時間差を利用したトレードオフ・マネジメント
前回、「1つの主体が同時にトレードオフの2つの目的に取り組もうとすると失敗する」と述べた。それに対して、両利きの経営が提唱する二重構造は、厳密には1つの主体に2つの価値を追求させるのではなく、2つの組織を作り、同時にそれぞれの組織に別々の目的を追求させるという方法である。「1つの主体が」2つの目的(価値)を同時に追求するためには、分離した2つの組織をうまく融合しなければならない。しかし、先に述べたように、これがなかなか難しいのである。
他方、同時にトレードオフの目的を追求するのではなく、逐次的に2つの目的を追求する方法も考えられる。つまり、2つの目的がトレードオフである時、まず一方の目的をもっぱら追求し、一定期間が経ったら他方の目的を追求するように切り替える。このプロセスを繰り返すことによって、長期的にトレードオフの2つの目的を両方追求しようとする方法である。
ずいぶん昔のことになるが、私が学生だった頃、ある先生から自動車メーカーの開発体制について、以下のような話を聞いたことがある。新車を開発するときには、開発チームの編成方法が2つある。1つは、駆動や制動といった技術分野ごとにエンジニアが組織され、開発時にそこから人が派遣されてチームが作られる方法である。もう1つは、車種ごとに開発チームがあり、各分野のエンジニアがそのチームに所属するという編成方法である。前者の編成では、技術分野ごとにエンジニアが集まるので、分野ごとの技術力が高まるのに対し、後者の編成では、担当する車に対する評価を軸に考えるので、市場で評価される車ができるが、技術力が低下していくという。つまり、市場ニーズをつかむ能力と技術力とがトレードオフなのである。そこで、ある会社は、数年ごとに編成方法を切り替えることによって、売れる車を開発しながらも、技術力の衰えを防いだという話である。
ヤマト運輸も、時間差を使ってトレードオフに対処した例と考えられるかもしれない。ヤマト運輸が宅急便を始めるとき、サービスとコストがトレードオフの関係にあることが強く意識された。サービス(たとえば配送頻度や地域的なカバレッジ)を良くしようとするとコストがかさみ、コスト(営業所やドライバーの数)を抑えようとすればサービスは抑制されなければならない。
そこで小倉昌男氏は、「サービスが先、利益は後」という方針を打ち出した。当面、収支は度外視し、サービス向上に注力する。しかし、ずっと利益を無視するわけではない。サービスが向上すれば、荷物が増え(荷物の密度が濃くなり)利益が出るようになる。つまり、まずサービスを追求し、サービスで差別化ができるようになったら、次は利益を追求することができると考えたのである。
1つの主体が同時にトレードオフの2つの目的に取り組むことが難しいのが、「同時性」に起因するのであれば、追求する目的(価値)を逐次的に切り替えるというこの方法は有効かもしれない。最初にある目的を追求すると、その過程でもう一方の目的の達成を促す能力、資源が身につくのであれば、時間差を利用するこの方法は有望である。ただし、逐次的なマネジメントがうまくいくためには、切り替え時期を見誤らないようにすること、1つの目的を追求する段階で蓄積される能力・資源を、目的を切り替えた後でうまく活用することが肝要であろう。
(注1)「GE:リバース・イノベーション戦略 ―画期的な新製品は新興国から生まれる」、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2010年1月号内―
(注2)探索と深耕、「両利きの経営」については、入山章栄、『世界の経営学者はいま何を考えているのか』英治出版、2012年に要領よくまとめられている。





