報復する

 不当な扱いを受けた際に取りたくなるもう一つの対応策として、「目には目を」がある。

 相手に感情をぶつけず、消極的かつ否定的な態度や行動を取る受動的攻撃性の高い同僚が会議で何か発言し、その後、発言と正反対の行動を取ったら、自分も同じように振舞ってみたくなるかもしれない。悲観的な同僚が、あなたのアイデアに無数のダメ出しをしてきたら、彼らが何か新しい提案をした際にこき下ろしたくなるかもしれない。

 残念ながら、相手と同じレベルで対応しても、一般的にはうまくいかない。関係性を変えるチャンスとなることはなく、むしろ対立の感覚を強めてしまうためだ。

 また、報復行為はあなたの印象を悪化させてしまう。さらに悪いことに、そのような行動はあなたの価値観に反している。

 復讐したいという(もっともな)欲求に負けないためには、自身の価値観に沿った行動を心がけよう。自分の価値観を書き出してみるのもよい。大切にしているものは何だろうか。自分にとって最も重要なことは何だろうか。

 よくわからない場合には、普遍的な価値観のなかでどれが自分の心に響くかを考え、重要な順にリストアップするとよい。そして、自信のない上司や偏見に満ちた同僚への対応策が頭に浮かんだ時は、そのリストを参照し、自身の価値観に合った戦術かどうかを確認しよう。

恥をかかせる

 神経を逆なでするタイプの人に対応しなければならない場面で、筆者はよく、その人の知り合い全員にメールを送り、嫌な奴だと暴露したらどうなるだろう……と想像する。不当な態度を取った相手が恥をかけば、私への態度を変えざるを得なくなるだろう、というのが、筆者の(欠陥だらけの)理屈だ。

 『あなたの職場のイヤな奴』の著者ボブ・サットンは、このやり方を次のようにまとめている。「人をろくでなしと呼ぶ行為は、人をろくでなしに変える──あるいは、あなたのことを嫌いにさせる──最も確実な方法の1つである」

 これは、恥を感じることで行動を改善する人は滅多におらず、むしろさらに攻撃的になるケースが多いためである。

 ここで参考になるのが、ブレネー・ブラウンによる恥と罪悪感の区別と、それぞれの有用性に関する説明だ。

 罪悪感は、自分の行動や失敗を自身の価値観に照らし合わせ、心理的不快感を覚えることであり、適応的で、有益なものである。

 恥は、自分に欠陥があり、そのせいで愛や所属に値しないと信じる、極めて苦しい感情や経験と私は定義する。経験や行動、失敗のせいで、自分にはつながりを持つ価値がないと思ってしまうのだ。

 私は、恥は有益でも生産的でもないと考える。実際、恥は解決策や治療法というよりも、破壊的で人を傷つける行為の源になる可能性が高いと思う。つながりが断たれることへの恐怖心は、人を危険な存在に変えかねない。

 同僚を悪人のような気分にさせたり、嫌な奴、被害者面をする人間といったレッテルを貼ったりしても、人間関係が改善する可能性は低い。

 同様に、やっかいな同僚の人間性を傷つけても何の役にも立たない。自分に危害を加える人物を悪者扱いするのは簡単だが、相手を憎んでも対立を助長するだけだ。相手はロボットでも極悪人でもなく同じ人間だということを、どのような場面でも意識しておくべきだ。