最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第5回は、クロスフィールズ共同創業者・代表理事を務める小沼大地氏により、「留職」を日本で実施するための勇気をもらい、事業を拡大する際の自信を得た論文が紹介されます。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

DHBRの論文から時代の風を読む
『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の論文は、自分たちの事業を考えていくうえでの「道しるべ」になっていると感じています。
そこに書かれている内容は、現時点ではまだ世間の常識にはなっていませんが、これから3年間の流れをつくっていくだろうと思わせてくれます。そのため、自分たちがやっていることと、そこで示された流れがずれていなければ、中長期的なお墨付きをもらえたような感覚を持つことができます。
私は、DHBRの論文を2つの方法で活用しています。1つは、そのような時代の風を読むための手段として、もう1つは、その風を自分が発信するときの武器として、です。
そこでの風は瞬間的に吹き荒れるものではなく、偏西風のように常に吹いている風です。どこに向かって吹いているか、長期のトレンドを指し示しています。それが非連続なものとして示されるので、日々の業務を通してからは見えにくい未来の姿が描かれています。「なるほど、世界はそっちに進んでいるのか」「この風には乗りたい」。そんなことを考えながら、論文を読んでいるような気がします。
また、そこで書かれている内容が自分たちの考えと一致しているときは、自分たちの活動をその風に思い切り乗せて発信するようにしています。それによって、自分たちのやっていることが時流を捉えていると示す説得力を与えてくれますし、日本で活動を浸透させるための武器となります。また、自分の考えと照らし合わせながら発信することで、そのロジックがかみ砕かれ、より具体化されるので、次の事業にもつながっていきます。
ポーターのCSV(共通価値の創造)が
自分たちの事業にお墨付きを与えてくれた
最初にご紹介したいのは、マイケル・ポーターの「共通価値の戦略」(DHBR2011年6月号)です。私はこの論文を読んだとき、「よくぞ言ってくれた」と共感し、とても大きな刺激を受けました。また、この論文がなければ、クロスフィールズの事業は途中でしぼんでいたかもしれないとすら思っています。
私がクロスフィールズを立ち上げるために独立したのは、2011年の3月です。その時点では、CSV(共通価値の創造)という言葉自体は聞いたことがなく、2011年5月に訪米し、マイケル・ポーターが設立したコンサルティング会社のFSGを訪問したとき、初めてその言葉を知りました。そして、「あなたたちがやろうとしていることは、マイケル・ポーターの『Creating Shared Value』に書いてあるから、絶対に読んだほうがいい」と言われ、英語の論文を渡されました。それを読んだ私たちは大興奮し、自分たちがやりたいのはこういうことだ、この価値観を日本でも広めなければならないと強く心に決めました。
DHBRに日本語版が掲載されたのは、その翌月でした。「これからの企業は、経済的な価値だけを追い求めるのでなく、社会的価値も追求することが大切である」。米国で広まり始めていたその考え方が、日本国内でも普及するきっかけとなり、「ポーターもそう言っている」という形で示せるようになったのは大きかったと思っています。実際、「ポーターが論文で言っていることと、小沼くんが言っていることは近いよね」と言われることが何度もあり、自分たちの事業にお墨付きをもらえたような気持ちになれたのは、とても心強かったです。
クロスフィールズでは、民間企業のビジネスパーソンが新興国に数ヵ月にわたって赴き、現地のNGOや社会的企業の一員として社会課題の解決に取り組む、「留職」というプログラムを運営しています。この活動を通じて、企業の力を使って現地の社会課題解決を加速できるのと同時に、日本企業にとっては、社会的価値の重要性を理解した次世代リーダーを育成することが可能になると考えています。
当初、留職は、グローバル人材の育成という文脈でのみ理解されていました。そのため、「グローバル人材を育てるなら、英語を話せるようになれればいい。わざわざ社会課題の現場になんて行く必要はない」と、企業の方々からさんざん言われていました。しかし、ポーターが社会課題の解決を経験する価値を示してくれたことで、留職プログラムにグローバル人材の育成以外の価値があることが、徐々に受け入れられ始めたと思います。
ただ、CSVという考え方が普及し始めても、「CSR(企業の社会的責任)の延長だろう」という印象を持つ人が多かったのも事実です。また、日本企業はもともとCSVをやっていたという「CSV水掛け論」も見られました。ポーターが急に共通価値と言い始めたけど、日本企業は昔から「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」という共通価値の信念を持っていたというのがその主張です。それはそれで正しいと思うところもありますが、私は、2つの視点からあえて反論を申し上げたいと思います。
1つは、日本企業は昔からCSV経営をやってきたのだから、いまさら必要ないと突き放すのではなく、イノベーションを起こすためにCSVを使うという考え方をすべきだということです。長期的な事業や戦略を構想するときに、CSVの観点から考えるとまったく違う視点が生まれることもあります。また、その事業がイノベーティブかを評価する際の軸としてCSVを用いると、三方よしとはまた違う“浮力”が生まれ、そこには従来とは異なる価値が生じてくると考えています。
