
アメリカ同時多発テロの発生から20年という時間が経過したが、多くの人がその悲劇を忘れてはいない。この悲劇の渦中にいたのが、ニューヨーク市消防局(FDNY)の隊員たちである。彼らは多くの仲間を失いながらも、凄惨を極める現場で懸命に救助活動に当たった。本稿では、FDNY隊員に実施した膨大なインタビューをもとに、組織が目の前の困難を乗り越えるだけでなく、それを学びの機会だととらえて、不確実な未来に向けて前進するための教訓を解き明かす。
2001年9月11日を多くの人は悲惨な日として記憶している。ニューヨーク市消防局(FDNY)にとって、その悲惨さはそれ以降も続いた。
ニューヨーク史上最大規模の火災2件を含むワールドトレードセンター(WTC)プラザ周辺の火災は、鎮火に3日かかった。高く積み上がった瓦礫の中でくすぶっていた火の鎮火には3カ月を要した。瓦礫には90台以上の車両も含まれ、有害物質が発生し、身元が確認できる遺体の発見が妨げられた。
FDNYはその間、多数の消防隊員と幹部数名を含む同僚343人を失った悲しみを抱えながら、さらなるテロ攻撃の可能性に備え、生き残った隊員の目前のニーズ、そして巨大で複雑なニューヨーク市のニーズに対応していた。
世界で最も有名な消防局の一つであるFDNYを、歴史的な悲劇が襲ったのだ。その日も、その先もずっと、リーダーたちには課題が山積していた。
ただ仕事を続けるだけでは何カ月、何年とかかってしまう。FDNYはWTCの消火活動を続ける一方、どうやって組織を再建するかを決断しなければならなかった。元通りに戻すことを目指すのか、それとも違うものを築くべきなのか。
何カ月も、何年も、FDNYは自分たちを見つめ直した。何カ月も続く葬儀と公私ともに失ったものに悲嘆し、押しつぶされそうになりながらも、外部の視点を活用し、取り入れた。
最終的に彼らは、9.11を「ブラックスワン」として扱わないことにした。筆舌に尽くしがたい悲劇を学びと変化の機会だととらえ、自分たちが果たすべき役割が拡大する、不確実な未来の到来に備えることにしたのだ。
FDNYは、幅広い意見を取り入れた。マッキンゼー・アンド・カンパニーに依頼し、同時多発テロの発生当日の状況、およびFDNYという組織に関する調査を実施した。そして6カ月にわたるその調査から、2004年に同局初の戦略計画が策定された。9.11委員会やアメリカ国立標準技術研究所も調査結果を発表した。これらの報告書が、変革に向けた進行中の取り組みを強調し、加速させることもあれば、新たな取り組みを促すこともあった。
FDNYはこの20年間で、非常に有能でありながらも時代遅れだった消防局から、最新の緊急管理と緊急対応を実践する組織に生まれ変わった。2015年には『フォーブス』誌のランキングで公的機関の雇用主の中でトップに、米国の雇用主全体の17位に選出された。
筆者らはFDNYの変革と、それが他のリーダーに与える教訓についての研究プロジェクトを5年にわたり継続している。これまでに9.11で初期対応に当たったFDNYの現役および退役職員20人以上を対象に、詳細で、時に個人的なインタビューを40時間以上実施し、彼らの知見と経験を聞き取ってきた。
下記はそのインタビューから得た、困難な状況を乗り越え、そこから再生を果たすための教訓だ。