マークは即座に、エイデンはチームから何かを得るに値しない人物だという自己防衛的な主張を繰り広げ始めた。エイデンは意図的にチームに嫌な思いをさせているのだから、配慮を受ける資格はない、というのがマークのスタンスだった。
私はさらに踏み込んで聞いた。「エイデンが何に値し、何に値しないのかという点には私は興味がありません。ただ、あなたはエイデンの行動よりも、エイデンへの恨みのせいで苦しんでいるように思えます。彼を許してあげてはどうですか」
マークは不信感と好奇心が入り混じった驚きの表情で私を見つめた。そして警戒しながら、こう尋ねた。「どうして許すのですか」
マークが戸惑い気味に発したこの質問は、けっして珍しいものではない。対人関係において「許す」という手段は、常に想定されているものではない。それでも、恨みつらみの蓄積を考えれば、おそらく許すべきなのだろう。ある調査によると、世界中の78%の人が何らかの恨みを抱えており、平均的な大人は7つの恨みがあるという。
人はなぜ、こんなにも恨みを抱え込みやすいのだろうか。他者にあまりに現実離れした期待を抱いてしまうせいで、いつまでも怒りをため込むのだろうか。別の調査で、自分は「もっと寛大になるべきだ」と答えた米国人が62%に上ったのも、驚きではない。
「許し」とは複雑で、誤解されやすい概念である。神学者や哲学者は何世紀にもわたって、許しとは何か、いつ許すべきか、許すことがなぜよいことなのかを議論してきた。また、心から反省して許しを請う人を許すことはできても、反省する気配がなく、行動を改める可能性も低い人を許せるかというと、それはまったく別の話だ。
とはいえ、そうした時こそ最も許しが重要となる場面なのかもしれない。
なぜなら、私たちが恨みや悪意、その他のネガティブな感情を抱えている時、その感情を向けるべき相手は苦しみを感じていないからだ。しかも、こちらの感情に気づいていない可能性も高い。苦しんでいるのは、自分だけなのである。
また、「許さない」に関連する感情──恨み、軽蔑、敵意、怒り──が自分の精神的、肉体的な健康に深刻なダメージをもたらすことを示す根拠も多々ある。さらに悪いことに、そうした感情のせいでひねくれた態度を取ってしまい、大切な関係を傷つけるおそれもある。
許す力を強化する必要がある人は、以下に紹介する方法から始めてみよう。