ホールディングの概念を最初に提唱したのは、英国の精神分析学の先駆者ドナルド・ウィニコットだ。彼は、十分に抱っこされることが子どもの健全な成長に不可欠だと考えた。
そばにいるが厳しすぎない、安心させるが押し付けがましくない、敏感に反応して受動的ではない、完璧でなくても存在感がある。そのような親は「ホールディングの環境(抱える環境)」を与え、子どもは安心でき、好奇心が育つ。
ホールディングは、子どもが自分の内面と社会を理解して、双方を管理する方法を学び、確かな自己を育む余裕をもたらす。これは、自分の能力と限界を健全に認識できる自己であり、学んで、遊び、働き、苦難に直面し、それでも希望を持ち続けることができる自己だ。
ウィニコットによれば、子どもを上手に抱きしめるケアテイカー(世話をする人)は、苦悩や運命の転機からかくまっているのではない。子どもが苦悩を自分で処理できるように緩衝材となり、自分の経験を語る言葉を見つけ、乗り越える方法を見つけられるように子どもを手助けするのだ。
「怒っているの? だからお兄ちゃんを蹴ったの? こちらにいらっしゃい。お兄ちゃんに、あなたの熊をいじめないでと、一緒に言いましょう」
十分に抱っこされている子どもは、成長するにつれて、より社交的になって自立すると、ウィニコットは考えた。困難に直面して動けなくなったり、親などに救いを求めたりすることもない。必要なときに助けを求め、助けをうまく利用できるのだ。
ウィニコットはこれを「本当の自己」と呼んだ。本当の自己は、世の中で自分の道を自由に切り拓いていく。そのような強さと自由こそ、親の優れた愛情がもたらす結果と言えるかもしれない。
ウィニコットはさらに、そのような愛情を受けた人は、今度は他人に与えることもできると指摘した。自分を抱きしめ、他人を抱きしめることが身につくのだ。
よいホールディングは、安心と勇気を与えるだけではない。私たちという人間を育てる。これはウィニコットの重要な洞察であり、当時もいまも革新的な考え方である。
彼の研究は、社会化は私たちを飼い慣らし、神経症に陥らせることもあるという、フロイトの考えを一歩進めた。そのような事態が起きるのは、私たちがどのような人間になるべきかというビジョンを権威者が押し付け、自分がどのような人間になれるかを自分で見つける余裕がなくなったときだけだと、ウィニコットは考えた。
神経症は、社会化が私たちの本能に作用した結果ではなく、社会化が私たちの可能性を損なった結果である。精神的な健康と自由は、新しい関連性を探り続けている。
生存と成長のためにホールディングが必要なのは、子どもだけではない。大人もまた、生涯を通じてそれを求めている。
困難に直面し、新しい状況に適応し、その過程で成長するために、リーダーや組織からのホールディングが必要だ。そして、私たちは互いに抱きしめ合わなければならない。
ただし、ホールディングの定義を児童発達学の分野を超えて広げると、違う種類のホールディングがある。
ウィニコットは後年の研究で、自分が研究の大半を費やしてきた直接的で親密なホールディングは、対人的なホールディングがあまり必要ではないほど安全で自由な社会という、より広い文脈でこそ最も機能すると示唆している。それが民主主義社会の機能の一つであり、近親者にそれほど頼る必要がない社会に発展することだと、彼は考えた。
私は自分の研究において、対人的なホールディングと、より広い制度的なホールディングの定義を区別している。理想的なリーダーは、危機の最中も、その後も、両方のホールディングを提供する。その方法を見ていこう。