本連載では『ハーバード・ビジネス・レビュー』を支える豪華執筆陣の中から、特に注目すべき著者を毎月一人ずつ、東京都立大学名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選します。彼らはいかにして、現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会として、ご活用ください。本稿では、ロンドン・ビジネススクール教授のマイケル G. ジャコバイズ氏についてご紹介します。

ギリシャ民間企業のエコノミストを経て、
ウォートンからロンドン・ビジネススクールへ
マイケル G. ジャコバイズ(Michael G. Jacobides)は1970年、ギリシャのアテネに生まれた。現在50歳。ロンドン・ビジネススクール(LBS)のドナルド・ゴードン卿記念講座教授として、起業家精神とイノベーション、および戦略を担当している。
また、2017年からケンブリッジ大学ジャッジ・ビジネス・スクールで客員フェローを務める傍ら、2018年からはボストン コンサルティング グループ(BCG)の研究組織であるBCGヘンダーソン研究所のアカデミック・アドバイザーも務めている。なお、ギリシャの高名な画家であるゲオルギオス・ヤコビディス(Georgis Jakobides)は、ジャコバイズの曾祖父にあたる。
ジャコバイズの主な研究対象は、産業の進化、価値の移転、企業の境界、組織デザインである。修士課程の選択科目では「ターンアラウンド・マネジメント」を、博士課程では「戦略の経済的基盤」を、エクゼクティブ・プログラムでは「価値創造戦略の開発」と「デジタル時代の創造的破壊」をテーマに講義を担当する。最近の研究テーマは、デジタルプラットフォームとエコシステムの誕生と発展、およびその戦略的・制度的課題に関してである。
ジャコバイズはアテネ大学で経済学を専攻し、1992年に優秀な成績(Summa Cum Laude)で卒業した。卒業後は、ギリシャを代表する建材メーカーのタイタン・セメントでエコノミストとして勤務し、ギリシャにおけるセメント需要の予測などを担当した。
その後、1994年にペンシルベニア大学ウォートンスクール(以下ウォートン)に進学し、応用経済学と経営科学の修士号を修得した。さらにウォートンの博士課程に進み、進化経済学で著名なシドニー G. ウィンター教授の指導を受け、2000年に経営学(戦略)のPh.D.を授与された。
博士論文のテーマは、“Capabilities, Transaction Costs, Information Technology and Profitability in the Unbundling Mortgage Banking Value Chain: A Study of the Drivers and Implications of Changing Vertical Scope”(モーゲージバンクのバリューチェーンを解体することによるケイパビリティ、取引コスト、情報技術および収益性―垂直統合度の変更を推進する要因とその意義に関する研究)であった。
この論文では、モーゲージバンク(住宅ローン専門の金融機関)のバリューチェーンに注目し、業界の分業化が過去1世紀でどのように進んだかを検討した。そのうえで、モーゲージバンクが過去数十年にわたっていかなる「解体(アンバンドリング)」を経験したかを明らかにし、垂直統合度を変更する動機となった技術的・制度的要因、および競争上の影響を検証した。
ジャコバイズはウォートンの博士課程に在籍中、講師として学部生に経営学を教えていた。その後、博士課程修了後の2000年に非常勤の助教授として採用されたが、同年にLBSの戦略と国際経営を担当する助教授に就任。2007年にはLBSのテニュア(終身在職権)の准教授に昇任し、2009年に起業家精神とイノベーションを担当する教授に就任し、2019年からは戦略講座も兼任している。
