ここでふたたびシルク・ドゥ・ソレイユの事例に戻りたい。シルクがもたらす娯楽は、まさに差別化と低コストが同時に実現されている点に特徴がある。この画期的なエンターテイメントショー劇団が登場するまでは、サーカス団は互いの比較をもとに、従来とさして変わりばえのしない演技で、すでに縮小傾向にあった市場でできるかぎり大きなシェアを獲得しようとしのぎを削っていた。そのためには有名な道化師やライオン使いを引き抜いてくるため、サーカスの中身そのものは以前と大差ないにもかかわらず、コストばかりが膨らんだ。こうして売上高が伸び悩む一方でコストがかさみ、サーカス業界全体の観客動員数が減っていく、という負のスパイラルに陥っていた。

 以上のような取組みは、シルク・ドゥ・ソレイユの登場によって意味をなさなくなった。シルクは一般のサーカスとも、伝統的なパフォーマンスとも趣が違い、ライバルの動静にはまったく関心を払わなかった。従来は、課題によりよいソリューションを見出して、つまり、より楽しい、より心躍るサーカスを提供して、ライバルの上を行こうという考え方が主流だったが、シルクはサーカスの楽しさと興奮はもとより、パフォーマンスとしての知的洗練度、豊かな芸術性をも追求して、課題そのものをまったく新しく設定した(22)。こうしてパフォーマンスやサーカスの垣根を打ち破り、サーカス愛好家だけでなく、サーカスには関心のなかった大人の観客についても理解を深めたのである。

 この結果、まったく新しいサーカスの概念が生まれ、価値とコストのトレードオフ関係が崩れ、ブルー・オーシャンが誕生した。この違いを考えてみたい。ほかのサーカス団が動物ショーを見せ、サーカス界のスターを雇い、隣接する3つの舞台で同時にショー(スリーリング・ショー)を行い、館内でのグッズ販売に熱を入れるのを横目に、シルク・ドゥ・ソレイユはこれらのうちの1つとして実践していない。これまでの取組みは、従来のサーカス業界では長いあいだ当然とみなされており、果たして続ける意味があるのかどうか、誰も問い直さなかった。だが、動物をショーに使うことに対しては世間の反発が強まっていた。そのうえ、動物ショーはサーカスの出し物の中でもとりわけコストが高かった。動物を購入するのに費用がかかるほか、芸を教え、健康を保ち、飼育しておく場所を確保し、保険をかけなくてはならず、移動のたびに輸送の手立てが必要なのである。

 スター・パフォーマーへの執着についても事情は同じだった。たとえサーカス界の花形が登場しても、一般の観客は銀幕の大スターに対するような憧れやときめきは感じないため、コストばかりかかる一方で観客のハートをつかめるわけでもない。スリーリング・ショーもシルクは採用しなかった。観客は舞台から舞台へとめまぐるしく視線を移さなくてはならず、サーカス団の側でも演技者を多数抱える必要があったが、コストに見合った効果があるかは疑問だった。ではグッズ販売はどうか。これは売上を伸ばすよい方法に見えたが、その実は価格が高いために敬遠され、観客の心に「いいカモにされているのでは」との思いを残した。

 結局のところ、昔ながらのサーカスの魅力で色褪せないものといえば、テント、道化師、そして自転車乗りや離れ業といった古典的なアクロバットの3つに集約されるのだった。そこでシルク・ドゥ・ソレイユでは道化師は採用したが、ドタバタ喜劇ではなく、洗練された魅惑的なユーモアを追求した。テントも美しくロマンティックなものを使ったが、皮肉にも、ほかの多くのサーカスはテントを持たずに会場を借りるようになっていた。シルク・ドゥ・ソレイユは、テントという独特の環境にこそサーカスの魔力が秘められていると考え、外側には有名なシンボル・マークを配して華麗な外観を演出し、内側については観客の心地よさに気を配った。こうしてテントはどれも、壮大なサーカスを思わせるものとなり、安っぽさとも硬いベンチとも無縁だった。アクロバットなど、スリルあふれる演技は受け継がれたが、パフォーマンス全体に占める比重は小さくなり、芸術性や神秘性を添えてよりエレガントに生まれ変わった。