では、AIを「何ができるか」で定義してはどうだろう。たとえば、「極めて難度が高いため、従来は人間がやらなければならなかったタスク(車の運転や名人級のチェス、顔の識別など)を実行できるソフトウェア」と定義してみる。だが、この定義もうまくいかない。コンピュータが何かをできるようになると、人間はそのタスクの難度が低いと見なす傾向があるからだ。

 結局のところ、コンピュータにできるのは、よく理解され、明確にされた機械的なタスクだけだ。ひとたびマシンがそれをできるようになると、その「偉業」は急速に魅力を失い、それができるコンピュータは「知的」に見えなくなる。少なくとも、「AI」という言葉が示唆する全能的な「知能」ではなくなる。コンピュータがチェスをマスターした時点で、AIを「解き明かした」という感覚はなくなってしまうのだ。

 これは「AI効果」と呼ばれるパラドックスで、「マシンにできるならそれは知的タスクではない」という感覚をいう。AIの定義は、常に「ゴールの場所が動かされる」事態にさいなまれ、意図せず「コンピュータにとっては難しいことをコンピュータにやらせる」ことと同義になってしまう。人工知能(artificial intelligence)ならぬ人為的な不可能(artificial impossibility)だ。どのような目的地も、到達してしまうと満足できなくなる。

 こうしてAIは、断固として定義を逃れてきた。コンピュータ科学のパイオニアである故ラリー・テスラーが、かつて、AIを「マシンがまだやっていないことすべて」と定義してはどうかと提案したことは有名だ。

 皮肉にも、そもそもAIが過度にもてはやされることになったのは、機械学習が著しい成功を収めたからである。なにしろ、測定可能なパフォーマンスを改善することは、要するに、監督された機械学習なのだ。システムをベンチマーク(ラベリングが施されたデータなど)に照らして評価して得たフィードバックが、次の改良の方向性を示す。そうすることで、機械学習は前例のない価値を数え切れない方法でもたらす。HBR誌は機械学習を「現代における最も重要な汎用技術」と評した。ほかの何よりも、機械学習の飛躍的進歩が、AI狂想曲を加速させてきたのだ。

AGIにすべてを賭ける

「5年以内に第3のAIの冬が来ると、私は予測している。…… 1991年に私がAIと機械学習の博士号を取得した時、AIは文字通り悪い言葉だった。AI分野の人間を雇う企業はなかった」
──ウサマ・ファイヤド、2022年6月23日、マシン・ラーニング・ウィークにて

 AIの定義のジレンマを克服する方法が一つある。それは、AIをAGI、つまり人間ができるいっさいの知的タスクをこなせるソフトウェアと定義することだ。

 もし、このSF小説のような目標が達成されたなら、AIは「知的」と呼ぶにふさわしいという強力な主張ができるはずだ。それに、これは実用的ではないとはいえ、少なくとも理論的には測定可能な目標だ。たとえば、100万個のタスクをシステムのベンチマークに設定することができる。これには、バーチャルアシスタントに複雑なリクエストのメールを数万通出すことや、倉庫スタッフに対してロボットに出したのと同じさまざまな指示を出すこと、マシンのCEOがフォーチュン500を黒字経営する方法について1段落ほどの文章を書かせるといったタスクを含めることができる。

 AGIなら明確な目標を設定できるだろう。だが、それは、とびきりの目標であり、とてつもない野望だ。そのようなことがいつか実現できるかどうかは、誰にもわからない。

 そこに典型的な機械学習プロジェクトの問題点がある。それを「AI」と呼ぶと、AGIと同じレベルのもので、その方向に着実に向かっているテクノロジーに基づき構築されていると示唆することになる。「AI」は機械学習につきまとう。AIは、壮大なストーリーを想起させ、期待を膨らませ、現実にあるテクノロジーを非現実的な言葉で売り込む。それが意思決定者たちを混乱させ、プロジェクトを行き詰まらせる。

 AIがAGIと同じ材料でできているなら、多くの人が、AIというパイの一切れにあずかりたいと思うのは理解できる。AGIが約束すること(ある意味で究極のパワーだ)は極めて魅力的で、抗うことは非常に難しい。

 だが、さらによい方法がある。現実的で、十分にエキサイティングな方法だ。それは、主要なオペレーション(組織の主な業務)をさらに効率的にすることだ。たいていの商業的な機械学習プロジェクトは、まさにそれを目指している。

 それをさらに高い確率で成功させるためには、さらに地に足をつけなければいけない。オペレーション上の価値をもたらすことを目指しているなら、「AI」を買ったり、「AI」を売ったりしてはいけない。自分が意図していることをありのままに言い、自分の言葉と意図を一致させよう。あるテクノロジーが機械学習によってできているなら、そのように言おう。

 人間の知性が陳腐化するという報告は、著しく誇張されてきた。これは、AIに幻滅を覚える時代が再びやってくることを意味している。そして長い目で見ると、「AI」という言葉を大げさに使い続ける限り、私たちはこれからもAIの冬を経験し続けるだろう。

 だが「AI」という言葉の乱用を控えれば(あるいはAIと機械学習を区別すれば)、業界としての機械学習を次のAIの冬から保護することができるだろう。そのためには、誇張に流される誘惑に抵抗するとともに、AIは万能だと信じて、目をキラキラさせる意思決定者らを肯定しないことが重要だ。さもないと、明らかに危険だ。ブームがしぼんで、過剰宣伝の嘘が暴かれ、冬が到来した時、機械学習の真の価値提案までも、神話とともに捨てられてしまいかねないのだから。

 本稿は、バージニア大学ダーデンスクール・オブ・ビジネスにおける研究成果の一部である。


"The AI Hype Cycle Is Distracting Companies," HBR.org, June 02, 2023.