日本企業がグローバルで勝てないのは戦略が不在だからだ、という批判があるが、私たちは「戦略」を正しく捉えられているのだろうか。経営学における戦略論は複層的であるにもかかわらず、定石といわれるものを断片的にかじって妄信してはいないだろうか。気鋭の経営学者とコンサルタントがそれぞれの視点から議論し、インサイトを導き出す対談の第3回では、日本企業にとっての「戦略」のあり方を問い直す。
「戦略」の果たす役割とは
日置 前回はオーナー“系”企業の行動様式から、企業組織をグローバル化という「変身」に導いていくための姿勢と、その起点としてのビジョンや理念の大切さについてお話しました。組織=Structureと戦略=Strategyという企業経営において不可分な要素で整理するならば、組織側からの議論が中心でしたが、今回は日本企業にとっての戦略の有効性を考えてみたいと思います。

入山 それは私も大いに関心を持っています。日本企業でこの10年にダイナミックな変革を遂げた企業、例えば富士フイルムが事業の転換を図った際に、戦略は役に立ったのかと。
日置 確かに富士フイルムはフィルムからヘルスケアや高機能材料、医薬品をも手がける企業へと大きく舵を切って成功しましたね。そもそもこうした変革は、当初に戦略として描かれた意図に沿って進んだのでしょうか、それとも偶然性に助けられながら進んでいった結果なのでしょうか。
入山 それは戦略論でもよく議論されるポイントです。結局「戦略」が実際のビジネスの場面でどこまで機能したといえるか判断するのは難しいからです。先日スペインで行われたStrategic Management Society (SMS)という世界で最大の経営戦略学会の総会に出席しました。このSMSは最近「実務家に最も影響を与えた学者」に対してアワードを贈るようになったのですが、今年はマギル大学の著名経営学者ヘンリー・ミンツバーグが受賞しました。

日置 なるほど、ミンツバーグですか。僕は彼の『Strategy Process』(*1)という本をよく読んでいました。勝手な解釈ながら、5Ps(*2)におけるPerspective論のように大々的に掲げた目標や意図された(Intended な)戦略よりも、実行の過程で生まれる“emergent”なものこそが実現されるという立場をとっているのが印象的でした。戦略策定を“craft”と表現し、いわば「走りながら考える」「創発的な」ところに戦略の真があるという姿勢は、今の時代の企業経営に近い感覚ではないかと思います。先生はミンツバーグのアプローチをどのように捉えていますか。
入山 彼は、日本では『戦略サファリ』(東洋経済新報社)で知られていますが、現在も彼は、マイケル・ポーターのようないわゆる「ポジショニング派」らが主張する戦略論は、絵として描く分には問題ないが、企業活動の場面の実感とは違っていると批判し続けています。企業・経営者が実際に行動し始めてみるとほとんどの戦略はうまくいかなくて、プロセスの中で段々正しい方向性が湧き上がってくるものだという独自の主張を展開しています。
日置 ポジショニングがどうだと言っているのも、後づけでストーリーとしてつくられたものが多く、実際はそうではないという指摘もしていますね。
入山 そうですね。よく挙げられるのが、本田技研工業(Honda)が1960年代に米国にバイクで参入して成功した時の例です。このHondaの成功をポジショニング派の見地から、ある米コンサルティング企業が、当時流行ったSWOT(強み、弱み、機会、脅威の4要因による事業環境把握)等を使って、同社はポジショニングを考えて低価格戦略で参入したから成功したと分析したのです。しかし、その後スタンフォード大学の経営学者がHondaの幹部にインタビューしたところ、「アメリカで売れるかどうかやってみよう、というほかには、戦略なんて考えてはいませんでした」と言われたのだそうです。
日置 新興メーカーだったHondaが勢いに乗って米国に進出して、営業のためにスーパーカブに乗って走り回っていたら、小さな二輪車がパワフルに走っている姿が衆目を集めて火がついた、という話ですよね。直接の営業行為ではなく、営業の過程ではからずも製品が有名になったと。現実の企業活動では、意外なところから道が開けることが結構あるようですね。
入山 事前にある程度の絵は描いたとしても、実は全然違う方向に落ち着いて、結果として上手くいっているように見えている場合もあります。だとすれば問題は、事前に絵を描くこと、戦略を立てることにどれだけ意味があるといえるか、です。それでも、Hondaでいえば米国で受け入れられる二輪車を売るという大枠の構想に覚悟を持って挑み、臨機応変に模索したから方向性が見えたのかもしれません。
日置 そうですね。シンプルな発想の戦略だけ立てて、結果的にずれていったけど、その方針があったから進められたケースは結構ありそうです。どこに収斂するかというゴールは、初めからすべてのバリエーションが見えていたわけではなく、やっていくうちに見えてくるものもありますから、そういう軸と柔軟性のバランスを持ったプロセスとして戦略を捉える姿勢は重要ですね。
*1 “Strategy Process” Henry Mintzberg, James Brian Quinn, Sumantra Ghoshal, Prentice Hall College, 1998
*2 5Ps = Perspective(展望)、Position(業界におけるポジショニング)、Plan(計画)、Pattern(成功パターンやベストプラクティス)、Ploy(交渉や力学)