変化の絶えない時代に
業界の覇者であり続けられるか
ジャコバイズが『ハーバード・ビジネス・レビュー』(Harvard Business Review、以下HBR)誌に最初に寄稿した論文は、“Strategy Tools for a Shifting Landscape,” HBR, January-February 2010.(邦訳「ストーリーによる戦略構築のすすめ」DHBR2010年11月号)である。この論文では、乱気流の時代において、従来の静的なツールによる戦略立案方法は見直されるべきであるとし、「台本」(Playscript)を書くことを提案している。
台本を書く際は、自社、競合、顧客など「キャスト」を特定し、キャストそれぞれのの役回りとその関係を明らかにして、現在と将来のプロットやサブプロット、ストーリー・ラインを考える。この作業はシンプルであるが、現状の環境が固定されたチャート類とは異なり、現実の変化に応じて更新できるので、不測の事態への備えになる。
たとえば、イケアの場合、価格の安さとデザイン性だけが成功を支えているわけではない。3層から成るサプライヤーとの間でそれぞれの役回りを決めて、その関係を慎重に管理することで、コストメリットと品質向上を実現した。その結果、「組立て家具の小売販売」から、「ライフスタイル・ファニシング市場の支配者」へと進化を遂げている。
ジャコバイズは台本による戦略策定の効果として、社内の士気や連帯感が高まり、戦略の実効性が増すこと、戦略のフィードバックループが始動し、台本が逐次アップデートされることを指摘している。
“How to Drive Value Your Way.” with John Paul MacDuffie, HBR, July-August 2013.(邦訳「バリューチェーン 覇者の条件」DHBR2014年6月号)は、バリューチェーンにおいて、既存企業が価値を守り、新規参入者が価値を獲得する要件は何か、それを実践するために企業は何をすべきかを論じた。
たとえば、コンピュータ業界では長らく、IBMなどの製造・販売を行うメーカーが価値を獲得していた。しかし、バリューチェーンを構成する各機能の分業化が進み、また多くの部品メーカーや互換機メーカーが参入したことで、オペレーティング・システム(OS)を提供するマイクロソフトやマイクロプロセッサーを提供するインテルといった、バリューチェーンの上流に位置するサプライヤーに価値が移転したことはよく知られている。
これとは対照的に自動車業界では、多くの完成品メーカーや部品メーカーが参入して激しい競争に直面しながら、完成品メーカーからサプライヤーに価値の移転は起きていない。この違いはどこから生まれるのか。ジャコバイズは、価値が移転するかどうか、価値が移転するとしたらバリューチェーンのどこへ向かうのかを明らかにしたうえで、企業は4つの方法で影響を及ぼすことができるという。
第1に、代替の効かないプレイヤーになること、第2に、製品のエンドユーザーに対する「品質保証人」になること、第3に、エンドユーザーのニーズの変化に忠実に従い製品デザインを行うこと、第4に、成長ストーリーを意識して、自社のポジションをバリューチェーンの上流へ戦略的に移動することである。
そしてジャコバイズは、ある産業での成功とは、競争優位性の創出よりも、バリューチェーンの中で自社に価値を移転できる能力で決まると主張した。
エコシステム間競争が激化する中で
戦略をどのように構築すべきか
「我々の競争相手は、携帯電話によって当社の市場シェアを奪ったわけではなく、完璧なエコシステムによりそのシェアを奪った」(Our competitors aren’t taking our market share with devices; they are taking our market share with an entire ecosystem.)
