最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第15回は、ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生であり、パロアルトインサイトCEOの石角友愛氏により、AI時代の生き方を考えるうえで役立つ記事や論文が紹介されます。(構成/加藤年男、写真/鈴木愛子)

私はハーバード・ビジネス・スクール(以下HBS)で学び、2010年に卒業しました。在学中はケース・スタディをこなすことに精いっぱいで、論文を読む余裕はそれほどありませんでしたが、HBSを卒業してからは『Harvard Business Review』(以下HBR)をよく読むようになりました。
私がいま携わっているのは、急速に変化を遂げるAI(人工知能)ビジネスです。ふだんは仕事だけでなく子育てもあるため、自分のために使える時間は限られますが、だからこそ意識的に、最先端の動向をインプットするように心がけています。
たとえば、HBSの卒業生に送られてくるメールマガジンは必ず読んでいて、そこで興味を持った記事や論文にアクセスすることがよくあります。また、HBRのオンラインサイトにアクセスして、「イノベーション」などのキーワードで検索して能動的に知識を得るようにもしています。
ただ、積極的にインプットするようにはしていますが、新しい情報をやみくもに追いかけて最先端を知り尽くすだけでは、ただの物知りにすぎません。その情報が、いまの仕事やいまの自分自身とどう関わってくるのか。興味のある分野をアップデートして、常にオプションを増やしていくよう意識して情報収集することが大切だと考えています。
HBS時代に大きな影響を受けた先生の一人に、クレイトン・クリステンセン教授がいます。クリステンセン教授の著作は『イノベーションのジレンマ』から始まり、最新刊の『繁栄のパラドクス』まで読みました。
パロアルトインサイトは、日本のクライアントのために、シリコンバレーの最先端のAI技術とAI戦略を活用して、提案から開発、実装までを行います。日本のクライアントの目線に立ったとき、この会社は『イノベーションのジレンマ』状態にあると感じることがよくあります。どうしても技術開発ばかりに目が向いてしまい、イノベーションではなく改良に集中してしまうのです。
クリステンセン教授はよく、“performance-defining component”と言っています。この言葉は、業界ごとのバリューチェーンにおいて、消費者が最も重視するコンポーネント(構成要素)は何かを考えるために使われます。
モバイルでいえば、かつてはプロセッサの容量、要するにデータ容量がコンポーネントでした。しかし、ダイヤルアップ接続がWi-Fiになり、これから5Gが当たり前になっていく中で、コンポーネントがデータ容量からスピードへと移っていくことはセオリーだと言えるでしょう。このように、マクロな環境変化とともに、消費者にとって大切なコンポーネントが移動していくのです。
私は、いまマクロな要因を変化させるドライバーは、AIだと思います。実際、AIが浸透することにより、“performance-defining component”があらゆる業界でどんどんシフトしています。簡単に言うと、企業の勝負どころが変わってきているということです。
いまやAI技術は社会のインフラです。AIを使わずにイノベーションを起こすのは不可能な時代を迎えて、AIをビジネスモデルに落とし込み、企業の付加価値をつくることが求められています。私たちAIビジネスデザイナーはその役割を担いますが、そこではクリステンセン教授をはじめとして、HBRが提供するようなマクロの視点を持つことが、より大事になってきていると思います。
私がいま最大のテーマとしているのは、「AI時代をどう生きるか」です。そこで今回は、そのヒントを与えてくれる記事と論文を選びました。ちなみに、どの論文を参考にするかはテーマで選ぶことにしており、誰が書いたのかはそれほど気にしません。綿密なサンプルスクリーニングを行い、優良なコンテンツを選別しているHBRの編集者のセンスを信じているからです。
