相手の感情を切り捨てる言葉

 多くのリーダーは、自分が従業員の感情を切り捨てるような、有害な言葉を使っていることに気づいていない。筆者らが何百人ものリーダーと仕事をしてきた中で感じているのは、何気なく放った素気ない言葉が、実は思いやりから生じたものである場合が多いことだ。

 彼らは、従業員をサポートし、問題を克服する助けとなり、その人物が感じる苦痛をできる限り和らげたいと願っている。ところが、苦痛を極小化しようとするあまり、相手の価値まで極小化してしまうことがある。

 その一方で、職場に感情を持ち込むべきではないと考えるリーダーもいる。彼らには共感力が欠如しているので、相手がどのような人間で、いかなる状況に陥っているかを理解しようとしない。それゆえ、感情が意思決定や問題解決を左右するという現実を無視し、感情が創出する成長機会を活かすことができなくなる。感情を無視したとしても、それがなくなるわけではない。

 精神的・感情的な苦悩を打ち明けた際、よく見られる反応をいくつか挙げてみたい。

・切り捨てるような言い回し:「そこまで悲しむ必要があるのでしょうか」「あなたには素晴らしい仕事/家族/それ以外の物があるのだから、悲しむ必要はありません」などが該当する。

・極小化:「誰でも、そのような気持ちになる時があります」から「何も心配することはありません」まで、さまざまな形態がある。

・否定:よく耳にするのは、「いや、もっとひどい場合だってありますよ」「それは贅沢な悩みでしょう」といった言い方だ。

・解決策の提示:「心配すべきではありません」「ぐっすりと眠れば大丈夫ですよ」というように解決策を示す。

・有害なポジティブさ:「よいほうに目を向けよう」「物事にはすべて理由があるはずだ」などの言い方がこれにあたる。ポジティブな視点は有用だが、それが唯一の視点である場合、効果が見込めない可能性がある。

 このように感情を無視した言葉を用いると、相手の気持ちや葛藤は本物ではない、あるいは無用だというメッセージを送ることになり、相手がすでに示した恥の感情を増幅させることにもなりかねない。

 誰かが悩みを抱えてあなたのところに来たならば、その人物が自分のことを気に留めてもらえず、話を聞いてもらえず、サポートされていないと感じて帰ることだけは絶対に避けたいと、あなたは思うはずだ。