この言葉は、携帯電話会社ノキアのCEOを努めたスティーブン・エロップによるものだ。これを機に、エコシステムの存在が注目を浴びるようになった。
エコシステムという概念は、ジェームズ F. ムーアがHBR誌に寄稿した "Predators and Prey: A New Ecology of Competition," HBR, May-June 1993.(邦訳「企業“生態系”4つの発展段階」DHB1993年9月号)の中で提唱された。エコシステムの構成要素としては、自社、顧客、市場仲介者(エージェント)である流通業者、補完業者、サービス提供者、サプライヤー、さらに株主、政府機関、規制当局、標準化団体、競合企業も包括される。
エコシステムの特徴は、第1に、事業を単一産業ではなく複数産業の視点で捉えることの重要性を示したことであり、第2に、企業間の競争や協調(協働)という相互作用を通じて、相互の「共進化」する視点を示したことである。
そのうえでジャコバイズは、“Towards a Theory of Ecosystems,” with C. Cennamo, C. & A. Gawer, A., Strategic Management Journal, 39(8), 2018.の中で、エコシステムを「階層では完全にコントロールされず、相互補完性の程度が多様かつ一般的でないアクターの集合」と定義している。
ジャコバイズがHBR誌に2019年に寄稿した、“In the Ecosystem Economy, What’s Your Strategy?,” HBR, September-October 2019.(邦訳「エコシステム経済の経営戦略」DHBR2020年2月号)では、エコシステムをベースとした経営戦略を提示している。
この論文では、エコシステムが生まれた経済的背景として、第1に、業界間の規制による保護がなくなったことで、他の事業領域の組織が自由に提携できるようになったこと、第2に、規制改正とデジタル化によって製品とサービスの区分が曖昧になり、サプライヤーネットワークが製品とサービスをバンドリングして提供できるようになったこと、第3に、モバイルデバイスが普及したことで購入パターンが変わり、これまで無関係であった財とサービスが結びつく可能性が劇的に拡大したこと、という3つを挙げている。
業界の垣根を越えて、製品と補完的なサービスが複雑にバンドルされたエコシステム間の競争では、企業を中心とした従来の競争戦略のフレームワークはほとんど役立たず、エコシステム中心の新たな戦略のフレームワークが求められる。ジャコバイズは新たなフレームワークを構築する課題として、以下の5つを挙げている。
(1)他社の価値創造を支援できるか
(2)自社はどんな役割を果たすべきか
(3)エコシステムの参加条件をどう設定すべきか
(4)自社の組織は適応できるか
(5)どのようにエコシステムを管理すべきか
ジャコバイズは、エコシステムによって競争の本質が変化したことに加えて、エコシステムがもたらす意義にも言及した。たとえば、アパレルや食品分野で資源の再利用と廃棄物削減の促進が見られるなど、協業による社会的な好循環が生まれ、エコシステムが企業の経済的利益と社会的利益の橋渡しになると指摘している。
「新しい現実」にどう対処すべきか
ジャコバイズらは、“Adapt Your Business to the New Reality,” wtith Martin Reeves, HBR, September- October 2020.(邦訳「『新しい現実』にビジネスをどう適応させるか」DHBR2021年2月号)では、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが経済社会の変化をもたらす中で、ビジネスをどう対応させるべきかを論じた。
新型コロナウイルス感染症は、一時的には深刻な経済危機をもたらす。しかし、中国でSARSの発生を契機としてeコマースへと購買行動が構造転換したように、パンデミック終息後も続く持続的変化が起きて、それは新たなビジネスの成長の機会を生み出す。そのためパンデミックを機に効果的な投資を行い、ビジネスモデルを再編成すべきと主張する。
たとえば、多くの小売業者はパンデミック以前から、デジタル化が進む中での対応として、実店舗の存在を再定義し、ビジネスの形態を変化させてきた。しかし、パンデミックを通じた成長機会を分析する時には、既知の事柄を分類するのではなく、データを深く掘り下げて、これから出現するであろう隠れた変則性や予期せぬ傾向を洞察しなければならない。
もちろん、パンデミックで変化したのは消費者の購買行動だけではない。リモートワークやビデオ会議を活用した勤務スタイルの変化などは顕著である。この状況は、資本力に優れた大企業にとってチャンスとなる。
