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サブプライム問題は「経営の失敗」にほかならない
昨今の経済危機の底流には、はるかに大きな危機がもう一つ潜んでいる。すなわち、企業において、「コミュニティ」という、この何か大きな存在への帰属意識や関心が失われつつある。
アメリカ産業界を筆頭に、短期業績を重視した近視眼的な経営がここ数十年にわたって続いてきたせいで、CEOの力が過大視される一方、たとえば株価が下がれば従業員の首を切ればよいといった具合に、それ以外の存在はまるで日用品のごとく扱われてきた。その結果、世界経済には思慮分別のない行動がはびこっている。
政府が景気刺激策や破綻の淵にある大企業の救済策を打ち出しているが、これだけでは問題は解決しない。企業がいま一度、従業員と一体化する必要がある。そして、マネジメントとリーダーシップについて再考しなければならない。
サブプライム問題がいい例である。この問題は、そもそも何が原因で、またどうして健全な金融機関にまで広がったのだろう。その答えは自明である。手っ取り早く売上げを伸ばして、1ドルでもボーナスを増やそうと、この危ない住宅ローンを後先かまわず推奨したからである。
一方、この商品を購入した金融機関に「経営」はなかった。また、経営陣の多くが、アメリカ流のリーダーシップ・スタイルに染まっていた。すなわち、最前線におもむき、業績を改善しようと共に努力することはなく、執務室から、自分たちが望むところの目標をただ指示するだけだった。
これら金融機関の経営陣は、現場で何が起こっているのか、まったくもって無頓着だった。かたや社員たちは、結果がどうなろうとおかまいなしだった。この経営の失敗は、後世の語り草となるだろう。
同じような失敗が、程度の差こそあれ、政府部門と民間部門の至るところで見られる。「リーダーシップは、マネジメントと一線を画するもので、より高次元のものである」と広く信じられているが、このような見方は、リーダーと呼ばれる人たちを特別扱いし、組織のコミュニティ精神を弱体化させるものである。
企業からコミュニティ精神が失われている
個人主義もけっして悪くない。インセンティブを与え、リーダーシップを発揚させ、人々の能力開発を奨励する。とはいえ、個人主義だけでは限界がある。人間は社会的な生き物であり、それゆえ自分たちを取り巻く社会システムなしには満足に活動できない。ここにコミュニティの意味がある。