「ドライバーの姿は(顧客の)目に入らないのです(中略)ドライバーは存在しない(中略)そこにいないのと同じです」。
筆者自身、ラスベガスで1週間に40時間以上配達員をして、初めてこの現実を実感した。研究論文に書いたように、筆者が経験し、インタビューしたドライバーの多くが語ったのは、「宙吊りの自転車を漕いで進もうとしているようなもの」だ。車輪の下には、推進力をくれる道路もない。がむしゃらに漕げどペダルはむなしく空を切り、縛りがない代わりに創造もない。動いていると同時に止まっているのだ。
これは、プラットフォームがドライバーや配達員の募集で謳っているメッセージとは真逆である。たとえば、「大切なものに向かって運転」(リフト)しながら「限りなく前進」(グラブハブ)できる。「願望から人間関係まで」(グラブハブ)「あなたのどんな目標も」(アマゾンフレックス)「あなたが世界を動かす」(ウーバー)ことで「長年の夢を実現」(ドアダッシュ)できる。何と言っても、「ボスはあなただ!」(ウェイター)。
しかし、あるドライバーが筆者に語ったように、「(運転・配達の)サイクルから抜け出せず(中略)進歩がなく、何カ月経っても同じことの繰り返し」だと感じているドライバーにとって、そんな可能性は嫌味か、そうでなくても現実味のないものだった。
プラットフォームの約束が守られないことに不満を抱くドライバーたちは、不当な扱いをオンデマンドワークの根源的なアイロニーだと表現している。つまり、ドライバーから人格を奪い、脅威に感じている特徴(アルゴリズムによる管理、同僚へのアクセスの欠如、法的保護の薄さ)が、わずらわしい説明責任を軽減してくれてもいる、という。
「車内という自分だけの場所にいられる(中略)二度と会うことのない相手に対して何の責任もない」とあるドライバーはいう。別のドライバーもこう語った。「会社勤めで、すぐそこに上司が座っていたら(中略)発言や対応に気をつけるでしょう(中略)でもドライバーなら、自分が青が好きだと言って、誰かが嫌いだと言っても、いちいち気にしなくていい(中略)上司が見ていませんから」。