本連載では『ハーバード・ビジネス・レビュー』を支える豪華執筆陣の中から、特に注目すべき著者を毎月一人ずつ、東京都立大学名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選します。彼らはいかにして、現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会として、ご活用ください。本稿では、ハーバード・ビジネス・スクール教授のリン S. ペイン氏についてご紹介します。

企業倫理と優れた業績を両立する
リーダーシップとガバナンスを研究

 リン S. ペイン(Lynn Sharp Paine)は1950年生まれ、現在71歳。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のベイカー財団寄附講座教授、およびジョン G. マクリーン記念講座名誉教授を務める。またHBSの国際開発担当のシニア・アソシエイト・ディーンも兼務する。

 ペインはこれまで、HBSのゼネラルマネジメント・ユニットに所属し、同ユニットの代表やFD(ファカルティ・ディベロップメント)活動のシニア・アソシエイトディーンを担当した。また、HBSの必須科目であり、ペインが共同設立した「リーダーシップと企業の説明責任」の代表も務めてきた。

 主な研究分野は、企業倫理と優れた業績を融合させる経営者のリーダーシップとガバナンスである。企業倫理のケーステキストとして、Cases in Leadership, Ethics, and Organizational Integrity, 1996.(邦訳『ハーバードのケースで学ぶ企業倫理』慶應義塾大学出版、1999年)を執筆するなど、複数の著作がある。

 ペインは1971年、伝統ある女子大学のスミス・カレッジを最優秀な成績(summa cum laude)で卒業し、オックスフォード大学の博士課程に進学すると、道徳哲学の博士号を授与された。米国に帰国後、ペインはハーバード・ロー・スクールで学び、法学の学位を修得したのち、マサチューセッツ州弁護士会に所属して、ボストンにあるヒル・アンド・バーロウ法律事務所で実務経験を積んだ。

 なお、1976年にヘンリー・ルース財団から奨学金を受けて、台湾の国立政治大学に1年間在籍し、在外研究を行っている。HBSのファカルティメンバーとなる以前には、ジョージタウン大学マクドノー経営大学院やバージニア大学ダーデンスクール・オブ・ビジネスで教鞭を執った。

 ペインは現在、MBAプログラムで「コーポレートガバナンスと取締役会の役割」を、エクゼクティブ・プログラムで「取締役会の有効性を高める方法」「取締役会で女性が果たす役割」「取締役になるために準備すべきこと」「グローバル・ビジネスをリードする」をテーマとする講義を担当している。また、中国でアドバンスド・マネジメント・プログラムやシニア・エグゼクティブ・プログラムを、アフリカでシニア・エグゼクティブ・プログラムを担当するなど、幅広く活躍している。

 ペインはHBSの全学的な活動にも参加している。倫理問題に関する教育と研究を行うために、倫理的推論と市民的議論の健全な規範を促進して、公益のためにコミュニティ活動の成果を共有することを目指す団体エドモンド J. サフラ倫理センターのファカルティ・アソシエイトを務める。

企業の行動規範における
ガイドラインを策定する

 ペインは『ハーバード・ビジネス・レビュー』(Harvard Business Review、以下HBR)に寄稿した、“Up to Code: Does Your Company’s Conduct Meet World-Class Standard?” with Dohit Deshpande, Joshua D. Margolis and Kim Eric Bettcher, HBR, December 2005.(邦訳「GBSC:企業行動規範の世界標準」DHBR2006年3月号)の中で、主要な行動規範の分析を通じて、包括的かつ簡略なガイドラインである「グローバル・ビジネス・ガイドライン」(GBSC)を提示した。

 行動規範とは、企業に要求される行動に関して、ステークホルダーにいかに倫理的に対応すべきかを具体的に記述したものだ。行動規範の策定と遵守は、企業が経済活動を行ううえで不可欠な課題である。

 米国では2004年、ニューヨーク証券取引所とNASDAQが、公開企業に行動規範の導入と開示を義務づけた。さらにサーベンス・オクスリー法(SOX法)は有価証券を発行する企業の経営陣が行動規範を遵守し、その状況の開示を義務づけた。

 米国企業ばかりでなく、世界各国で企業活動を監視するガイドラインが生まれた。たとえば、国連の「グローバル・コンパクト」や「グローバル・ビジネスに関する消費者宣言」がある。欧州委員会は、企業に行動規範の有効性を訴え、「ILO基本条約」と「OECD多国籍企業ガイドライン」の導入を推進してきた。

