有力なテクノロジー企業はますます、ユーザーに政治行動を促して支援を求めるようになっている。賛否の分かれる自社のビジネスモデルを規制から守るため、新たな活動への支持を募るため、あるいは激しい政治的対立の場で自社の倫理観を示すためだ。
政治的メッセージをユーザー体験に組み込む企業の多くは、ソーシャルメディア・プラットフォームをみずから運営している。彼らは大勢のユーザーから政治的見解を募り、自社の利害を左右するターゲットにそれを差し向けることで、オンライン上の世論が「小川」ではなく「運河」のような太い流れになるようにしているのだ。
このようなアドボカシー活動(政治的・社会的な影響を及ぼすためのキャンペーン等)は、ほとんどが合法とされている。米国では企業が政治的メッセージを表明することや、大衆に当局者への接触を求めることは、合衆国憲法修正第1条が定める言論の自由で認められている。
だが、企業による行為が立候補者や選出議員に対する「現物出資」と見なされる場合には、事態はより複雑になる。たとえばタクシー配車サービスのウーバー(Uber)でタクシーに乗車することは、実際の商業的価値が生まれる行為だ。もし立候補者の決起集会に大勢の人々を連れて行く形で支援したら、連邦選挙委員会が定義する現物出資、すなわち何らかの価値を持つ物資やサービスの提供に相当する可能性がある。
透明性という観点で見れば、アプリを通じたアドボカシーは、企業の後援による社会活動の現状に比べるとより望ましいのは間違いない。支援を求める内容に加え、行動を起こすよう促している主体も明白である。ユーザーに働きかけているのはテクノロジー企業であり、自社のウェブサイトやアプリで、あるいは社名が入ったメールでアクションを起こすよう求めている。一部の企業は長年にわたり、「アストロターフィング」(本当のスポンサーを隠すために、草の根運動であるように見せかけるアドボカシー手法)を行う非営利団体をいくつもつくり、使い捨てにしてきた。それに比較すると、ウーバーに乗車してウーバー賛成派の集会に行くことは、極めて直接的だ。
プラットフォームの創造者が膨大な数のユーザーを動員して、自社が望む特定の政治行動を起こさせる。それができるようになる、新しい世界が始まったのである。企業は民主主義を利用するための新たな手段を手に入れたのだ。フェイスブックはけっして唯一の例ではない。
2015年7月、ニューヨーク市のウーバー利用者は、配車サービスのメニュー画面がいつもと比べて賑やかなことに気づいたかもしれない。利用可能な車種や実験的なフード・デリバリーのサービスに加えて、「デブラシオ」とだけ書かれたオプションが表示されていたからだ。
ビル・デブラシオ市長にちなんで名づけられた新しい「機能」は、25分の待ち時間を予告するとともに、「どうなることやら(See What Happens)」と書かれたボタンを表示した(さらに「車は来ない。なぜだろう(No Cars - See Why)」のボタンもあった)。そしてボタンをタップすると、市長と市議会の提案に反対するメールを送るよう促すメッセージが現れた。
市は、マンハッタンの交通渋滞にウーバーが悪影響を及ぼすという調査結果に基づいて、同社の車両増加率を年間1%に制限しようとしていたのだ。ウーバーはさらに、テレビ広告、メール、ロボコール(自動音声電話)といったより伝統的な手段も併用して集中砲火を浴びせた。
ウーバーの作戦は成功し、ニューヨーク市は増加制限の提案を撤回。政治闘争のメリットの有無とは別に、同社がアプリ内で実施した攻撃的な広告は、企業行動に関する新たな基準を設定することとなった。ユーザーを自社に都合のよい政治行動へと向かわせたいテクノロジー企業が、どこまでやってよいかが示されたのである。