人の判断は恣意性に満ちている
「履歴書に出身階級をほのめかすことで損をするのは誰か」は、法律事務所の実験をもとに執筆されました。この記事は、私の近著『いまこそ知りたいAIビジネス』でも引用しています。
著者たちは、米国の法律事務所に送った300以上の履歴書の情報を意識的に操作して、どんな履歴書だと面接の誘いがきやすいかをテストしました。そこには、米国では性別や人種、貧富の差などによる採用差別はいっさい禁止されているにもかかわらず、実際はそうなっていないという問題意識があります。
著者たちが操作した情報はまず、人名です。ファーストネームを見れば性別が判断でき、ファミリーネームを見れば米国社会における経済的なバックグラウンドや人種がわかります。この実験で用いられた「キャボット」は富裕層であることを想像させ、「クラーク」は低所得層の出身であることを喚起させると言います。
また人名だけでなく、大学でどんなスポーツをやっていたか、趣味は何かという情報も履歴書に追加しました。大学時代に陸上競技やサッカーをやっていた人は低所得層出身であることを想起させ、セーリングやポロは富裕層を連想させます。また趣味については、カントリーミュージックやジャズを嗜むのは低所得層を、クラシックは富裕層と結びつきます。
その結果、男性で富裕層の出身だと思われるバックグラウンドを持つ人が、最も面接に誘われました。学歴や成績は一緒にもかかわらず、一部の情報を変えただけで面接に誘われる確率が大きく異なったのです。その割合を比較すると、男性の富裕層出身者が16.52%に対して、女性の富裕層出身者は3.8%しか面接に呼ばれませんでした。一方、低所得層出身者の男性は1.28%まで低下し、女性は6.33%でした。
この実験を通して、わずかな情報の違いが、その人の人生を左右することがわかりました。もう1つわかったのは、人間がとても恣意的な意思決定を下しているということです。自分の会社で誰を雇うべきかという極めて重要な判断においてすら、個人の能力とは無関係なバイアスで決まってしまう事実が可視化されました。
GDRPが制定されて以降、「データは誰のものか」という議論が活発に交わされるようになりました。採用については、自分の履歴書に載せる情報を自分で選べるようになっています。スポーツや趣味を履歴書に書くかどうかは個人の自由ですが、仕事と無関係な内容が採用を決めるのであれば、自分を表現するための情報を賢くつくり込み、器用に開示しようと考えるのは当然です。極端な話をすれば、応募者がセーリングとクラシックが好きな人ばかりになってしまう。そんな社会を期待している人は、どこにもいませんよね。
この実験自体にAIを用いているわけではありませんが、AIビジネスに携わる人たちが学ぶべきことは多いと思います。なぜなら、データをつくったり、それをラベリングしたりするのは人間だからです。こうした恣意性の塊のような前提をAIに学習させると、クラークという名字で陸上をやっていた人は、貧しい家庭の出身なので面接に呼ばない、という判断を助長する可能性があります。これは、重大な社会問題を引き起こす恐れがあるでしょう。
社会的な問題をはらむだけでなく、企業が採用でAIを導入する際の壁にもなります。AIによる採用で高評価を得るための書類の書き方や、好意的に思われる話し方や身振り手振りが世間に浸透したら、自社に本当に必要な人材を見極めることができません。AIと人が融合する未来を考えるうえでも、この実験は興味深く、私たちがこれから直面する課題を象徴していると思います。
時代の大きな変化に
どうすれば適応できるか
「ポートフォリオ・キャリアを成功させる7つの方法」では、「ポートフォリオ・キャリア」と呼ばれる、複数キャリアを持つことの価値が示されています。自分の収入源をいくつか持っているという狭い理解ではなく、本業以外のコミュニティに属して、多様な情報に触れている人もポートフォリオ・キャリアの実践者です。