 GBSCでは対象とするステークホルダーを、顧客、従業員、投資家、競合他社、サプライヤーとパートナー、一般市民の6つに分類して、共通する特徴を抽出した。さらに、これまでに盛り込まれた要素を倫理上、法規上の概念を集約し、それぞれの関連性から8つの基本原則に基づき、行動規範のガイドラインとしてGBSCを作成した。8つの基本原則とは、(1)受託者義務の原則、(2)財産権の原則、(3)信頼性の原則、(4)透明性の原則、(5)尊厳の源泉、(6)公平性の原則、(7)市民性の原則、(8)応答性の原則、である。

 GBSCは、各企業が既存の行動規範を再検討する場合、あるいは新たな基準を作成する場合のリファレンスとなるために作成されたものであり、この規範に従うことで、企業の評価をより高める可能性があると、ペインらは主張した。

社会的責任を果たすために
取締役会は何をすべきか

 多くの企業が、企業の社会的責任(CSR)の重要性を認識するようになった。しかし、重大な事件や問題が発生した場合、その対応のほとんどはCEOによる一時的な弁明で終わり、持続可能性を念頭に置いた長期的な方針を打ち出すケースは少ない。

 ペインは、“Sustainability in the Boardroom,” HBR, July-August 2014.(邦訳「ナイキのCSR活動:取締役会が果たす5つの役割」DHBR2015年1月号)の中で、ナイキの取り組みを紹介している。

 ナイキの1996年の株主総会では、アジアの下請け工場における労働問題(奴隷並みの賃金、強制的な時間外労働、職権乱用)が取り上げられ、大きな批判を浴びた。この出来事を契機に、同社は社会・環境問題をテコに革新を図る組織にいち早く脱皮している。

 ナイキによる取り組みの中でも2001年、企業の持続可能性を進める社会的責任委員会を取締役会に設置したことは、注目に値する。米国の公開企業でこうした委員会を設置している企業は、わずか10%にすぎない。

 ペインによれば、取締役会に社会的責任委員会のような委員会があることで、(1)知識と専門性の提供、(2)世論の代弁と建設な批判、(3)説明責任の担保、(4)イノベーションの発揚、(5)取締役会の支援という、5つの役割が期待できるという。

 ナイキにおける社会的責任委員会の創設には、スミス・カレッジの学長を務めて、1987年にナイキの取締役に就任したジル・カー・コンウェイが重要な役割を果たした。創業者のフィル・ナイトは、ナイキに創業直後の10年間のような勢いを取り戻すために、取締役会に新鮮な発想と多様な経験を持つ人物を迎えようと努め、その一環としてコンウェイを招聘し、それが知識と専門性の提供につながった。

 委員会の議論の過程で経営陣のよい面と悪い面を浮き彫りにして、コミュニケーションや実行にまつわる重要な課題を指摘することは、世論の代弁と建設的な批判を実現する。また、ナイキが社会的責任委員会の設置後に最初に取り組んだことは、同社初となる社会的責任報告書の発行の監督であったが、これは説明責任の醸成につながったという。

 このようなテーマは、個別の委員会ではなく取締役会が扱うべきだという主張もある。しかし、全米取締役協会が実施した調査によると、取締役会の優先課題になるような20ほどのテーマの中で、全企業の社会的責任は10年間で一貫して最下位を争っていた。ナイキの幹部たちは、労働問題が取締役会で熱心に論じられるようになったのは、社会的責任委員会が設置されてからだと語っている。

 ペインは、企業の社会的責任や持続可能性をめぐる課題が、これまで以上に重大になる恐れがある中、取締役会とその下部委員会が果たすべき役割について議論を始めるとともに、そのための解決策のひとつとして、取締役会に社会的責任委員会を設置すべきかどうかを検討すべきだと主張した。

市場資本主義の脅威に
リーダーはいかに対処すべきか

 1908年に設立されたHBSは、2008年に100周年を迎えた。そこでジェイ・ライト学長(当時)の提案で、ビジネスリーダーとして活躍するHBS卒業生を母校に招き、市場資本主義の未来をテーマに次の100年に向けた議論をする「100周年記念グローバル・ビジネス・サミット」(Harvard Business School’s 100th anniversary Global Business Summit)が開催された。

“Global Capitalism at Risk: What Are You Doing About It?” with Joseph. L. Bower and Herman B. Leonard, HBR, September 2011.(邦訳「企業こそ市場資本主義の救世主である」DHBR2012年5月号)は、市場資本主義に対するさまざまな脅威にいかに対処すべきかについて、産業界や政府のリーダーと議論した内容を分析して、まとめたものである。

 サミットが開催された2008年は、世界的な金融危機となったリーマンショックが発生した年である。その事象を踏まえて、市場資本主義の根幹を成す市場システムを破壊するさまざまな要因が議論された。具体的には、金融システムの脆弱性、世界貿易の破綻、不平等とポピュリズム、環境悪化、国家資本主義の台頭、病原体の進化とパンデミックなど11項目を取り上げ、相互に関連性を持つことから「市場資本主義の生態系」としてまとめている。

