ただし、チェスブロウ教授のこの定義はやや広すぎて、多くの研究者が「オープン」の意味を自由に解釈し、体系的な知識の蓄積が進みにくくなっている。くわえて、オープン・イノベーションに関する議論の大半は、研究開発(R&D)に関するものとなっている。しかし本来、イノベーションとは、技術と市場の対話、すなわち技術情報と市場情報の結合から生まれるものである。技術的に優れた新製品が市場で失敗しうることはよく知られた事実だ。市場で成功し、経済成果をもたらさなければ、イノベーションが起きたとは言い難い。

 そこで、本連載では、オープン・イノベーションをマーケティングの観点から考察してみたい。オープン・イノベーションによって、企業と消費者、他企業、企業と官公庁・大学等との間に、新たなネットワークがどのように形成されるのか。そして、その際に直面する課題は何か。具体的な事例とともに考えていく。

18世紀の事例からみえる、オープン・イノベーションの本質

 アメリカの製品開発管理学会(Product Development and Management Association)の新製品開発エッセンシャルズシリーズとして、2014年10月に出版された『オープン・イノベーション』(ノーブル他著)(注2)では、このチェスブロウの定義をわかりやすい比喩で説明している。この本によれば、従来のイノベーションプロセスが「光の差さないトンネルの中を突き進むこと」であるのに対し、オープン・イノベーションは「トンネルのあちこちに穴を開け、アイデアや技術やその他の知識が、その穴から自由に出入りできるようにすること」とたとえている。この例示は、オープン・イノベーションをイメージしやすいものだ。

 この本では、オープン・イノベーションの起源は18世紀にあると紹介されている。英国政府が経度の測定に関して懸賞金を出し、時計職人のジョン・ハリソンが資金援助を得た話や、ナポレオンが食品の新しい貯蔵法について懸賞金を出し、食品加工業者のニコラ・アペールが瓶詰めの保存方法を開発した話が、オープン・イノベーションの最も初期の事例である。さらには、リンドバークが1927年にニューヨーク・パリ間の単独無着陸飛行に成功したが、これはオルティーグ賞(ニューヨークのホテル経営者であるオルティーグが成功者に25,000ドルの賞金を提供)が挑戦者を生み、オープン・イノベーションを促した事例として捉えることもできる(前掲のノーブル他著参照)。