イノベーションは大企業自らが起こす

早稲田大学大学院 経営管理研究科(ビジネススクール)教授
慶応義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。 三菱総合研究所で主に自動車メーカー・国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。Strategic Management Journal, Journal of International Business Studiesなど国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社)、『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社)がある。
入山:一方で最近、淺羽先生の研究を拝見しているとご関心がシフトされているようにも見えます。私は淺羽先生のファミリービジネスの研究はすごく面白いと思っているのですが、今はAMR論文のような競争戦略よりも、そちらにご関心が移られているんですか。
淺羽:ファミリービジネスの研究は10年以上前から取り組んでいて、最近その成果が少しずつ論文になってきているところです。たとえば、もしファミリービジネスのパフォーマンスが高い場合、何らかのファミリービジネスに特徴的な戦略や行動がその結果をもたらしているはずです。私は、専門の戦略論の視点から、その行動パターンや戦略を研究しています。
例えば私の最近の論文では、通常マーケット全体が停滞している時や変動が著しい時、企業は積極的な投資をしにくいのですが、ファミリービジネスの場合はあまり投資を減らさないということが明らかになっています。そのような投資を私は「我慢強い投資」と名付けて、その重要性を検証しています。
他にも、日本の製薬産業のデータをもとにした研究では、ファミリービジネスは、R&D投資は少ないけれど、効率よく技術を生み出している――つまり、イノベーションの生産性が高いということも提示しています。このような結果は、ファミリービジネスではない企業に対しても、「良い経営というものは何か」という示唆を与えてくれるのではないかと思っています。
ファミリービジネスに関する研究の多くは、既に論文にして学術誌に掲載されているので、現在はさらに違う研究テーマに取り組み始めています。
入山:そうなんですね。では、今重点を置かれている研究テーマは何ですか。
淺羽:いくつかあります。一つは、東大時代の博士論文を執筆した頃から取り組んでいる企業間の競争と協力から発展した、プラットフォーマーの競争戦略です。企業はライバルと戦うだけでなく、手を結んでプラットフォームをつくることもありますよね。
すでにプラットフォーマーの戦略については、良い研究書がいくつか出ています。それに対して私が興味を持っているのは、「メガプラットフォーマーへの規制はどうすればいいのか、その中で企業はどう競争していけばいいのか」という問題です。競争政策、競争法、競争戦略が融合した問題ですね。
入山:興味深いですね。
淺羽:もう一つは、イノベーションに関する研究です。最近はイノベーションの担い手としてスタートアップのような若い企業が重視され、実際にいろいろ興味深いスタートアップが生まれてきています。他方、大企業は企業者精神を抑制してしまうので、スタートアップと連携したオープンイノベーションが、大企業がイノベーションを生むために必要だとも言われていますよね。しかし、現実にはそういった連携はなかなかうまくいかないようです。
私は、「大企業はスタートアップなどの他社と組むだけではなく、やはり自分でイノベーションを起こすことが重要」だと考えています。
入山:大企業自ら独力でイノベーションを起こせ、ということですか。
淺羽:そうです。そんなの無理だと言う人もいるでしょう。けれど、さまざまな事業所や企業の統計を見ると、そうとも言えないんです。
たとえば、ナショナルイノベーションシステム(国家レベルでのイノベーションのパターン、それを支えるガバナンス、企業間競争、制度など)という視点で眺めてみると、アメリカはスタートアップがたくさん生まれ、イノベーションを起こすことで既存企業に置き換わっていく。その新陳代謝によって新しい産業が生まれ、経済が成長していく。一方日本では、スタートアップが少なく、いつまでも既存大企業が生き残っているのでイノベーションが起きないのだ、ということがよく言われますよね。いわゆるスタートアップ礼賛です。
