前回、日本企業の変革を取り上げたが、不確実な未来に向けて、何から変わればよいのだろうか。生産性というシンプルな問いを投げかけたとき、従来的な生産現場やホワイトカラーにおける議論に加え、「非市場の戦略」というビジネスの土壌づくり、経営管理者ではない本当のリーダーのあり方など、課題が浮き彫りになってくる。気鋭の経営学者とコンサルタントがそれぞれの視点から議論し、インサイトを導き出す対談の第9回は、日本企業の生産性について考える。
AIと人間との競争の行方
日置 戦後に国を安定させるための社会のつくり方は、復興と高度成長には貢献しましたが、現在は様々な仕組みが過度に固定化し、そこに適応しすぎた企業がなかなか変われないでもがいているという状況が長く続いています。それを変えなければならないと考えている人は多いのですが、あまりにも課題が多く、問題の本質が見えにくいようです。
入山 いま必要なのは、シンプルな問題意識ではないでしょうか。
日置 経営にとって最もシンプルな課題の一つが生産性の向上です。OECD(経済開発協力機構)のデータでは、日本の労働生産性は国際的に見て低い水準にあり、リソースとしての人が不足する今後の人口減少社会では大きな問題です。また、日本再興戦略では「生産性革命」として、国としての投資から、産業、個人まで多層な生産性向上により国と企業の「稼ぐ力」を高める方針が掲げられています。
入山 生産性向上といっても、カイゼンのような一面的な捉え方では国全体としてのアウトプット効率を上げていくことは難しい段階に来ているということですね。
日置 生産性には、労働生産性、設備投資などの資本生産性、さらにはイノベーション投資における生産性など、多様な見方があります。例えば労働という観点では、AIによって機械による生産性向上が新たなステージを迎えようとしているこれからは、人間の工数だけでは「労働」を捉えきれません。インプットを区切った見方ではなく、全要素生産性で考えることが、今以上に重要になってきます。
AIの研究は、コンピュータの進化に伴って脈々と続いてきました。諸説ありますが、東京大学の松尾豊准教授の整理によれば、1956年のダートマスワークショップで人口知能 (Artificial Intelligence)という言葉が定義されてから、推論と探索の時代、1980年代からの知識の時代を経て、2000年にレイ・カーツワイルがシンギュラリティ(機械が人間の知能を超える技術的特異点)を提唱したことで、いよいよ現実的なものと見られるようになっています。労働力へのインパクトとしては、英オックスフォード大学マイケル A.オズボーン准教授による「人間が機械に取って代わられる可能性」が多くのメディアに取り上げられたことが象徴的ですね。
AIと人間の競争という事態をどう見ていますか。
入山 AI脅威論については、まだ確固とした見方を定めていませんが、ウェラブルデバイスの第一人者である日立製作所の矢野和男さんは、「AIは人間と共存できる。うまく使えばいいだけで、恐れる対象ではない」という立場を取っていて、僕もそれに近いですね。
人類は、その営みが新たな技術によって脅かされるという事態をすでに経験してきています。例えば産業革命では、機械化によって職を奪われることを恐れたイギリスの工員たちが、機械をぶち壊せという運動を起こしました。ラッダイト運動です。コンピュータが出た当初も、これと同じような議論があったのではないでしょうか。人間の頭脳はコンピュータで代替できると。
でも、歴史をひも解けばわかるように、機械もコンピュータも人間を完全には不要にしませんでした。AIも同じで、人間を駆逐するのではなく、人間の能力を補完するように働く結果、人間にとっての重要な能力が変わっていくだけなのではないかと考えています。例えば、AIが得意とする論理的思考力よりも感性やひらめきが大切になるというように。
日置 そうですね。少し前に、キヤノンが完全自動化の工場をつくると発表していましたが、完全自動化を実現するためには、様々な生産技術を統合して設計する技術者や、そのプロジェクト自体を率いるリーダーが必要ですからね。
AIの発達により、経営の仕事では、リーダーとマネジャー、つまりは企業家と経営管理者の違いが如実に表れるのではないかと考えています。ルーティンでオペレーショナルな判断しか下さない経営者は、いわばマネジャーですから、IBMの「ワトソン」に代わってもらえばいい(笑)。
一方で、ビジョンをつくったり、ビジネスを組み立てたり、リスクを取って新市場に出る決断を下したりといった、マネジメントよりもリーダーシップを持った創造性やデザイン思考、意志の力が求められる仕事では、人間がAIに代替されることはないでしょう。
入山 その代替に組織の大小は関係あるのでしょうか。
日置 あるでしょう。大企業ではマネジャーも多いので、本当にリーダーとしての仕事をしている人だけが必要とされ、マネジャーは代替されていくということは十分ありえます。