 市場システムを破壊する要因に対するビジネスリーダーの立場は、「従来通り」「傍観者」「革新者」「活動家」の4つのいずれにかに該当した。そのうえでペインらは、ビジネスリーダーは革新者や活動家として、市場資本主義の機能の改善に向けて広範囲にわたる変革を主導し、「リーダーとしてのビジネス」を実践すべきだと主張する。

 彼らがいうリーダーとしてのビジネスとは、2つのことを指す。第1に、新たなテクノロジー、製品、プロセス、デザイン、流通システムなどのイノベーションに加えて、戦略とビジネスモデルのイノベーションを起こすことだ。第2に、地域的なレベルでの政策への関与と、グローバル金融システムのさらなる透明化の推進のように、より広範なシステムのレベルの両方で積極的な行動を取ることである。

 この論文では、リーダーとしてのビジネスを実践する企業の事例として、政府の郵便制度よりもさらに奥深い地域の村落まで達する流通システムを構築した中国移動(チャイナ・モバイル)と、発展途上国が抱えるエネルギー、医療、交通などのインフラニーズに効率的に対応する「スマーター・プラネット構想」を掲げたIBMの事例を紹介している。

 ペインらは、大企業が社会的な課題に注目し、それを新たなチャンスとしてとらえて経営資源の再配置をすれば、多くの課題は解決できる可能性があるという。そして企業が率先して市場システムの破壊的要因を排除する行動をとらなければ、市場システムそのものを失うことになる、と主張した。

 なお、この論文で展開された議論の詳細は、Capitalism at Risk: Rethinking the Role of Business, 2011.(邦訳『ハーバードが教える生き残る会社、消える会社』徳間書店、2013年)として上梓されている。同書の内容を正確に表現するならば、『資本主義の未来―次の100年に向けた企業の役割を考える』であろう。

コーポレートガバナンスを
株主中心から企業中心に転換する

 ペインは同じく資本主義をテーマに、“The Error at the Heart of Corporate Leadership,” With Joseph L. Bower, HBR, May-June 2017.(邦訳「健全な資本主義のためのコーポレートガバナンス」DHBR2017年12月号)を寄稿し、極端な株主価値至上主義の問題を取り上げている。

「経営の目的は株主価値の最大化である(べきだ)」という発想は、広く受け入れられている。しかし、企業が社会的な課題の解決に向けて経営資源を再配置することが、株主価値の最大化と矛盾する場合も少なくない。

 経営者の目的が株主価値の最大化であるべきだという根拠は、企業の所有者は株主であり、経営者は所有者の代理人であり、取締役会はそれが確実に履行されることを監督する役割を担うという「エージェンシー理論」にある。この理論は、経済学者により1970年代に提唱された新しいガバナンスのモデルだ。

 企業が一様にエージェンシー理論に厳格に従うようになると、目先の利益向上への重圧がいっそう強まり、R&Dや人材育成への投資が絞られ、イノベーションや持続可能性をもたらす社会的な発展が抑えられることになる。

 ペインらはエージェンシー理論の誤りとして、次の5つを指摘した。(1)法律上、株主は「所有者」としての権利を有さず、経営者は株主の「代理人」ではない、(2)株主は伝統的な所有者の概念に当てはまらず、企業経営に関心を寄せるインセンティブがない、(3)株主は、企業の活動に関して所有者としての責任を持たず、企業利益を守る責任も負わないので、モラルハザードに満ちている、(4)経営陣と株主の利益を一致させるべきだとする原則は、経営陣の視野を狭める、(5)株主の目的はさまざまであり、十把一絡げに「所有者」として扱うのは難しい、と主張した。

 コーポレートガバナンスには、株主中心と企業中心の2つの考え方があるが、よりよい理論は企業中心であり、目先の株主利益よりも事業体の健全性を柱に据えている。そのような理論は、「企業とは独立体であり、法によって永遠に存続する可能性を付与されている」という認識から出発するとして、ペインらは「企業とは何か」をあらためて考えるうえで、以下のような8つの命題を掲げた。

(1)企業は複雑な組織体であり、効果的に機能するためには優秀なリーダーとマネジャーが必要とされる。
(2)企業は、学習と適応の能力を持ち、折々に自己革新を遂げない限り、長期的に繁栄することはできない。
(3)企業は社会においていくつもの役割を果たしている。
(4)企業の目的とそれを達成するための戦略はまちまちである。
(5)企業はさまざまな利害関係者のために価値を創造しなくてはならない。
(6)企業は、株主や社会全般のほか、あらゆる利害関係者との交流の指針として、倫理基準を設けなくてはならない。
(7)企業は政治・社会経済システムに組み込まれており、長く存続するためにはそれらシステムの健全性が必須である。
(8)企業の利害は、特定の株主や顧客の利害とは異なる。

