差別撤廃の方針に実効性を持たせる

 性自認と性別表現による差別を禁じる企業の方針は、言葉の上では申し分ない。しかし、ほとんどの場合、実際の運用では、差別から人々を守る効果を発揮できていない。

 きわめて進歩的な企業も含めて、大半の企業では、差別撤廃を「もしあなたがトランスジェンダーだと名乗り出れば、差別はしません」という意味に解釈している。このような解釈をする場合、トランスジェンダーやノンバイナリー、ジェンダー・ノンコンフォーミングの人たちは、自分を守ろうと思えば、カミングアウトしなくてはならなくなる。支援と引き換えに、プライバシーを犠牲にすることが求められるのだ。

 たとえば、社員の性別移行に関する企業の制度には、全社を対象とする研修に加えて、個人の性別移行について全社にメールで通知する仕組みが盛り込まれているケースが少なくない。

 差別撤廃に関する方針について社員に研修を行う時は――特に採用担当者や、採用を行う部署のマネジャー、人事部門のマネジャーへの研修では――その方針に従って行動するためには、以下の点に留意すべきだと明確に伝えるべきだ。

・どうしても必要な場合以外は、ジェンダー関連の個人情報を集めない。
・個人の性自認と、どのような人称代名詞で呼ばれたいと思っているかを勝手に決めつけない。
・個人がどのような人称代名詞で呼ばれたいかを尊重する。
・「男性」「女性」以外の性自認を選択できるようにする。
・性別に関わりなく利用できるトイレやロッカールームなどの施設を設ける。
・服装規定を脱ジェンダー化し、具体性を高める。

自社の採用慣行を検討する

 私たちの研究によれば、採用慣行は、差別撤廃の方針が一貫して効果を生み出せない領域の一つだ。採用を行う部署のマネジャーはたいてい、トランスジェンダーの人たちが採用プロセスで名乗り出るものと思っている。

 トランスジェンダーの人たちのインクルージョンを推進するための施策は往々にして、個人を「男性」と「女性」に分類し、その中間にある人たちや、そのような分類が当てはまらない人たちの存在を前提にしていない。しかも、男性か女性かを問うことが本当に必要なのかを再考することもしない場合が多い。

 ソーヤーは、トランス男性。みずからの呼称として希望する人称代名詞は「he/him」だ。以前、性別移行の初期にある企業の求人に応募した時のこと。採用面接の際、面接担当者から希望する人称代名詞を執拗に尋ねられた。

 その問いに対して「he/him」「she/her」でも構わないと答えても、面接担当者は納得しなかった。「いま選んでください。職場で快適に過ごしてほしいので、教えていただけないと困ります」

 キャメロンは、ジェンダーフルイド。「he/him」「she/her」の両方を用いていた。これまで、職を見つけるのに苦労してきたとのことだった。

 ある就職説明会に女性的な服装で参加した時は、外見が原因で採用担当者たちに遠巻きにされた。別の説明会で、自分がジェンダーフルイドであることを打ち明けると、ある採用担当者は、1週間働いてもらってもよいが、そのためには「一貫した」服装をすると約束してほしいと言った。

 安定した雇用を得るためには、ジェンダーフルイドであることを隠し通し、職場ではシス男性として振る舞う以外にないと思い知らされた。そうした妥協をすることで職を得ることができたが、それと引き換えに、精神的・情緒的な幸福感には壊滅的なダメージが及んだ。