本稿でここまで記してきた内容を見て、ムーンショット型のアプローチは好ましい姿勢なのではないかと感じた人もいるだろう。そうした印象は間違っていない。このような発想は組織にとって必要なものだ。その点を否定するつもりはない。
実際、世界を大きく変えたエキサイティングな企業の数々が誕生した背景には、しばしばムーンショット型のアプローチが存在した。アマゾン・ドットコムやテスラの場合もそうだったし、ネットフリックスやズーム、ウーバーの場合もそうだった。このような目覚ましい成功を遂げた企業を築いたリーダーたちの名前は、広く知られていて、世界中の企業経営者たちの思考を刺激してきた。
しかし、ムーンショット型のアプローチは成功しすぎたのかもしれない。この10年間、この種の思考が企業の資本配分のあり方で主流になり、その結果として、地に足のつかない意思決定が目立ち始めたのだ。以前であれば、突飛すぎると切り捨てられたようなアイデアが、ムーンショット型の思考に基づいて、いかにも理にかなったもののように位置付けられるようになった。
そうした風潮の下、極めて健全で恒久的なビジネスモデルを持っている企業まで、現状を大きく変えるような未来志向のビジョン──人工知能(AI)、ブロックチェーン、バーチャル空間、クラウドサービス、宇宙開発など──にいますぐ「全力投球」しなければ、時代から取り残されると思い込むようになった。こうして、これらの分野で資産やリソースや人材を獲得、構築したり、買収したりすべく、コストを度外視した熾烈な競争が展開された。
一方、価値重視型の思考様式を実践する人たちは、へそ曲がり扱いされたり、心配性だとか、臆病だとか、近視眼的だとか、あるいはさらにひどいレッテルを張られたりするようになった。こうした人たちがしばしば挙げる事例研究の数々は、次第に旧時代の遺物のように扱われるようになった。1970年代と80年代のテレダイン社の資本効率についての研究や、規律のあるビジネスシステムを通じてリーダーシップ開発に取り組んだダナハー社に関する研究もそうだし、90年以上にわたり市場の浮き沈みを何度も経験しながら、柔軟に、しかし慎重に価値を創出してきたアリゲニー社に関する研究や、健全な資本配分のモデルで有名なバークシャー・ハサウェイ社に関する研究もそうだ。
筋金入りの価値重視派の多くは、こうした状況に圧倒されて、黙ってしまったように見える。この10年ほど、果敢にリスクを取りにいくアプローチが好ましい結果につながり、自分たちの考え方が「不正解」であると実証され続けているように感じられたのだ。
しかし、時間が経過して、金融緩和の時代が終わりを迎えるに伴い、価値重視の考え方はそれほど間違ってはいなかったのではないかと思えてきた。さらに言えば、このような人たちが自分の意見を述べることで「抑制と均衡」のメカニズムが働くはずだったのに、それが不足していたのかもしれない。
誤解しないでほしいのだが、抑制と均衡は、スケールが大きくて大胆な未来志向の成長に向けた賭けを捨てることを目的としたものではない。むしろ、抑制と均衡が存在すれば、貴重な資本を真に有意義な賭けに投資できていたかもしれない。
心理学者・経済学者のダニエル・カーネマンはこう述べている。「勇気とは、成功の確率がわかったうえでリスクを取って行動すること。能天気な自信過剰とは、成功の確率を知らないでリスクを取って行動すること。この両者の違いは大きい」
そうなると、以下のことを検討したほうがよさそうだ。我が社は、資本配分を決定する場に、以前のように価値重視派の人たちを迎えるべきではないか。社内の分析チームや、投資対象を精査するタスクフォース、プロジェクトの運営委員会、取締役会に、そのような人物をさらに増やすべきではないか。
そのような人物を社内で意識的に見出し、評価し、育成し、その言葉にしっかり耳を傾けることが重要だ。特に、時流に乗っていて魅力的ではある半面、大きなリスクを伴うアイデアに対して、理性的な異論を唱えている時は、その指摘をしっかり聞くべきだ。
なぜか。価値重視派の人たちの言葉は、投資の妥当性を大まかに確認し、社内の考え方のバランスを取る助けになり、その結果として、資本の配分を現実に根差したものにできるからだ。それを通じて、企業は目の前の厳しい経済の現実に向き合いやすくなるだけでなく、過去の失敗を将来繰り返すことを防ぐ効果も期待できる。
"Allocating Capital When Interest Rates Are High," HBR.org, January 05, 2023.