多国籍企業の本籍はどこか

 いまから10年ほど前、クリントン政権で労働長官を務めたロバート B. ライシュ(2009年現在、カリフォルニア大学バークレー校教授)は「多国籍企業は、国境を超えてグローバル・ウェブを形成しており、『企業の本籍』という概念は次第に意味を失っていく」と力説した。

 実際、グローバル企業は「国という制約に縛られない存在」と、一般的に認識されつつある。昨今のアウトソーシングとオフショアリングの結果、国内での雇用よりも国外での雇用のほうが多いという企業が増えていることも、この傾向に棹差している。

 しかし、このような認識は、はたして現実と合致しているだろうか。多国籍企業をめぐる歴史を振り返れば、ノーと答えるのが妥当ではなかろうか。ここ数十年を見る限り、企業の本籍はより強く意識されるようになっており、またその重要性も高まっている。

 では、グローバル企業の本籍はいったいどこなのか、これを明確に定義する方法はない。製品を見ただけではさっぱりである。たとえば「メード・イン・アメリカ」と表示されていても、部品の調達先はおそらく10カ国を下らないだろう。

 登記国を見れば、もう少しはっきりしてくるかもしれない。しかし、これも決定打とは言いがたい。ヨーロッパの法制度、またそれに準じる法制度の国では、本社所在地で判断している。また、経営陣や主要株主の国籍、その企業がどこを活動拠点にしているかで決まることもある。

多国籍企業の本籍をめぐる小史

 最初のグローバリゼーションの波は、第1次世界大戦の前に訪れている。当時、企業の国籍はきわめてあいまいなものだった。〈シンガー・ミシン〉を製造・販売していたシンガーなどは別にしても、たいていのグローバル企業は、ギリシャ人、スコットランド人、中国人、ユダヤ人などによって経営され、無数の営利事業と金融業を縦横無尽に展開していた。

 ビザもパスポートもない時代、起業家たちはいともたやすく国から国へと移動することができた。だれもがロンドンの巨大資本市場に群がり、イギリスとは縁もゆかりもない企業が「イギリス企業」として登記していた。

 しかし第2次世界大戦以後、だれもが国籍に注意を払うようになる。なぜなら、国籍をあいまいにしておくことは得策でないばかりか、命取りになることもあったからだ。