
ウクライナ企業のリーダーは
いかに戦禍を乗り越えたか
2022年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった。2014年に始まった両国の衝突は、この侵攻によっていちだんと激しさを増し、何万人もの死者と第2次世界大戦以降で最悪の欧州難民危機を生み出している。ロシアの行為を不法な侵攻と非難した国は、世界141カ国に上る。
侵攻開始から1年を迎えるに当たり、筆者らはウクライナの企業がこの1年間をどのようにして乗り越えてきたのかを知りたいと考えた。そこで、人材紹介、IT、教育、ベンチャーキャピタル、ヘルス・アンド・フィットネス、農業、石油・ガスなど多種多様な業界のウクライナ人マネジャーやエグゼクティブ10人を対象に詳細なインタビューを行った。
インタビューでは、戦時中に組織を率いる経験、そこで直面した課題や得た教訓について話を聞いた。彼らの物語からは、いくつかの共通したテーマが浮かび上がってくる。なお、読みやすいように翻訳・編集を加えている。
レジリエンス
ロシアによる侵攻の脅威が現実味を帯び始めた2022年初め、ウクライナのソフトウェア開発企業ララブスは準備を開始した。まず、従業員が徴兵される事態に備えて新たな人事方針を策定。そして8カ国にまたがる従業員のための詳細な移転計画を作成し、国外勤務、救急処置、緊急時の荷造りに関する研修を行った。また、従業員のストレスが高まるにつれて(グローバルメディアが「戦争が始まれば、キーウは数日で陥落する」との予測を出し始めたタイミングでは特にストレスが高まった)、戦術的なリソースをメンタルヘルス支援で補完するよう尽力したと、共同創業者でCOOのロマン・ロドマンスキは語った。
もちろん、どれほど入念な準備を行ってきた組織にとっても、戦争の勃発は衝撃だった。それでも、筆者らがインタビューした経営者らは、ロシア軍がキーウから撤退して以降は、新しい現実におおむね適応することができたと話してくれた。
ウクライナの電力インフラがロシア軍に狙われた時、すぐに発電機と衛星インターネットを備えた新たなワークスペースを立ち上げた。従業員が転居せざるをえない状況では、支援やトレーニング、リソースを提供した。顧客がいなくなり収入が減少する中、リーダーたちは従業員を解雇しないまま運営コストを削減する創造的な方法を編み出した。また、特に分散型の業務においては、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの際に培った適応力やレジリエンスが役立ったという声が多く寄せられた。
体験談1
2月24日午前4時30分、サイレンが鳴り響き、ロケット弾が飛び交い、あちらこちらで爆発音がする中で目が覚めた。我が家からわずか700m先では、隣人の家が被弾した。幸い、妻はまだ就寝中。寝室の窓ガラスが割れて部屋中に飛び散ったが、毛布をかぶっていたおかげで助かった。
私たちは皆、地下室に隠れ、そこから脱出できる状況になると、ウクライナ西部の親戚の家に身を寄せた。その家の地下室には6家族が避難していたため、食料は底を尽き、あらゆる行列に並び、交代で入手するしかなかった。最悪だった。
最終的に、私の家族はポーランドに脱出でき、私はオデッサ(ウクライナ南部の港湾都市)近くの故郷の町に移動した。しかし、最初の数カ月間は仕事もクライアントもなかった。電話がかかってきても、用件は誰が生きていて誰が死んだのか、誰が占領地域にいるのか、困っている親戚はいないか、誰が地下室に隠れていて、どのような状況なのか、といった話ばかりだった。
ところが5月になると、ビジネスにまた動きが見え始めた。ロシア軍がブチャとイルピンから退去すると、私はキーウに戻った。といっても、道中で何事もなかったわけではない。橋が爆破され、乗っていた小さな列車は、ミサイル攻撃が終わるまで2時間立ち往生。私は川幅や水温をグーグルで検索して、列車が脱線したら、自分で川を泳いで渡れるか考えてみた。念のため、靴とコートを脱いで、泳ぐ準備までして。でも、幸運なことに線路は修復され、無事にキーウにたどり着けた。
いまでは、会社の業務はほぼ元通りになっている。ゲリラチームのような少人数でやっていて、一度はばらばらになったが、みんな戻ってきた。学んだことがあるとすれば、常に準備をしておくべき、ということだ。いまや、侵略されたらどう動くべきかわかっている。明日、我が身に何かあっても、会社と家族のためにできることはすべて準備してある。緊急時の行動計画リストが増え、そうしたリスクに対処する方法への理解も深まった。みんなもそうだ。ゾンビが大発生しても準備万端だ。
──ボロロディミール(キーウ)
スタートアップアドバイザリー企業 創業パートナー