 企業は見識ある経営と合理的な規制の下では、絶えざる変化への社会の順応を後押しするという、有用な役割を果たしうる。そのためには、経営陣が有限責任しか持たない株主の代理人ではなく、十分な裁量を与えられ、長期的で幅広い視点を持つことが不可欠だと、ペインらは主張した。

米国企業は株主至上主義から決別できるのか

 2019年8月、米国の主要企業が参加する財界団体ビジネス・ラウンドテーブル(BR)は、株主価値の最大化を企業の唯一の目的とする株主至上主義からの決別を宣言する「企業の目的に関する声明」を発表した。

 ペインはHBRのウェブサイトであるHBR.orgに、“CEO Say Their Aim Is Inclusive Prospective. Do They Mean It?” HBR.org, August 22, 2019.(邦訳「米国トップ企業による『包摂的な繁栄』宣言は本物か」DHBR.net2019.09.19)を寄稿し、この声明の実現性を疑問視する論を展開している。

 その理由は、第1に、この声明が企業に行動を呼びかけるのではなく、1997年の同様の声明を引用して、CEOの仕事の定義をアップデートしたにすぎないこと、第2に、声明を実行に移すためにコーポレートガバナンスや経営手法をどのように変更すべきかへの言及がされていないこと、第3に、多様な5つのステークホルダー(顧客、従業員、サプライヤー、コミュニティ、株主)の利益にどう優先順位つけてどのように調整するかという重要な問いに答えていないこと、第4に、株主至上主義のヘッジファンドやプライベートエクイティなどの投資会社の署名者が少ないことだ。

 ペインは、インクルーシブな繁栄や持続可能な資本主義など、米国の企業経営に重要な変革を本気で起こし、資本主義への不満拡大に歯止めをかける持続的な努力の第一歩なのか、それとも一度きりの努力なのかを見極めるのは、時期尚早であると主張する。

新型コロナウイルスの感染拡大が
取締役会の役割を変える

 ペインは、“Covid-19 Is Rewriting the Rules of Corporate Governance,” HBR.org, October 06, 2020.(邦訳「コロナ禍は企業統治のルールを書き換えつつある」DHBR.net2020.11.30)を通じて、コロナ禍で取締役会が直面する課題と、コロナ終息後の取締役会の役割が変化する可能性に言及した。

 前述のビジネス・ラウンドテーブルの「企業の目的に関する声明」では、5つのステークホルダーへの配慮を約束し、株主価値の最大化という株主最優先の姿勢からの転換の意思を示した。ペインは実効性の乏しさなどの問題点を指摘したが、コロナ禍では株主価値の優勢をますます主張しにくくなったことは確かである。

 取締役会の役割がどのように変わる可能性が高いかについて、ペインは、(1)利害関係者への配慮をもっと制度化する、(2)ビジネスと社会の関わりへの関心を強める、(3)報酬に関してこれまでより包括的なアプローチで臨む、(4)これまでより熟議を重んじて意思決定を行う、(5)取締役会の構成、人種と民族ごとの割合にもっと関心を払う、という5つの点を指摘した。

 たとえば、さまざまな利害関係者の利害がトレードオフの関係にある状況で、取締役会がそれぞれのグループに対する義務を守り、自社の長期にわたる健全性を維持できる形で状況に対処するためにも、これまでより積極的な役割を果たし、利害関係者への配慮をもっと制度化すべきだと主張する。

 それを目指すうえで欠かせないのは、すべての取締役が自社の目的と戦略について共通の理解を持ち、誰を自社の利害関係者と見なすか、そして、そのそれぞれに対して自社がどのような責任を負っていると考えるかの判断基準を共有することだ。

 これまで取締役会は、株主の利益に関する議論が中心であった。すべてのステークホルダーを尊重していると言うが、自社がそのような責任を果たせているかを監督したり、株主以外の利害関係者との関係でどのくらいの成果を残せているかを把握したりするための仕組みを設けていない。

 コロナ後の時代には、取締役会の監督・意思決定プロセスで、利害関係者(特に社員)の視点と声を尊重するよう求める圧力が強まるだろう。自社がすべての利害関係者との関係で好ましい行動を取っていると示すことも求められるようになるとペインは言う。

 ペインは、それ以外の4つの指摘も踏まえたうえで、企業の取締役会は、新しい課題に対処する能力をどの程度持っているかを自己点検し、足りない部分があれば、それを埋めるための計画を立てるべきだという。取締役たちが取締役会の、そしてひとり一人の取締役の役割と責任について共通の認識を抱くことを目指さなくてはならないと主張する。