たとえば、内容面を見てみましょう。学生時代のドロップアウト、起業家としての挫折、九死に一生を得た経験と、さすがにドラマティックではありますが、基本的には自分自身の日常生活とそこから学んだ教訓を語ったものです。

 また、構成面では、3つのストーリーを使った単純な構造となっており、難しい言葉も言い回しもほとんど使われていません。

 話し方についても、身振り手振りをほとんど使わず、アイコンタクトを多用することもなく、手元の原稿を読みながら話しています。スライドは1枚もありません。

 いずれも、特別なスピーチ技術やパフォーマンスがなくても実行できることばかりです。それでも、これほどまでの感動を人々に伝えることができるのです。

 それでは、ジョブズのスピーチがなぜ素晴らしいのかを具体的に探っていくことにしましょう。

3つの項目でジョブズのスピーチを分析する

 スピーチは、コンテンツ(内容)とデリバリー(話しかた)で構成されています。コンテンツの良し悪しは、「何を話すか」と「どのように構成するか」という2つの要素にかかっています。

 ジョブズのスピーチを、「アイデア」「構成」「話しかた」の3つの項目で分析してみると、以下のようになります。

◆アイデア

 ジョブズがスピーチで紹介した3つの話(「点と点をつなぐ」「愛と敗北」「死について」)は、自らの実体験でした。どこかで読んだり聞いたりした話よりも、自分自身で経験した出来事のほうが数段、迫力が出ます。

 ジョブズは、自らの失敗、苦悩、葛藤を包み隠さず、率直に打ち明けています。普通の人であれば、プライドや羞恥心から、ここまであからさまに過去をさらけ出せないでしょう。あるいは話し手としての自分を大きく見せようとして、成功話や手柄話をとうとうと述べてしまうことすらあります。しかしジョブズはあえて、自分の弱さを語りました。

 それは、ジョブズなりに、聴衆に思いを馳せたからなのでしょう。大学を巣立ち、これから社会の荒波に揉まれながら自らの夢に挑んでいく人たち、いつか世の中を変えるかもしれない若者たちに、自分が伝えられる精一杯の話をしようと思わなければ、踏み込んだ話はできないと思います。

 スタンフォードの卒業生は、とりわけ起業家精神が旺盛です。起業や新しいことに挑戦する際には失敗がつきものであり、それをいかに克服し這い上がっていくかが成功のカギを握っています。だからこそ、ジョブズは自らの苦い経験を通じて教訓を伝えたのです。

 社会に出るタイミングで、心から愛する仕事についている人はそう多くありません。これからどんな人生を送るべきか、迷うことも多いでしょう。それに対して、ジョブズは、自らの心の声がすべてを知っており、その声に従いなさいと言いました。うすうす気づいていても、なかなか実行できないことを、後押ししてくれています。

 あのジョブズが自らの弱さに触れている。そして100%信じていることを語ってくれる。自らの人生を俎上に乗せた渾身のメッセージは、聴衆の関心のど真ん中に突き刺さりました。