
米国の信用格付けが引き下げられた理由
3大格付け会社の一つであるフィッチ・レーティングスは2023年8月1日、債務上限問題で揺れる米国の信用格付けを、最上位の「トリプルA」から1段階低い「ダブルAプラス」に引き下げた。フィッチは、その前の5月に、この問題をめぐる政治的な膠着が起きた際、米国の格付けを引き下げる可能性(ネガティブ)を示していた。それを実行に移した格好だ。
当時、大手格付け会社スタンダード&プアーズ(S&P)も「土壇場で交渉が妥結する可能性は高いが(中略)テクニカル・デフォルトのリスクが高まった」と警告を発していた。フィッチは、8月1日に格下げを実行した際、「債務上限問題をめぐって繰り返し政治的な膠着が起きており、そのたびに土壇場で解決されていることから、米財政運営への信頼が傷ついている」と指摘した。その後の世界金融市場の動揺によって、米国で繰り返される債務上限危機にあらためてスポットライトが当たった。
なぜ、企業経営者が政府の債務上限問題を気にかけるべきなのか。米政治の二極化を反映した政治的攻防や、芝居がかった駆け引きは、部外者にはまるで茶番だ。だが、経営者は、毎年のように繰り広げられるこの茶番への備えをしなければならないし、いつか財政破綻に至る事態も考慮しなくてはならない。債務上限問題は、純粋に政治的な問題に見えるかもしれないが、経営者はこうした政治的な膠着の力学を理解し、それを経営戦略や長期計画に反映させなければならない。
なぜ債務上限問題で政治的な膠着が続くのか
米政府の債務は急速に膨張している。2008年は対GDP比60%程度だったが、2019年には100%を超えている。ただ、これは米国だけの現象ではない。日本の政府債務は、2007年に対GDP比132%だったのに対して、2019年には198%まで拡大した。コロナ禍はこのトレンドを悪化させ、米政府の債務は、2022年に対GDP比120%を超えた。多くの国が思い切った支援金を交付するなどの景気刺激策を講じたため、ほぼすべての先進国で同様の傾向が見られた。
米国の場合、政府債務の上限を引き上げるためには、議会の手続きを踏まなければならない。この特殊な事情が、政府を何度も混乱に陥れてきた。議会は過去40年間に債務上限を45回引き上げた。フィッチは8月の声明で、「さらに、政府はほとんどの機関と異なり、中期的な財政枠組みを欠いている。そして予算編成プロセスも複雑だ」と言及している。
そもそも債務上限とは、連邦政府が積み上げられる負債の限度額である。1917年以前は、財務省が国債を新規発行したり、そのほかの債務を引き受けたりするたびに、議会の承認を得なければならなかった。だが、1917年の第2次自由国債法により、議会が定めた上限の範囲内である限り、その承認を得る必要がなくなった。
それでも、政府の債務総額の最終的な判断が、議会に委ねられていることに変わりはない。この債務上限は、財政政策の範囲や行政府の機能に一定の制限を課すことになる。立法と行政の分立は、概念的には、重要なチェック・アンド・バランスの機能を果たす。債務の増加が自動的に認められない仕組みによって、理論的には健全な議論が起き、社会の健全性も高まるはずだ。そのシナリオ通りなら、世界一豊かで先進的な米国が、デフォルト(債務不履行)になる心配などしなくてよい。
債務上限を頻繁に引き上げるのは、ある意味で仕方ない。政府は社会保障やメディケア(高齢者向けの公的医療保険)の給付、軍人の給与、国債の利払い、税金の還付など、既存の法的義務を果たすために、借金をしなければならない。現在、メディケアとメディケイド(貧困層向け公的医療保険)、そして社会保障給付だけで、政府支出の63%を占めている。高齢化、医療や退職関連制度、単純な物価上昇などさまざまな要素が絡んでいることを考えると、一方の政党だけで歳出拡大を管理することはできない。政策的に縮減できる裁量的経費においてでさえ、その大部分を国防費、研究費、教育費などが占めているため、一方の政党だけでその内訳をがらりと変えることはできない。
このため債務上限の引き上げで問題になるのは、政治的な領域だ。たとえば、2013年に政治的な膠着が起きたのは、共和党がバラク・オバマ大統領(民主党)に医療保険制度改革法(通称オバマケア)のための歳出削減を要求したからだ。2019年には、ドナルド・トランプ大統領が、メキシコ国境に壁を建設する費用57億ドルを民主党が承認するまで、債務上限法案に署名しないと言い張った。
党派対立が激化する中、債務上限をめぐる政治的な膠着は、互いの極端な要求と破滅的な結果が絡み合った複雑な問題となっている。両党の合意に至らず、連邦政府機関が一部閉鎖(シャットダウン)するようなことになれば、政府の機能だけでなく、世界における米国の信用もダメージを受ける。
経営者が政治イベントを無視してはならない理由
企業経営者は、債務上限問題を政治的な恒例行事だと切り捨ててはならない。ほぼ毎年のように繰り返される2種類のイベントと、それが自社のビジネスに与える影響を認識する必要がある。
1つ目が一時的なイベントである。2019年にシャットダウンが現実になった時は、80万人の連邦政府職員が影響を受け、政府の機能が低下した。
2つ目のイベントは、米国債のデフォルト危機だ。これはより長期にわたり、破滅的な傷痕を残す可能性がある。2023年5月、ホワイトハウスの経済諮問委員会(CEA)は、仮にデフォルトが起き、それが長引けば800万人以上の雇用が失われ、株価は半分の水準に落ち込むとの試算を示した。
米国の2大政党制に大きな見直しが入るとは考えにくい。したがって、党派対立と債務上限をめぐる膠着は当面続くだろう。そこで、企業経営者がこうした危機に備え、乗り切る方法を紹介しよう。