大学を卒業してから1つの会社のコミュニティで40年という人と、さまざまな環境に飛び込んで試行錯誤を繰り返しながら成長するという経験をした人では、適応力に圧倒的な差がつきます。また、いろいろな物を見ておくと、学問の専攻や業種・業界の壁を越えて横断的に統合する力や、多様な価値観が身につきます。
私の場合、本業とは別に執筆活動を行っていますし、家に帰れば母親という顔もあります。山登りのコミュニティに入って山登りをしたり、ヨガをやったりもしています。自由に使える時間は限られていますが、意識してさまざまなコミュニティに参加して、多様な視点を持つことが重要だと思うからです。
アップルのスティーブ・ジョブズが、「我々はリベラルアーツとテクノロジーの交差点にいる」と言ったように、高校や大学で知識として学んだことと、仕事や趣味を通して経験してきたことの交差点で何が見えるかという発想は、とても大切ではないでしょうか。
AIに関する知識は不可欠になりましたが、ゼロ・イチで何かを生み出すことや、異なるものを組み合わせて新たな価値を創造することは、AIにはできません。そのためAI時代には、AIを使いこなすと同時に、ポートフォリオ・キャリアで得られる考え方ができる人が求められています。言い換えると、自分自身が変わらず、決まりきった仕事をやるだけの人は、それこそAIに取って変わられてしまうでしょう。
ただし、日本企業に関していえば、AI導入率が3%程度と言われており、いますぐ仕事が奪われるようなこと起きないでしょう。米国企業の導入率が40%に迫ることと比べると、とても大きな差が開いています。日本では脅威論ばかりが注目を浴びてしまったように感じますが、孫正義さんが日本を「AI後進国」と表現したことは客観的な事実なのです。
この現状は、日本ではまだまだ無駄な仕事が行われていることと、これから大きく変わっていく可能性を示しています。だからこそ適応力が重要であり、次々と登場するテクノロジーや新しい考え方、生き方、働き方を自分の中に取り込み、新しい価値を生み出す力が大切になってくるでしょう。
データ主導からAI主導へ
「意思決定を『データ主導』から『AI主導』に進化させる」も、AIに関する寄稿です。著者のエリック・コルソンは、ファッションテックを先導するスティッチフィックスでチーフアルゴリズムオフィサーを勤めています。ネットフリックスでデータサイエンスのトップを務めていたとき、スティッチフィックス創業者兼CEOのカトリーナ・レイクに引き抜かれました。エリックのメッセージから学ぶことは多く、私も以前から注目していました。
この記事では、「データドリブン」から「AIドリブン」という考え方が紹介されています。データドリブン経営と言われるようになりましが、どれほどデータを集めても、意思決定できなければ意味がありません。AIドリブンは、データを集めて、意思決定のサジェスチョンやレコメンデーションまでをAIが担い、最終的な判断は人間が行います。私はAIと人間の協業作業と呼んでいますが、その仕組みをつくれる会社がこれから成長すると考えており、スティッチフィックスはその好例です。
スティッチフィックスはエリックだけでなく、機械学習のデータサイエンティストをたくさん抱えており、イノベーティブな取り組みをしています。最先端の技術をファッションに導入し、プロダクトサービスモデルに昇華しました。企業がいくらAIを技術的に追求したところで、機能の裏側はどうでもいいと考えるユーザーが使いやすいものでなければ、意味がありません。そのギャップを埋めたのが、スティッチフィックスのすごさだと思います。技術そのものだけではなく、ユーザーにどのような体験を与えられるかを重視しています。
冒頭のイノベーションのジレンマに関する話題でも触れたように、カスタマーファーストが大事とよく言われるものの、最先端の技術を活用してカスタマーファーストをどうやって実現するのか、その具体策を持てていない会社は多い。スティッチフィックスは、AI技術を活用しながら、すべての意思決定でカスタマーファーストをベースにしている点で、注目に値する企業ではないでしょうか。
