急速に変化する時代の中では常に最新の事例や理論が求められる一方、時代を超えて読みつがれる理論がある――。『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)には、そのように評価される理論を掲載した論文が無数に存在します。この連載では、著名経営者や識者がおすすめのDHBRの過去論文を紹介。第21回は、社外人材による「オンライン1on1」サービスを提供するエール取締役の篠田真貴子氏が、「聴く力」を育み、仕事などで活かすために参考となる論文を3本紹介します。(構成/ムコハタワカコ、写真/高橋敬大)

『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)は、書店で見かけて気になる特集がある時に、必ずと言っていいほど購入している雑誌です。頻度としては、発行されているものの半分くらいになるでしょうか。特集だけでなく、インタビューで気になる方が出ている時にも、つい手に取ってしまいます。
DHBRのインタビューは、経営者の方の話をじっくり聞いて書かれていることがうかがえます。ほかの経済誌などのインタビューに比べ、フラットに経営について尋ねていて、経営者の気負いのないストレートな言説を読める点が、読者として嬉しいところです。なかでも、2020年7月号に掲載されていたソニーCEO 吉田憲一郎さんのインタビュー「ソニーは、誰のために、何のために存在するのか」は、特に印象に残っています。
論文では、聞くスキルをテーマにしたものに注目しています。私が取締役を務めるエールでは、オンラインで行う社外人材による1対1のミーティング(1on1)を通じて、管理職やリーダーの「聴く力」の向上や自律型人材の育成を促すサービスを提供しており、事業で得た経験から論文の内容に共感することもよくあります。
昨今、1on1などで話を「聴くこと・聴いてもらうこと」によって、従業員の自律性が育まれることが知られるようになりました。現在の人事部や管理職の方々は、いままでは求められてこなかった「聴く力」の発揮を求められています。ところが、こうした方々自身は「じっくり話を聴いてもらって良かった」という経験があまりないため、「部下の話をしっかり聴く」ことに難しさを感じているように思います。
そこで今回、私からは「聴く力」を育み、仕事などで活かすために参考となる論文3本を紹介したいと思います。
フィードバックより部下の話を聞くほうが
自発的成長を促す
最初に紹介する論文は、「上司が部下の話に耳を傾けるだけで、自発的な改善がうながされる」(DHBR.net2018年7月13日掲載、『マインドフル・リスニング(HBR EIシリーズ)』掲載)です。ここで紹介されている内容が、エールを利用されている企業の方などから伺った体験にもぴったりと当てはまっていて、「我が意を得たり」という気持ちになりました。また、話を聴くこと、「傾聴」についてきちんと掘り下げている経営学者がいることに喜びを感じた1本です。
この論文では、冒頭からいきなり、上司が部下に業績評価を伝えるフィードバックが、実は部下の学習と成長には逆効果となる可能性を指摘しています。なぜなら、部下には「フィードバックを受け取る用意がない」からだというのです。
さらに、上司が評価をフィードバックとして一方的に与えるより、部下の話に耳を傾け、話を聞いている方が、彼らがみずから変わりたいと思うようになると記されており、上司はそれを促すだけでいいといいます。
傾聴のメリットは、話し手自身が多様な観点に気づけるようになる点です。聞き手から「あなたはそう言うが、こうも言えるのではないか」と言われると、人はだいたい反発し、言われたことを忘れます。ところが「こういう考えがあるなら、ああいう考え方もあるかもしれない」と自分で考えたこと、思いついたことは忘れないものです。
私が先頃、監訳を担当したケイト・マーフィの著作『LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる』でも、同様のことを示唆する研究論文を紹介しています。
このDHBRの論文もあらためて読んでみて、こうした人間理解が多くの職場で広まれば、マネジメントの方法はすごく変わるだろうと感じています。人間への理解が浅いまま管理職になると、自分が若い頃の上司の行動をなぞってしまいがちです。また日本の多くの会社の管理職研修では、昔のマネジメント手法を再生産するような内容がいまだにあり、それを洗い替えるような訓練は十分になされていません。そういう意味でも、とても重要な論文だと思います。
台本のない対話の中に
コミュニケーションの本質がある
続いて紹介するのは、「即興コメディのテクニックでメンバーの意欲を引き出す」(DHBR2019年11月号)という論文です。即興コメディを企業研修で取り入れるケースは、『LISTEN』の中でも丸々1章を使って取り上げられています。アプローチは異なりますが、同じように即興コメディを題材に聞くことの重要性に気づく研究者がいるというのは、やはり興味深いことです。
この論文は、ハーバード・ビジネス・スクールのフランチェスカ・ジーノ教授によるもので、彼女が夫と参加した10週間の即興コメディ講座で得た気づきをアレンジして、組織におけるチームの意欲向上に役立てる方法を紹介しています。
即興コメディには台本がありません。ですから、相手の話をまずは最後まで聞かないと、そのオチを拾うことができません。聞いている途中で「いまこういう話をしているから、こう返そうか」と思いついたとしても、最後でまったく違う話の終わり方になる可能性もあり、その場合は自分が考えていたことをいったん捨てることになります。研修に即興コメディを取り入れると、こうしたことが体感でき、人の話をフラットに聞くトレーニングが効果的にできるというのです。