しかし、実際にアメリカの企業を見てみると、時価総額上位100社の企業の創業年数は日本とあまり変わらないのです。比較的新しい企業であるGAFAが時価総額で圧倒的地位を占めているので、スタートアップばかりのように思われがちですが、スタートアップが多いわけで必ずしもはないんです。時価総額トップ企業のランキングからGAFAを除けば、むしろアメリカ企業の方が、歴史が古いくらいなんです。
入山:なるほど、面白い視点ですね! それは盲点でした。アメリカも実はGAFAが目立つだけで、本当は、価値を出している会社の多くは古くからある会社だという……。
淺羽:スタンフォード大学で、イノベーションの成長会計(生産性の伸びを、資本、労働のほかさまざまなイノベーションに分解すること)を研究している研究者がいます。アメリカの国勢調査の事業所レベルのデータを使って、どういったタイプのイノベーションを、どういった事業所が行うのかを調べているのです。古い企業、新しい企業、大きな企業、小さな企業、すごく革新的なイノベーションとマイナーなイノベーションなど、いろんなパターンに分けて、どれが一番経済成長に影響するかを分析しています。
ただ、データがアメリカの国勢調査なので、データの質があまりよくない。一方で、日本のデータは緻密で正確なことはよく知られています。だから、製品レベルで得られる日本の工業統計表のきめ細かいデータを使うと、もっと緻密な議論ができると思い、今そのデータ分析をしているところです。すると、日本経済の停滞の原因が、若いスタートアップ企業が出てこないからなのか、それとも既存大企業のイノベーションの生産性が落ちたからなのかが、はっきりするはずなのです。
入山:興味深いですね。淺羽先生のこの研究はまだ途中段階とのことですが、現在の感触では、日本の経済停滞の原因はどちらにあるのでしょうか。大企業なのか、スタートアップが出てこないからなのか。
淺羽:まだ最終的な結論は出ていませんが、大企業のイノベーションの生産性が落ちたから経済成長が止まったという発見が得られれば極めて面白いと考えています。
入山:もしそうだとすると、先ほどの話と符合しますね。アメリカでイノベーションを牽引しているのはGAFAを除けば既存の大企業。日本の経済が低迷しているのも、スタートアップが少ないからではなく、大企業が低迷しているから。どちらの国もカギは大企業である、と。
昨今のベンチャーブームで、日本では「目指せGAFA」という話になりがちです。でもこの議論が確かなら、この主張はそもそも的を外している可能性があるということですね。
淺羽:そのとおりです。
数年前、ある研究会で日本の大企業の経営者が「なぜ日本にGAFAのような企業が生まれないのか」と言っていたのを聞いて、問題が間違っているよと思いました。アメリカでもGAFAになれる企業はほとんどありません。日本だけの話ではなくて、GAFAなんてどの国でも簡単には生まれないんです(笑)。
入山:たしかに(笑)。欧州からもGAFAは生まれていませんね。アメリカでもそれは同じで、ランキングに入る企業は、歴史の長い大企業の方が多いんですね……なるほど。たいへん興味深い視点だと思います。
淺羽:なぜ、アメリカではスタートアップではなく、古い大企業が時価総額の上位を占め続けているのか。それには二つ理由があると思っています。まず、そのような大企業は、たとえば市場を支配していたり、競争のない産業に属していたりするチャンピオン企業かもしれないということ。
もう一つは、アメリカの古い企業は100年、200年と生き残る過程でМ&Aを繰り返していることが挙げられます。事業の売り買いによってダイナミックにポートフォリオを変え、生き延びてきたと言える部分が大きく、その割合は日本よりも高いと思います。
入山:きちんとポートフォリオを見直して、大胆なリストラをして、投資をして、事業を売りさばいてきたから、時価総額を上げることができている。日本はそれをやってこなかったということですね。
AMRの論文から現在に至るまで、淺羽先生のご研究を詳しく伺えてとても刺激的な時間でした。後編では、淺羽先生のキャリアについて、お話を伺えればと思います!
(後編はこちら)
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対談連載「経営学の最前線を訪ねて」の過去記事はこちら。
入山章栄氏と野中郁次郎氏による対談はこちら。
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