たとえば、2008年のリーマンショックで危機に直面したアメリカン・エキスプレス(アメックス)は、債務不履行の増加、個人消費の減少、資金調達の制限により、クレジットカード会社として深刻な脅威にさらされた。アメックスは危機の終息後を想定し、預金獲得事業に参入したことで、クレジットカード事業者から、プラットフォーム型サービス事業者へとビジネスモデルを転換させている。
危機で生じた変化の中には、その後も続くものがある。そのチャンスを掴むためには、資金をまんべんなく振り分けるのではなく、経営資源を再配分し、リスクを取って資本投資しなければならないと、ジャコバイズらは主張した。
危機に直面したリーダのあり方を問う
ジャコバイズが生まれたギリシャは、2009年に「ギリシャ危機」に直面した。
ギリシャは1981年にEU加盟が認められ、2001年にユーロを通貨として採用した。ユーロを採用したことで、ギリシャの長期金利は1993年の時点で23.7%であったが、2001年には5.3%、2005年には3.6%まで低下し、フランスやドイツなど海外金融機関からの借入が容易となった。
ギリシャでは、総選挙で勝利した時の政権が選挙功労者を10万人規模で公務員として採用したために、公務員が約500万の労働人口の4分の1に上っていた。加えて、所得代替率94%とという手厚い年金制度もあり、国民は比較的豊かな生活を営んでいた。
しかし、2009年10月、新民主主義党(中道右派)から全ギリシャ社会主義運動(左派)に政権交代が起きたことで、GDP比で数%程度とされていた財政赤字が、実際には13.6%であることが明らかになる。ギリシャの債務危機が顕在化したにもかかわらず、新政権のリーダーは危機に際して楽観的であった。発表された財政健全化計画が厳しさに欠けたことでギリシャ経済に対する不安感は助長され、同国の国債は格下げされた。
その後、IMF(国際通貨基金)やEUが金融支援を決定したものの、その条件には付加価値税の引き上げ、年金改革、公益事業の民営化、公務員給与の削減など厳しい緊縮財政・構造改革を求めた。それらの条件の受け入れに反対する大規模なデモや暴動が頻発し、国内の政治的混乱が続いた。
ジャコバイズは英国に住むようになってからもギリシャに対する愛着を持ち続けて、常にギリシャのことを考えてきた。経済危機に直面した際は、ギリシャ国民と政権指導部は、債務危機がもたらすショックの大きさを理解していないのではないかと危惧し、債権者である外国の金融機関とギリシャ政府とのコミュニケーションの乏しさについても批判している。
2011年、ジャコバイズはLBSの同僚、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの友人と協力して、LBSにギリシャの主要政党の元大臣や現職の国会議員、中央銀行の政策立案者、ギリシャ国内外の金融機関や研究者を招き、ギリシャ問題に関するフォーラムを開催し、その政策課題を明らかにした。さらにダボス会議(2011/2012)では、世界経済フォーラムと協力して、ギリシャ問題に関するセッションの企画を支援した。
ジャコバイズがHBRオンラインに寄稿した“Good Leaders Can Overcome Institutional Inertia in a Crisis,” HBR.org, May 18, 2020.(邦訳「優れたリーダーは危機への対処にとどまらず、持続的な変化をもたらす」DHBR.net、2020年6月23日)では、新型コロナウイルス感染症がもたらしたパンデミックという危機を事例に、新たな課題に直面した際のリーダーの決断のあり方を論じている。
危機に直面している時、優れたリーダーは率直かつ大胆に対応しなければならない。ジャコバイズは、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相とギリシャのキリアコス・ミツォタキス首相を、それを実践する好例として挙げた。
ギリシャは、新型コロナウイルスの第一波でいち早くロックダウンに踏み切り、欧州の中では死者数を大きく抑制できた国の一つである。GDPのかなりの部分を観光業に依存し、観光産業への経済的懸念がある中、ミツォタキスは2020年3月初旬にギリシャ全土のロックダウンを決断した。また、この危機を利用して、記録的な速さで巨大な官僚制度のデジタル化と合理化を進めるなど、リーダーシップを発揮している。
ジャコバイズは、優れたリーダーは危機を乗り切るだけではなく、危機を大胆な改革の機会と捉えるべきだと主張する。ギリシャ危機ではリーダーシップが抱える問題が露呈したが、コロナ危機では優れたリーダーシップを発揮できた裏側には、ジャコバイズのように自国の発展を支え続けたプロフェッショナルたちの貢献があるのではないか。