経済政策で公衆衛生政策の失敗を補うことができる

 1つひとつの景気後退の原因やプロセスはすべて異なるが、コロナ禍をきっかけに世界の国々で起きている景気後退には、共通するパターンがある。医療上の緊急事態を受けて、国民生活に制約を課す公衆衛生政策が採用され、その影響により経済に深刻なダメージが及ぶ、というパターンだ。そこで、その問題に経済政策によって対応する必要が出てきている。

 新型コロナウイルス危機では、公衆衛生政策と経済政策の間に、ある程度の代替関係が見られている。この2つの政策の関係を通じて、マクロな結果が大きく左右される。

 公衆衛生政策がうまくいけば、経済政策による対応を行うためのコスト、そのような政策を実行することのリスク、対策の難度は抑えられる。一方、公衆衛生政策により感染拡大を防げない場合は、思い切った経済政策を実行することで、公衆衛生政策の失敗をある程度埋め合わせることができるのだ。

 米国の経験は、この点を浮き彫りにしている。コロナ禍が続くうちに、豊かな国はウイルスを簡単にコントロールできるという楽観論は、いとも簡単に崩れ去った。国の経済力よりも、いくつかの側面での政府の能力――公衆衛生政策、政府内の調整能力、コミュニケーション能力、世論の支持など――のほうが重要だとわかってきたのだ。

 しかし、米国は公衆衛生面で厳しい状況に置かれているが、第2四半期の経済面の状況は、欧州よりも好ましい。公衆衛生面の状況では、米国よりも欧州のほうが良好だと一般に考えられているにもかかわらず、である。

 このような結果を生んだ最大の要因は、米国の経済政策上の対応が迅速で、徹底していて、幅広いものだったことにある。この面では、米国が欧州を凌駕していた。コロナ禍の米国では、経済政策の能力が公衆衛生政策の失敗をしっかり埋め合わせたのである。

 要するに、医療上の危機を最低限に抑え込むことが、それ自体として重要な目標であることは間違いないが、医療上の結果が経済上の結果にも直結するとは見なしにくい。国によって、経済政策上の対策を実行する能力と意志に違いがあるからだ。

今後の展望とリスク

 以上のように、コロナ危機の影響がまちまちな状況から、今後の経済についてどのようなことが言えるのか。

 株式市場は、未来を予測する一つの材料になる。株価は、将来のキャッシュフローの現在価値を映し出すものとされているからだ。

 専門家の見解を見ると、米国の一部の市場が危機前の水準を完全に取り戻すまでの道のりは、かなり険しいものになると考えている論者が多い。実体経済が甚大な打撃を被っていることがその根拠だ。

 それに対し、株式市場の状況は、公衆衛生政策と経済政策の間に代替関係があるという見方を反映しているように見える(コロナ禍でビジネスを拡大させたテクノロジー企業の比重が大きいこと、マイナス金利の進行により投資対象として株式の魅力が高まっていることなど、株式市場特有の事情があることも事実だが)。

 米国で空前の経済政策が実行される可能性は十分あるが、公衆衛生政策が危機を「どうにか切り抜ける」以上の成果を上げると期待することは、現時点では楽観的すぎる。それでも、過去に例のない規模の経済政策が実行されれば、それに伴うコストとリスクが上昇する可能性は高いが、公衆衛生政策がもたらす経済的ダメージを和らげる効果はありそうだ。

 株式市場は、米国の経済政策の意思と能力が公衆衛生政策の弱さを補ってあまりあると考えている。米国には、景気刺激策を拒絶しない文化があり、ドルの準備通貨としての地位、政府の借り入れ能力、インフレが抑え込まれている状況により、景気刺激策に関して世界でも肩を並べる国がないくらい高い能力を持っているのだ。

 このような見方が一因となって、米国市場の強力なパフォーマンスが実現している。いま米国市場はきわめて力強い回復を見せているだけでなく、欧州などとの比較でも高いパフォーマンスを記録している。

 ただし、こうした見方には2つのリスクがついて回る。不安材料の1つは、マーケットが早期のワクチン開発を前提に動いていることだ。新型コロナウイルスのワクチン開発が精力的に推し進められる結果、通常より早く開発にこぎつけると期待されているのだ。

 もしワクチン開発が失敗したり、大幅に遅れたりする気配が少しでも見られれば、この見通しが崩れる。そうなれば、経済政策によって経済を機能させられるという期待が揺らぎかねない。

 これよりもいっそう潜在的危険が大きいのは、もう1つのリスクのほうだ。それは、経済政策をもってしても経済活動を支え続けられない可能性があるという懸念である。

 以前、このウェブサイトへの寄稿で記したように、そのような事態はたいてい、政府の能力不足(市場が国債発行を拒絶する)と意志不足(政治が行動しようとしない)のいずれかによって生じる。米国では政府の能力不足が問題になる可能性は低いが、意志不足が問題になる可能性はある。

 新型コロナウイルスによる甚大な危機が始まったとき、国内の政治的対立は抑制されていた。しかし、危機が長引き、選挙が近づくと、超党派精神が退き、党派間で互いに妥協を拒む姿勢が頭をもたげてくる恐れがある。コロナ禍への経済的対応が政争の材料になる危険性は排除できない。