最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第9回は、LINE執行役員の葉村真樹氏により、人生のさまざまなステージで出合い、自分のキャリアをより充実させるヒントを得た論文が紹介されます。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

コロンビア大学大学院で出合った
ポーターとドラッカーの深い洞察

 私は日本で大学を卒業した後、コロンビア大学の建築・都市計画大学院に留学して、都市計画を学びました。当初は建築や都市デザインに興味を抱いていましたが、勉強を進めるなかで徐々に、都市間競争や経済格差をいかに解消すべきかへと、自分の関心が移っていることを実感していました

 マイケル・ポーターの存在を知ったのは、その頃だったと思います。20代前半だった私は、『競争の戦略』(ダイヤモンド社、1995年)で「ファイブフォース」の概念を、『競争優位の戦略』(ダイヤモンド社、1985年)で「バリューチェーン」の概念を学びました。

 企業は顧客に価値を提供するために、自社を取り巻く環境下でのパワーバランスを把握し、さらに価値創造のプロセスを構造化する必要がある。ポーターのこうした視点で当時の都市計画を分析すると、建造物というハードが軸となり、それを既存のリソースで強化するだけで終わっていることに気づかされました。

 ポーターは、ある事象を戦術的に細かく捉えるのではなく、その事象を含めた全体像をダイナミックに捉えます。都市間競争や地域経済開発にアプローチする際にも、ポーターの発想を応用しながら思考することで、新たな気づきを得るという経験ができました。

『DIAMONDハーバード・ビジネスレビュー』(DHBR)に出合ったのも、同じ頃でした。米国の大学なので当然ではありますが、コロンビア大学の図書館にある書物のほとんどは英語で書かれています。ただ、東アジア図書館(C. V. Starr East Asian Library, Columbia University)という図書館には、日本語の書籍や雑誌もたくさん置いてありました。米国で暮らしていると日本語が恋しくなることがあり、私はその図書館に通いつめて日本の書籍や雑誌を読み漁るようになり、その過程でDHBRにも自然と目を通すようになりました。

 DHBRの論文の中で、私の人生に特に大きな影響を与えたと言えるのは、ピーター F. ドラッカーの「知識主導社会の現実」(DHBR1993年3月号)です。この論文が掲載されたのは1993年ですから、2020年なんて遠すぎる未来の話です。それでも興味が湧いて目を通すと、それが私の行動を大きく変えるきっかけになりました。

 ドラッカーは冒頭で、「知識は個人にとっても、また経済全体にとっても、“最も基本的な”資源」だと言っています。そのうえで「専門的知識だけでは何も生産できない。物が生産できるようになるのは、知識がタスク(仕事)に統合されたときだけである。だからこそ、知識社会というのは組織(体)の社会なのである」と言い、かつては18、19歳までに学んだことが生涯に必要な知識のすべてだと言えたが、組織体の社会では、4、5年で新しい知識を習得しないと時代遅れになると指摘しています。

 私は大学院生で勉強の真っ最中だったので、常に自分の知識を更新し続けないと生き残れないという考え方は、ここで安心してはいけないという危機感とともに深く心に刺さりました。大学院修了後にシンクタンクで働いたのち、次のキャリアとして広告会社やインターネット企業を選びましたが、その選択には、この論文の影響も受けています。若いうちは「できること」ではなく、あえて「できないこと」に挑戦することで、能動的に知識をアップデートしなければならない。そう考えるようになっていました。

 また、組織とは新たなタスクを実行するために存在するのであり、そのためには常に革新が必要になる。組織は破壊や革新を目指す運動体の主体であるからこそ、維持や安定を目指す家族のような社会コミュニティとの軋轢が生じる。この対立は高まり、解決するかどうかわからないが、組織が社会の「共通善=公益(common good)」をどのように表現するかが重要である。ドラッカーは、このように述べています。この視点は非常に重要だと納得し、いまも心に残っています。

 これは、拙著『破壊』(ダイヤモンド社、2018年)で提示した企業の生存戦略と完全につながっている考え方です。拙著では「共通善」を“Value Proposition”と表現しました。日本語では「存在価値」と翻訳できるのですが、特定の組織や人が提供できる価値と、ほかの人(社会)が必要としている価値の交わる部分が、この“Value Proposition”(存在価値)です。