論文には、ジーノ教授が参加した講座で、クラスメイトがSFドラマ『スター・トレック』の登場人物キャプテン・カークを真似て話を振ってきたのに対し、その文脈に気づけずにチグハグな受け答えをしてしまったエピソードが掲載されています。結局、相手が『スター・トレック』にこだわらず、ジーノ教授の応答に合わせてくれたことで課題は滞りなく進んだといいます。これは相手が、自分のこだわりなど、この場にとってはどうでもいいことだと理解していたからこそ、可能だったことです。
こうしたことには、普段仕事で行われている対話や会話では、なかなか気づけません。人の話を聞くことなしに、相手が何をわかろうとしているのか、何を理解しているのかはわかりません。それなのに私たちはいつも、「相手がわかっていない」と怒っています。
もちろん、いつも誰もが即興コメディのような受け答えをしていたら、ビジネスは進まないでしょう。しかし、決まりきったやり取りをしなければビジネスが進まない、というわけでもないのです。即興コメディという、ある意味、際物のような話のやり取りの中には、実は人と人とのコミュニケーションの本質があります。
意外な展開に合わせて反応することは、好奇心を持ち続けることにもつながります。そこには予定調和にならない、やり取りの面白さがあるはずです。
ピクサーの手法に学ぶ
「聞く側に意識を向ける」ことの効果
最後に紹介する「コラボレーションを組織に根付かせる方法」(DHBR2020年3月号)も、フランチェスカ・ジーノ教授の論文です。ここで取り上げられているのは、アニメーションスタジオのピクサーなどでも取り入れられている、リーダーと部下たちが力を合わせて仕事をし、学び合い、心理的なバリアを乗り越えるために実践すべき、具体的な手法です。
最初に挙げられている「話すよりも聞くことを教える」という手法は、私も本当にそうだと実感します。ピクサーの例では「自分ではなく聞く側に意識を向ける」というトレーニングを行っているそうです。
このトレーニングでは、最初に2人のコーチがおざなりな聞き方と、相手の立場に寄り添ったアクティブリスニングとの違いを示します。
たとえば、一方が「体調が悪いのに仕事が多忙で、しかも遠くの家族に会いに行く予定もあって大変」と言った時に、おざなりに聞いていた場合の反応は「でも旅行には行けるからいいじゃない」あるいは「私ももうじき旅行に出かけるので楽しみなの」といったものになります。
一方、アクティブリスニングを実践すると「それはストレスがたまりそう。仕事を休むのも、家族に顔を見せないのも気まずいものね」といった反応になります。話を促すような聞き方をすれば、より効果的な会話になることが受講者に示されるわけです。
私たちのクライアント企業の中でも、1on1を通じて「聴く力」を身につけたことで、職場でのコミュニケーションに変化が起きたという事例がありました。ある企業の営業部門のトップの方が営業計画をチームに示す際、目標が高ければ高いほど「ちょっと厳しいな……」といった空気になるので、これまでは「まあ、そう言わずに頑張ろう!」といった声かけをしていたそうです。
しかし、エールの1on1を受けた後は、ちょっと厳しいという空気になった時に「どこがきつい感じがするか」「どのあたりが不安か」と、まずチームのメンバーに聞くように変わりました。すると、メンバーの方も一通りしゃべって、気が済むと「そうは言っても頑張りましょう」と自発的にモチベーションを見いだすようになり、チームの力学が変わったというのです。
しかもその営業部門のトップの方自身は、この変化に気づいていませんでした。どうやら、人に話を聴く、聴いてもらうという体験を経て得たものが、自然に部下とのコミュニケーションににじみ出たようです。
もう一つ、この論文では「沈黙に慣れる」という手法も紹介されていて、これも我が意を得たりと思う内容でした。
私の場合、自分の話を聴いてもらう経験を数多くさせてもらい、「聴いてもらうとはこういうことか」と意識できてからは、沈黙がまったく怖くなくなりました。というのも、私が会話の途中で沈黙するのは、その時の正確な感覚を思い出したい時や、言語化できていない感情や感覚を伝えられる言葉を探している時だから。せっかく尋ねられた問いに対して、表面的ではない答えを伝えたいと考えているからこその沈黙だとわかったからです。
ですから、相手が沈黙した時にも、その沈黙を信じられるようになりました。沈黙の先に、私が思いもよらない答えがあると考えれば、むしろ沈黙はワクワクする時間と言ってもいいぐらいです。
この論文ではほかにも、コラボレーションを促すために重要なポイントを解説しています。ぜひジーノ教授と一度お話ししてみたいと思った1本でした。
いまは「聴く」をサービスにする企業で働いていますが、私自身、もともと人の話を聴くことが得意ではありませんでした。社会人になってから留学した後、数社の外資系企業に合計10年ほど在籍していました。そこは、話を遮ってでも自分の主張をぶつけた方が「アグレッシブでいいね」と褒められるような世界。私には合っていたのですが、「聴く」ことからはほど遠かったように思います。
プライベートでも反論しがちだった私が、「聴く」ことに対してアンテナが立つようになったのは、ここ5~6年のことです。ある方に勧められて読んだ、書籍『こころの対話 25のルール』がきっかけでした。
外資系企業からほぼ日に転職し、10年勤めた後、1年間は「ジョブレス期間」として仕事をしない期間を設けたのですが、その間もいろいろな場で人の話をじっくり聴く機会がありました。相手も「いまの篠田さんになら話したい」と自然に悩みを話してくれて、3〜4カ月たった頃には、聴くこと・聴いてもらうことで起きる変化を深く感じるようになりました。
そんなタイミングで、エールに参画し、2年が経ちます。現在も、日々報告される事例から、聴くことがもたらす力を最前線で実感しているところです。皆さんにもぜひ「聴くこと・聴いてもらうこと」の力を体感していただけたらと願っています。