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大事に至らなかったニアミスは危機の前兆である
ほとんどの人は「ニアミス」を、もっと悲惨な状態になりそうなところを間一髪で免れた、ぞっとする経験だと考えている。たとえば、燃え盛る建物が崩れ落ちる寸前に消防士が脱出する、竜巻が進路にあると思われた町から奇跡的に逸れる、といった場合だ。こうした出来事をすんでのことで逃れると、人は震え上がり、教訓を見つけ出そうとする。
しかし、別の種類のニアミスがある。こちらのほうがずっと一般的で有害だ。多くの場合、それは注意を引かない小さな失敗で、日常業務のなかに蔓延してはいるが、すぐには害とならない。人々にはその失敗に潜む警告を誤解したり無視したりする習慣がついており、たいていは調べもしないで放置する。あるいは、システムが堅固で物事が順調な証だとする、ねじれた解釈がされることもある。
だが、このような見たところ無害な出来事が事件の前兆であることも少なくない。ほんの少し条件が違っていたり、幸運の助けがなかったりしたら、危機を招いたかもしれないのだ。