 私は、その存在価値が不明な企業は、現在のディスラプション(破壊)の時代で生き残ることはできないと考えています。ポーターのバリューチェーンを持ち出すまでもなく、企業はある特定の価値(バリュー)を提供するための運動体の主体であり、組織です。それに存在価値がなければ、その企業は当然不要なものとして淘汰されていく運命なのです。

 別の見方をすれば、現在の日本企業の多くは、ドラッカーのいうところの「組織や革新を目指す運動体」ではなく「維持や安定を目指す」ものとなっています。企業が企業としての役割を果たしていない、それが日本の現状なのではないか。そのような課題認識に至るうえでは、この論文がとても参考になりました。

『イノベーションのジレンマ』を通して
顧客視点で仕事を進める価値を再確認する

 先ほどお話ししたように、私は大学院を修了後に帰国して、国内のシンクタンクで都市計画の仕事を担当していました。もちろん、そこでの仕事を通して多くの学びも得ましたが、隠さずに言うと、役所から補助金を確保して箱物をつくる支援のようなこともやっていましたし、なかには「使われない空港」の建設を支えるような仕事もありました。

 この計画は誰のためにやっているのか。そんな葛藤を抱えながら働いているなか、会社の図書館で目にしたのが、クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」(DHBR1995年7月号初出、DHBR2013年6月号再掲)でした。これは、私がその後の事業戦略やマーケティング戦略を考えるうえで常に大切にしている、基本的な考え方を教えてくれた論文です。

『イノベーションのジレンマ』では、技術ではなく、まず顧客に着目したうえで、いまの言葉でいえばアジャイル(敏速)にプロジェクトを回すことが大切だと説いています。当時の都市計画の世界は真逆であり、とにかく計画ありきで、かつウォーターフォール型で進められていたので、新鮮さと驚きを感じました。

 ただ、そこで振り返ってみたのですが、コロンビア大学の大学院で学んだことも、それに近い発想であったなとも気づきました。たとえば、ある講義の最初のワークショップでは「公園の改善計画」という課題が与えられました。教授から「とにかく観察しろ」と言われたので、寒い中、公園で来る人たちをずっと観察していました。すると、公園の中をキョロキョロしながら去って行く人がいて、それも1人や2人ではないことに気づきました。彼らに「何を探していたのか」と質問すると「ゴミ箱の場所がわからない」と答えるのです。理由がわかれば「あぁ、たしかに」と思えますが、公園の表面的な機能ばかりに囚われていると、なかなか気づけないことでもありますよね。

 先生はその課題を通して、建物は箱から考えるのではなく、それを使う人たちが何を必要としているのかを基点に発想することが大事だと伝えたかったのだと思います。これは人間中心の考え方であり、デザイン思考の基本でもあります。『イノベーションのジレンマ』からは、顧客視点でものを考える意味を教えてもらいましたし、自分はすでにその価値を肌で感じられていたと思い出すきっかけにもなりました。

セオドア・レビットが
60年前に書いた論文に衝撃を受ける

 それからは、マーケティングの世界への関心が自然と高まっていきました。そして、まったくの未経験ではありましたが、博報堂への転職を決めました。物事を企画し、それを実際に動かす広告会社の仕事は、短期で一定の成果が出るのでPDCAを高速で回す勉強になると思ったからです。

 私はもともと「人を動かす」ことに関心がありました。都市計画の仕事を選んだのも、そのためです。都市が変わることで人の行動は大きく変わります。広告会社の仕事は、その究極です。自分が担当した商品やサービスがヒットすることで、人間の消費が変わり、最終的には、その人の人生に影響を与えることもある。その意味では、博報堂での仕事はとても充実したもので、その期間に得た気づきは現在も活かされています。

 博報堂では主に、クライアントのブランディングやマーケティングを担当していました。この頃は、とにかく仕事に直結する雑誌や書籍を中心に読みあさっており、たとえばデービッド・アーカーの『ブランド優位の戦略』(ダイヤモンド社、1997年)は2冊持っていて、1冊は自宅、もう1冊は会社に置き、何度も読み返しました。

