していることを認識した。その間、パートナーたちやスタッフは、カートに対して安心させてくれるような言動を求めてきた。
そこでカートは、同僚に向けて週1回のブログを綴り始めた。当初は極めて事務的なトーンだったが、時間が経つにつれてトーンは変わり始めた。
そしてある週、カートは自分が本当はどう感じているかについて書いた。彼はそれを投稿した直後に後悔したが、数分もしないうちに友人や同僚、面識のなかった社内の人たち、世界中のあらゆるレベルの人たちからメッセージが次々と寄せられた。皆が支援を申し出てくれた。自分の身の上話を聞かせてくれる人もいた。
カートは、CEOという役職からはうかがい知れない素顔を、ちらりと見せた。驚いたことに、多くの人々がそれに好感を抱いたようだった。同僚たちが変わったのかもしれないし、ちょうど彼らも不安を感じていた時だったのかもしれない。
●パートナー
シェリルは同社の中で最年少のパートナーだった。カートがメンターとして彼女を見事に指導してきた証でもあった。
シェリルのビラブルアワー(クライアントに支払いを請求できる時間)は、常に並外れて多かった。慎重に計画を立てて、一所懸命働きさえすれば不可能なことはないというのが、これまでの人生でシェリルが学んだことだった。
彼女のチームは全員が有能で、結婚生活はうまくいき、2人の素晴らしい子どもがいて、郊外に大きな家を持っていた。同社の典型的な「不安にかられた頑張り屋」そのものだと同僚たちが言うと、彼女は笑って答えた。「不安にかられたって誰のこと?」
しかし、新型コロナウイルスは彼女の計画にはなかったことで、コントロールできないことだった。コロナ禍に見舞われてそれほど経たないうちに、住み込みのベビーシッターは故郷に戻り、彼女の夫は職を失って鬱に陥った。
それらに対処すべく、シェリルはそれまで以上に懸命に働き、自分とチームのビラブルアワーを維持し、家事をこなし、在宅で授業を受ける子どもたちの勉強も見た。やがて、彼女の父親が新型コロナウイルスに感染して亡くなった。シェリルは自分の支えがなくなったように感じた。
仕事にいっそう打ち込むことで、シェリルは事態を乗り切ろうとした。疲労とストレスで時々打ちのめされたように感じ、こんな調子であとどのくらい仕事を続けられるか、そもそも仕事を続けるべきなのかと、悩み始めた。
●アナリスト
アジャイは、ロックダウンのさなかに入社した。大卒者向けの名誉ある研修プログラムに参加できたことを誇らしく思い、興奮していた。
平時であれば、会社の素敵なオフィスの一つで、同じ研修プログラムに参加する同僚たちに囲まれ働き始めていたはずだった。その代わりに、彼は街中のワンルームのアパートにこもって孤独に仕事していた。
同僚とのズームでのやり取りでどのように振る舞うべきか理解しようとしたが、暗黙の重要なメッセージを見逃しているのではないかと案じた。どんな間違いも犯してはならないことはわかっていた。同期との競争は激しかった。彼の上司であるシェリルは思いやりを示そうとしていたが、人事部が書いた台本を読んでいるだけのように聞こえた。
アジャイは、自分が幻滅してやる気を失いつつあるのを感じた。彼はそれを食い止めようと、デジタル環境でチームがうまく働くための提案を始めた。すると、シェリルは案のいくつかを採用しただけでなく、もっと案を出すようにと要請した。自信を得たアジャイは、自律的に働くことの自由を楽しんでいることに気づいた。