-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
-
PDFをダウンロード
「見えざる手」は非合理的である
2008年、金融界に激震が襲った。かつて「史上最高の銀行家(バンカー)」と称賛されたアラン・グリーンスパン前FRB(連邦準備制度理事会)議長は、議会(下院の監視・政府改革委員会の公聴会)で集中砲火を浴びるなか、自身の長年の経験に基づく予測に反して、市場が正常に機能しなかったことに「ショックを受けている」と本音を語った。
そして「組織の自己利益とは、銀行をはじめ、とりわけ金融機関の場合、株主を最大限守ることであると考えていましたが、どうやら見誤ったようです」と認めた。
我々はこれまで、「見えざる手」を手放しに信頼してきたが、現在そのつけを支払わされている。そして、人間は常に合理的に判断し、市場や金融機関には総じて健全な自己規制が働いているという、経済理論の誤りが露呈したことを、苦々しい思いで見て見ぬ振りをしている。
ウォールストリートという、合理性が過剰に支配する世界において、「物事はこのように動くはずである」という前提が崩れた現在、金融機関や他の企業──間違いを犯しやすく、それほど論理的ではない人間の集団である──に、いかなる被害が及んでいるだろうか。また、このような合理的な前提が頭にたたき込まれている経営陣が、複雑で、概して予測しがたい事業を運営しなければならない場合、何を頼りにすればよいのだろう。
見えざる手は意思決定の拠りどころであったが、実際は非合理的であることがようやく理解されるようになった。授業料は高くついたが、間違っている前提に対して何らかの安全策を講じることの重要性を認識したことは、希望の兆しといえるかもしれない。
人間は、自分ではほとんど気づかない「認知バイアス」によって動機づけられる。真の見えざる手なるものが存在するならば、この認知バイアスこそ、その正体である。企業がこのことを認識すれば、これまで以上に愚行と無駄を回避できるだろう。
行動経済学という新しい学問は、人間や組織がどのように行動するかについて、従来とはまったく異なる視点を提供する。本稿では、長年にわたって当然視されてきたビジネスの前提をいくつか取り上げ、行動経済学の視点から考察していく。これにより、より優れた製品やサービスを提供し、顧客満足度を高め、社員の生産性を向上させるだけでなく、彼ら彼女らが重大な過失を回避できることを証明したい。
行動経済学とは何か
行動経済学は、心理学と経済学の両面から考えるため、人々が努めて最善を尽くしても、認知バイアスのせいで、たいてい合理的な意思決定を下すことができないという前提に立っている。アメリカ漫画のキャラクターに例えれば、人間は、スーパーマンというより、むしろ『ザ・シンプソンズ』のホーマー(一家の父親で、いい加減な性格で知られる)に近い。