このように、バリュー・イノベーションはある意味、単なるイノベーションとは異なり、すべての企業活動を巻き込んだ「戦略」なのである(23)。バリュー・イノベーションを実現するためには、買い手と自社、両方にとっての価値を高める方向に、企業活動全体を導かなくてはならない。こうした統合的なアプローチが欠けていては、いくらイノベーションを実現しても、戦略の核心には触れずに終わるだろう(24)。ブルー・オーシャン戦略の主な特徴を、レッド・オーシャン戦略と比較しながら図表1-3に示してある。

 レッド・オーシャン戦略は、業界の構造は一定で企業はその枠組みの中で競争せざるをえない、との前提に立っている。いい換えれば、学問の世界で構造主義(structuralist)、環境決定論(environmental determinism)などと呼ばれる考え方をとっているのだ(25)。ところがバリュー・イノベーションは、市場の境界も業界構造も一定ではなく、そこで活動する企業などの行動や発想しだいで変わる、との見方に基づいている。このような見方を再構築主義(reconstructionist)と呼ぶ。レッド・オーシャンでは、各企業が同じベスト・プラクティスに沿って競争しているため、差別化には多大なコストを要する。あくまでも差別化と低コストは二者択一なのだ。ところが市場や業界は築き直せるとの考えのもとでは、価値とコストのトレードオフを打ち破ってブルー・オーシャンを創造し、新しいベスト・プラクティスを築くのが戦略のねらいとなる(この点については、巻末資料B「バリュー・イノベーション:戦略の再構築」に詳しい説明を施してある)。

 シルク・ドゥ・ソレイユもサーカス業界のベスト・プラクティスを打ち破り、他業界の要素を取り入れることで、差別化と低コストをともに実現した。では、従来のサーカスからさまざまな要素をそぎ落とし、別の業界から新しい要素を持ち込んだシルクは、果たしてサーカスと呼べるのだろうか。それとも舞台芸術なのだろうか。かりに舞台芸術だとするなら、ジャンルは何か。ブロードウェイ流のミュージカル、オペラ、あるいはバレエか。答えは明確ではない。シルクはこれらいくつものジャンルの特徴を取り込んで、独自に組み合わせたため、あらゆるジャンルの特徴を少しずつ持ちながら、そのいずれとも完全には一致しない。シルクが生み出したブルー・オーシャン、すなわち競争のない市場空間には、いまだに業界名がついていないのだ。


【原注】
(16)Peter F. Drucker(1985)にも、企業は競合他社の動きをにらみながら競争する傾向がある、と書かれている。
(17)W. Chan Kim and Ren?e Mauborgne(1997a, 1997b, 1997c)でも述べたように、他社との比較をもとに相手を打ち負かそうとすると、イノベーションではなく模倣につながる。こうした市場アプローチをとると、値下げ圧力が強まり、コモディティ化がいっそう進みやすい。企業がとるべきは、比類ない価値をもたらして競争を抜け出すという戦略である、というのがそこでの主張である。Gary Hamel(1998)は、既存企業、新興企業を問わず、競争を避けて既存の産業モデルを問い直せるかどうかが、成功のカギだとしている。Hamel(2000)ではさらに、成功への方程式は、競合他社と真っ向からぶつかるのではなく、うまく避けることだとも述べている。
(18)「価値創造」は戦略コンセプトとしてはあまりに幅が広すぎる。どのように価値を創造すべきかについて、範囲が定まっていないからである。たとえば、コストを2%下げただけでも価値を生み出したといえる。ただし、これも価値創造には違いないが、新しい市場空間の開拓に必要なバリュー・イノベーションにはほど遠い。従来と似通った活動をよりよい方法で行えば、価値を生み出せるが、バリュー・イノベーションを実現するためには、従来の取組みをやめ、新たな取組みを始めるか、従来と同じような活動をまったく新しい方法で行うか、どちらかが欠かせない。筆者たちの研究によれば、価値創造という戦略目標を掲げた企業は、小さな改善を積み重ねようとする傾向が強い。それでも多少の価値は創造できるが、抜きん出た価値を提供して好業績を上げるにはいたらない。
(19)買い手の意識しないニーズに目を向けて新たな市場を開拓した事例は、Gerard J. Tellis and Peter N. Golder(2002)に紹介されている。足掛け10年に及ぶこの研究によれば、市場パイオニアのうち勝ち組となる企業は10%にも満たず、90%以上が負け組だという。
(20)この通説に挑んだ研究としては、Charles W. L. Hill(1988)、R. E. White(1986)などがある。
(21)差別化と低コストのどちらかを選ぶ必要があるという議論については、Michael E. Porter(1980, 1985)を参照されたい。Porter(1996)は生産フロンティア曲線を用いて、価値とコストのトレードオフ関係を説明している。
(22)筆者たちの研究によれば、バリュー・イノベーションの本質は、業界が対処すべき課題そのものを問い直すことにあり、すでに認識されている課題に解決策を見出すのとは異なる。
(23)戦略とは何かというテーマについては、Porter(1996)を参照されたい。その主張によれば、戦略は企業の活動全体を包含したものであるべきだが、業務オペレーションの改善は一部の部門だけで実現可能だとされる。
(24)同上。したがって、一部の部門が成し遂げたイノベーションは、戦略とはいえないことになる。
(25)構造主義の旗手としてはジョー・S・ベインが挙げられる。Bain(1956, 1959)を参照。


(c) Chan Kim & Renée Mauborgne
Excerpt from Blue Ocean Strategy by Chan Kim & Renée Mauborgne
Japanese translation rights arranged with Harvard Business Review Press
through Tuttle Mori Agency inc., Tokyo
無断転載・複製を禁ず

 

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『ブルー・オーシャン戦略』
~競争のない世界を創造する

世界100カ国超の先進企業に採用された、不朽の名作。血みどろの戦いが繰り広げられる既存の市場「レッド・オーシャン」を抜け出し、競争自体を無意味なものにする未開拓の市場「ブルー・オーシャン」を生み出す戦略を提示。新市場を創造する方策を初めて体系化することに成功した本書は、戦略論のバイブルとしていまなお世界中で読み継がれている。

 

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