 DHBRもかなり読み込みましたが、スコット・ワードの「IT企業のブランド・マーケティング」(DHBR1999年11月号)は印象に残っています。ブランドは企業の消費者に対する約束であり、顧客の内面への評価によってつくられるものである。そして、ITという機能性が追求される世界でもブランドが重要だと語られており、その内容はとても腹落ちするものでした。

 また同じ頃、「ポーター vs. バーニー論争の構図」(DHBR2001年5月号)を興味深く読みました。ポーターは私に「戦略」を教えてくれた人です。それがいったいどんな論争につながっているのかと気になり、目を通しました。

 ポーターが企業の競争力の決定要因として外部環境を重視するのに対し、バーニーは個別企業の内部環境を重視する。はたして、正しいのはどちらなのか。乱暴に言うとそういう議論だったのですが、実は、私はこれを読んで別のことを考えていました。両者の対立は、市場が存在する環境だからこそ成立するものであり、市場が崩壊して価値を提供する枠組みそのものが変わると、その前提から覆されるのではないか。そんな疑問が湧いきたのです。

 この疑問に答えをくれたのが、クリステンセンの「セグメンテーションという悪弊」(DHBR2006年6月号)でした。私がまだマーケティングやブランディングの現場にいた頃に目にしたこの論文は、まさに目からうろこの体験をさせてくれました。

 私は当時、ブランド戦略やマーケティング戦略の専門家としてキャリアを築いていきたいと思っており、あのクリステンセンが「ブランド」を語っているのも驚きだったのですが、私が日常的に行なっている「セグメンテーション」を否定したタイトルは目を引きました。

 ただし、本当の意味で目うろこだったのは、クリステンセンの論文そのものより、論文中に引用されていたセオドア・レビットの「消費者は4分の1インチ径のドリルを買いたいのではない。彼らがほしいのは4分の1インチの穴だ」という格言でした。

 レビットは1960年代、『マーケティング発想法』(ダイヤモンド社、1971年)という本の中でこれを書いていたそうです。また、「マーケティング近視眼」(HBR1960年発表、DHBR2001年11月号新訳)では、馬車の鞭メーカーを例に挙げて、このように語っています。「輸送事業とはいかなくとも、動力源に対する刺激、あるいは触媒を提供する事業だと定義していたら、ファン・ベルトかエア・クリーナーのメーカーとして生き残れたかもしれない」

『セグメンテーションという悪弊』は、現場で「セグメンテーション」に明け暮れていた私にとって、腑に落ちるものでした。私の主なクライアントの中に、フォード傘下のマツダがあり、フォードからやって来たマーク・フィールズという若い経営者は、マツダのブランディングに力を入れていました。彼らと一緒にまず取り組んだのが、自動車購入者を価値意識でセグメンテーションすることでした。そして、マツダのファンになりうる人たちをあぶり出し、彼らが期待する価値とマツダが提供できる価値との共通点を探り、そこを中心にブランド価値を規定し、ブランド戦略を仕掛けていきました。

 これは、たしかにセグメンテーションを行っているように見えますが、セグメントしたターゲットカスタマーの「ドリルの穴」をブランド価値として規定したものであり、実はセグメンテーションではない。そのように再考するきっかけを与えてくれました。

レビット、アーカー、クリステンセン……
先人たちが積み重ねてきた思考の価値

『セグメンテーションという悪弊』の内容は、最近の「Jobs to Be Done:顧客のニーズを見極めよ」(DHBR2017年3月号)へとつながっていく考え方ですよね。クリステンセンは10年以上前に同様の問題を提起し、レビットに至っては60年近く前にその話をしている。その事実には驚かされます。

 顧客中心という言葉は、私自身もよく使う言葉ですが、この多用が誤解を招いているような気がします。消費者を年齢や性別、ライフスタイル属性や心理的属性で類型化し、それと消費との「相関関係」だけに着目することで、誤った方向に進んでいるように思います。重要なのは、顧客のその時々の状況や行動プロセスにおける「因果関係」であり、そして、その状況ごとで求められる “Jobs to be done”が何か、を見極めることなのです。

