中途半端ではなく、やるからには覚悟を
日置 地域の括り方や、国から都市へのシフトを考えていくと、物事を捉える時の枠組み、カテゴリーを問い直すことの重要性がよくわかります。私たちもよく使ってしまうのですが、「日本企業と外資系企業」という分け方も、本当はよくないんだろうな、と。
入山 人間の認知には限界があるので、情報処理の過程でどうしてもカテゴライズやラベリングをしないといけないんです。それを認知心理学ではSocial Identity Theory(社会アイデンティティ理論)やSocial Categorization Theoryと言います。
日置 何かで分けなければならないとした時に、日本人の場合は、そもそもの同質性が高いので、日本と海外、日系と外資系という分け方をしがちなんですね。コンサルティングの中でも、GEやIBM、P&Gなどの事例を教えてくださいと言われてお話しするのですが、結局、「外資だからできるんですね、日本企業では無理でしょう」と、自分たちのカテゴリーの壁を越えようとしない言葉が返ってきたりします。
入山 ユニクロやLIXILのように徹底的にグローバル化しようとして、中間管理職にも外国人をたくさん入れて、そうした区分けを訳わからないくらいにしている企業もありますが、ある意味では正しい壁の壊し方です。
日置 変革期の混乱はあるでしょうけれど、その経験から導き出されたものは、中途半端には終わらないと思うんですよね。「ルビコン川を渡る」くらいの覚悟がないのだったら、グローバルの話をやめるという手もある。やらないって決めた方が、社員は楽です。自分達の会社に合わないのに、何年も何年もグローバル化と言い続けて、何も進まないんだったら、グローバル化しませんと言ってしまうくらいのリーダーが出てきてもいいんじゃないかと。
入山 賛成ですね。「覚悟のないグローバル化」は誰も幸せにしない。全てのビジネスや人材がグローバル化する必要もないかもしれませんし。
日置 グローバル化しないというのは鎖国するという意味ではなくて、環境はグローバル化するけれど、僕たちはグローバル化を目指す企業とは違うやり方で対応していきます、というメッセージの出し方があってもいいわけで。でもそう決める前に、日系とか外資とかで区切って別モノとしてしまうのではなくて、少なくともグローバルで戦っている人たちっていうのは、そういうカテゴリーを超えた感覚でやっているんだということを学んでいただきたいのです。
入山 グローバル化するのも覚悟が必要、しないというのにも覚悟が必要。いずれにしても、今のような中途半端な状態は脱しなければならないというのは、もう喫緊に迫った選択ですね。そもそも本当に日本ではもう余地がないのか、という視点もあっていいと思います。
日置 まさに、その選択にあたって、なぜグローバル化するかという理由も大事です。自社にとっての必然性と言ってもいいかもしれません。日本は成熟期で人口も減って頭打ちだから海外に行こうというのが決まり文句になっており、一面では事実ですが、自社にとって本当にそうなのか、日本をやりきったのかというと、実は中途半端ということも多い。グローバル化する覚悟、その前提としての日本をやりきる覚悟、まずその意識から変えていかないと進まないのかな、という気がしています。