筆者が感じ、経験したのは、労働者の独自性や経験、将来の希望や目標を抑圧するシステムだった。それは人々を、成長する人間ではなく、実行されるべきプログラムコードのように扱うシステムだ。なぜそれが問題なのかといえば、仕事とは、肉体的・知的な労力をお金に換えることだけのものではないからだ。人が仕事で日々行っていることは、自分を自分たらしめている、もっと広範な人生のナラティブ(物語)の一部だからだ。

 歴史的に見ると、企業は、従業員が仕事での混乱や不安に対応し、対処するために必要な物理的、社会的、心理的空間を提供することによって、従業員がみずからの未来の物語を書き換えていく上で重要な役割を担ってきた。たとえば、従来の企業は、従業員に適切な環境やリソースを提供し、それによって従業員はアドバイスや励まし、フィードバック、訓練を受け、あるいは与えてきた。同僚の問題をともに解決し、マイナスの結果をともに克服し、予測可能で安全な同僚、上司、メンターのネットワークを通じて社会的つながりを培うことができた。

 従来の企業のこのような特徴は、全体として、従業員が「自分は何者なのか」という問いに答えることを支援した。

 オンデマンドエコノミーのドライバーの多くが、この問いに答えられずに葛藤しているように見えた。

 筆者がインタビューしたあるドライバーは、こう説明している。「自分を持ち込もうとするけれど、アプリがそれをさせてくれないというか(中略)アプリが率先して人間性を奪っている(中略)自分らしさを打ち出そうとしなければ、ないものとされる(中略)一日が終わる頃には、自分がロボットになったように感じる」。

 別のドライバーは、もっと率直にこう語った。