AIによるレコメンドだけでなく、需要予測、仕入れ、在庫管理、物流、さらにはトレンド予測にも活用しています。これから流行する洋服のデザインについても、AIを使って予測しているのです。ただし、それだけではありません。3500人のスタイリストを雇い、ファッションのプロとAIを協業させています。まさしくAIドリブンカンパニーであり、ここで書かれているメッセージは日本企業にも広く受け入れられると思います。
また、この記事では、データドリブンは非効率的だということも書いてあります。素晴らしいデータを取得しても、人間がそれをサマリーし、それを読んだうえで人間が最終判断を下すというやり方では、どうしても恣意性が出てきます。たとえ生データを集約したものでも、それを見た人間がどう思うかに委ねられているわけですね。その段階でAIを活用するとより効率的な判断が可能になり、公平性や透明性が増すという考え方には納得感がありました。
なお、スティッチフィックスCEOのカトリーナ・レイクは、HBRに「AIとスタイリストの融合で顧客体験を変えた」(DHBR2018年11月号)という論文を寄稿しています。レイクは「優れた人材と優れたアルゴリズムの組み合わせは、最高の人材だけ、または最高のアルゴリズムだけを集めた場合よりも、はるかに大きな効果を上げられる」と書いていますが、これこそAIと人間の協業作業が生み出す価値だと思います。
ネットフリックスの成長と停滞から学ぶ
最後にご紹介する「ネットフリックスが成長を続けるために何をすべきか」は、私の恩師であるアンドレ・ハジウ先生による記事です。ハジウ先生は、私がIT業界に進みたいと考えるきっかけを与えてくれました。
私は、HBSで1年生から2年生に上がる時期、戦略コンサルティング会社でサマーインターンをしており、たまたま日本の大手新聞社のデジタル化プロジェクトを担当させてもらい、そこで初めてデジタルに触れました。HBSに入る前はビジネス・インキュベーションの世界にいてITとは縁遠かったのですが、そのプロジェクトがものすごく面白かったんですね。
そこでHBSに戻ってから、ハジウ先生の「戦略とテクノロジー」という講義を受講しました。それがまたすごく面白く学びがあり、卒業を控えたタイミングでキャリアに関する相談をしました。「先生の講義でITに興味を持ちました。でも、戦略コンサルティング会社からオファーをもらっているし、いまからIT業界で就活しても、うまくいく保証はありません。どうしたらいいのでしょうか」と尋ねたところ、「せっかくハーバードでMBAを取ったのに、やりたいことをやらないでどうするんだ!」と一喝されてしまいました。
ハジウ先生のその言葉は、私の背中を押してくれました。それから卒業と同時に娘を出産し、生後3ヵ月の娘を抱えながら、オファーもコネもなくシリコンバレーに飛び込み、結果としてグーグルで働くことができました。このときの決断が、自分の人生を大きく変えたと思っています。
ハジウ先生による「戦略とテクノロジー」の講義は、さまざまなIT企業の戦略とビジネスモデルを網羅する内容でしたが、私が受講したのは2008年頃だったので、この記事に登場するネットフリックスはまだ取り上げられていませんでした。新しい企業とテーマに触れながら、当時の学びを思い出しました。
記事にも書かれていますが、ネットフリックスはここ数年、会員数の伸びが鈍化しています。米国では約50%の世帯が加入しており、国内での大きな成長は期待しにくい状況です。今後は、海外、特に欧州と東南アジアでどれくらい新規ユーザーを獲得できるかがポイントになるなか、その取り組みが少々遅れているのが現状です。
それを受けてハジウ先生は、ネットフリックスは、コンテンツを提供するだけでなく、コンテンツのプラットフォーマーに移行すべきだと提案しています。その考え方はとても斬新で、ネットフリックスがなぜそれをやらないのかと自分なりに考えてみることも、自社のビジネスモデルの転換を検討するうえで、重要な問い掛けになると思います。
今回ご紹介した記事や論文は、新しい作品ではありません。しかし、いま読んでも多くの学びがあります。HBRのコンテンツは普遍的なメッセージが展開されているので、発展性、汎用性、応用性があり、色褪せることがないと考えています。