-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
-
PDFをダウンロード
市場は合理的でも効率的でもない
家が古くなると、その基礎部分に無数の亀裂が生じるように、株主資本主義にもほころびが目立つようになった。経営者や政治家は、このほころびを修復しようとしているが、これは、「ステークホルダー資本主義」──CEOたちは、投資家だけに限らず、あらゆる関係者に責任を負う──への回帰を示す前兆であり、また今後もずっと続くのだろうか。
ステークホルダー資本主義は、いまに始まったものではない。1950年代から60年代は「ステークホルダーは神様である」という考え方が主流であり、CEOたちは、自社と関係する集団、すなわち顧客、社員、サプライヤー、株主、ひいては地域社会の利益をバランスさせるという役割を心得ていた。このことを踏まえて、委ねられた大切な資源を管理するだけでなく、おのれが得る報酬も常識的な範囲に収めることをわきまえていた。
企業の成功とは、これらステークホルダー全員の利益を満たすことにほかならない。そしてステークホルダー資本主義は、知識労働やアウトソーシング、グローバル・サプライチェーン、そして物言う利害集団の時代であるからこそ求められている。
70年代になると、「株主を何より最優先すべきである」という考え方が支配的になるが、これにはさまざまな理由があった。なかでも、市場は効率的かつ合理的な判断を下すという理解が一般に広がったことが大きい。
ミシガン大学スティーブン M. ロス・スクール・オブ・ビジネス教授のジェラルド F. デイビスは、2009年6月に発行された著作Managed by the Markets[注1]のなかで、「過去30年以上にわたり、社会は金融市場を通じて、これまでになく自己組織化を続けてきた」と述べている。
いまや、何もかもが金融の一手段と化している。住宅は家族が暮らすための建物ではなく、将来の不動産価格を反映したオプション商品である。以前は夫婦ゲンカの種であった育児も、いまでは一つのビジネスになっており、もちろん株式市場で取引できる。
言うまでもなく、市場には資源を効率的に配分する力が備わっている。ただし、それが機能するのは、自由競争や豊富な情報はもとより、個人が合理的に選択できるなど、しかるべき条件がそろっている場合に限られる。
市場万能主義者の多くが見すごしているようだが、このような条件が常にそろうとは限らない。医療を例に挙げよう。雇用主は、私が利用できる医療保険や病院のなかから、どれか一つを選ぶわけだが、それを決定する際、ありとあらゆる情報を利用できるわけではなく、またその量も膨大である。