交渉失敗に手ぶらでは帰らず
「残念賞」をフル活用

 宅配便会社のアラメックスを設立してから2年後の1984年、私はかつて経験したことがないほど重要な会合に向けて準備を進めていた。パートナーのビル・キングソンとともに、シアトルに本社を置くエアボーン・エクスプレス(現DHL)を説得して、アラメックスの株式の50%を10万ドルで買い取ってもらおうと目論んでいたのである(図表1「アラメックス発展の軌跡」を参照)。

 アラメックスは当時、中東を拠点とする最初の宅配便会社となるべく、ヨルダンのアンマンに質素なオフィスを構え、中東の数カ所に小規模な営業所を開設していた。その営業規模はごく小さかった(売上高は100万ドルにも達していなかった)。