 ただ、この “Jobs to be done”が「片付けるべき用事」と翻訳されていることで、その本質がなかなか理解されていないのではないでしょうか。ここでいう「片付けるべき」ものとは単なる機能、すなわちドリルの例でいう穴ではなく、それが情緒的なもの、そして自己表現的ないし社会的なものを含むという事実が見過ごされがちです。

 たとえばドリルの例で考えると、ドリルで穴を開ける時の振動と音がとにかく好き、工具デザインとして惚れ惚れするという顧客がいるかもしれません。それは情緒的な“Jobs to be done”です。あるいは、世の中にドリル愛好家なるものがいて、どのブランドの、どのバージョンのドリルを持っているのかが、自己表現や愛好家同士の交流につながっていることもありえます。

 そのように考えると、レビットがいうドリルの穴や、クリステンセンがいう“Jobs to be done”が、アーカーが『ブランド優位の戦略』で提唱したブランド価値構造、すなわち「機能的価値」「情緒的価値」「価値」とも一致することは偶然ではない。そう思います。

 いま考えても、1960年代に書かれた古典から最新の論文に至るまで、同じことを別の言い方で表現していることは驚きです。それはすなわち、多くのことはすでに、天才と言える先人たちに発見され、体系化されているということです。

 それを踏まえて重要なのは、そのような天才たちが考えたことを、自分なりに咀嚼し、思考し、行動に組み入れることではないでしょうか。私を含め、現場で働く多くの人間は天才ではありません。しかし、古今東西の天才たちの考えを自分なりに咀嚼することで、思考を鍛えることはできます。また、それをみずからの血肉にまでできれば、天才の頭脳を借りながら思考し、行動できるようなります。過去の作品を含めて、こうした論文を読み続ける価値はそこにあると、私は思います。

人と組織を動かすヒントを
ダニエル・カーネマンから学ぶ

 その後、広告会社を退職してから現在まで、私はインターネットの世界で仕事をしています。みずからの知識を更新し続けたいという気持ちもありましたし、博報堂で消費者の行動を調査しているときに、彼らの行動はインターネットで検索するところから始まると気づき、消費者の行動に明らかな変化が訪れたことを実感したからです。

 インターネットについてもっと知りたい、知らなければ生きていけない。それには、そのムーブメントの渦のど真ん中に行くしかない。そこで選んだのが、Googleでした。「渦のど真ん中」で自分の価値を発揮したいという想いはいまも持っており、その後、Twitter、LINEへと働く場を変えていったのは、そうした側面もあります。

 これまで、いろいろな企業で働く中で感じたのは、私が得意とするのは、0から1で事業をつくることではなく、1を10に、10を100に成長させることです。そのときに重要となるのが、組織をどのように変革するか、です。1人ではできないことをチームでやるのが企業ですから、組織も環境に合わせて変化させることが不可欠です。

 それを実践する際、ダニエル・カーネマンの「意思決定の行動経済学」(DHBR2011年11月号)は、とても参考になりました。たとえば、論文で言及されている「認知バイアス」とは、見たいものを見たいようにしか見ないという人間の性質です。その事実を踏まえながら、人と組織をどう変えればよいのかという視点を提供してくれました。

 実は、この論文が掲載されたのは、自社の営業プロセスをどう変えるか、そのために組織をどう変えるかを検討していた時期だったので、現状維持派を説得する方法を検討していました。そのとき、この論文を参考にしており、ネガティブな事態を好転させるマネジメントを実行するうえでも役に立ちました。

 DHBRに掲載されている論文のほとんどには、現場ですぐに使えるような即効性はないと思います。しかし、とにかく実用性ばかりを求めすぎる風潮への強い疑問もありますし、どれほど即効性ある情報であっても、それは多くの知識の積み上げを通して生まれた成果の中の、さらに上澄みでしかありません。目の前にある情報の価値や真偽を判断するためには、いまを知る努力だけでなく、過去を知る努力も必要ではないでしょうか。DHBRを読み続けることは、その実践である。私はそう考えています。