もう1つは、ポーターが主張し、それが日本でも普及し始めたという機運を活用すべきだということです。せっかく新しい風が吹き始めているなかで、それをわざわざ否定することからは何の価値も生まれません。時代がそちらに動いているのであれば、その風に乗り、積極的に新しいことをやっていこうと考えたほうがいい。私はそう思っています。
「公共」「民間」「社会」の3つの価値を体現する
「トライセクター・リーダー」が社会課題を解決する
ポーターのCSVが浸透するとともに、CSVを実現するための方法論が議論され始めました。CSVを実現するには、企業とNPOが連携すべきだとポーターも言っていますが、この論文で示されている内容は抽象的でもあります。コンセプトは素晴らしいものの、具体的に何をすればよいかまでは示されていません。
そのためのヒントが書かれているのが、「トライセクター・リーダー:社会問題を解決する新たなキャリア」(DHBR2014年2月号)です。民間セクター、公共セクター、社会セクターという3つのセクター(トライセクター)が交わり合う境界線でこそ、共通価値は生まれやすい。そして、これからの時代に求められるのは、セクターの境界を越えて活躍できるトライセクター・リーダーだと定義されています。そのうえで、そうした人材を育てるための新たな人材育成の方法論も示されています。
実は、この論文はタイムリーに読んだわけではありません。私の友人であり、公益組織向けのコンサルティング会社PubliCoの山元圭太さんが、クロスフィールズが主催したワークショップで紹介してくれました。それから慌ててDHBRを買って読み、このコンセプトは革新的なものだと確信しました。
トライセクターという概念は、日本社会では特に重要です。日本ではかつて、社会のニーズに応えるための活動はすべて、「お上」という公共セクターが担っていました。良くも悪くも、日本は多くのことを行政が管理する傾向が強い社会です。一方で、今後は行政の予算も縮小していき、行政だけで解決できる課題は減っていますが、社会課題は増え続けています。そうした状況のなか、介護、医療、福祉に代表される公共性の高い仕事の民営化が、地域レベルでも国家レベルでも進んでいます。社会課題解決の民営化が起きている状態です。
ただ、民間企業だけで社会課題をすべて解決できるはずもなく、そもそも市場化されていなければ参入もできません。では、行政にも解けず、企業にも解けない課題を解くのは誰か。それがNPOなどの社会セクターです。ただし、NPOの力だけで解決できるかというと、それもまた違います。NPOは非常に小さな組織体で、課題解決の十分なリソースを持っていないからです。
このように、企業も行政もNPOも、単体で社会課題を解決するのは困難です。だからこそ、日本の社会課題の解決には、トライセクターで挑まなければいけないのです。そして、それを牽引するのがトライセクター・リーダーであり、これからはますます彼らのような存在が必要になるはずです。
クロスフィールズの留職プログラムはまさに、トライセクター・リーダーとして活躍できる人材を育成する活動です。この論文を読んで、これまで自分たちがやってきたことが間違っていないと確信を得るとともに、民間セクターだけでなく、公共セクターの中でもそうした人材を育成したいと考え始めるようになりました。実際、私たちは行政にもアプローチを始めており、地方自治体の職員が留職に行く話も進みつつあります。
ちなみに、トライセクターの文脈で日本の最先端を走っているのは、宮城県牡鹿郡の女川(おながわ)町であると、私は思っています。女川町は明確に、トライセクターの発信地になるとホームページに掲げています。それは単なる目標ではありません。驚くべきことに、実際に町を訪れても、町長から漁港のおじさんまで、トライセクターが大切だと言います。
女川町で活動するNPO法人アスヘノキボウ代表の小松洋介さんも、トライセクターイノベーションを起こすと宣言し、行政と強固に連携をしつつ、ロート製薬などをはじめとした多くの企業を巻き込んでもいます。セクター間で連携を取り、女川という町を変革しようという動きについては「復興を超えた社会エコシステムの創生」(DHBR2017年6月号)にも詳しく書かれていますが、まさに女川町には、日本の新しい未来を創るうねりが起きていると思います。
また、早稲田大学准教授の入山章栄先生による連載「世界標準の経営理論」の「境界を超える『H型人材』が、世界を変えていく」(DHBR2017年1月号)も、トライセクター・リーダーのあり方を考えるうえでとても参考になります。H型人材とは、キャリアの中で2つの異なる専門を持つという考え方です。CSVやトライセクター・リーダーという言葉を日本流で考え、行動しやすく、わかりやすく示してくれたと思っています。DHBRにこの論文が発表されたことで、私たちの事業を後押ししていただき、本当に感謝しています。
リーダーシップは役職者だけでなく、
志を持ったすべての人が発揮するもの
最後に、伊賀泰代さんによるリーダーシップに関する論文、「マッキンゼー流 最強チームのつくり方」(DHBR2012年9月号)と「マッキンゼー流 リーダー人材の育て方」(DHBR2017年4月号)をご紹介します。ここで書かれている伊賀さんの考え方は、クロスフィールズの事業やチームづくりでも大いに参考にしています。ただ、マッキンゼー時代に直接薫陶を受けた時期に学んだことも多く、伊賀さんの考えが体系化された論文を読むことは「そういうことを教えてもらった」と再確認するプロセスになっていると言うほうが正確かもしれません。
伊賀さんが育てようとしているリーダー人材の姿と、私たちがクロスフィールズの活動を通じて育てたいリーダー人材の姿は合致しています。リーダーシップは社長や部長などの役職者が組織に対して発揮するものではなく、全員が持つべきものであるという考え方です。
私たちは、伊賀さんとともに、クロスフィールズが育成するリーダー人材の評価指標を「リーダーシップ・アセスメント」としてまとめました。きっかけは、留職に参加された方々がリーダーとして成長しているという手応えはあったものの、どこが伸びているのか、その具体的な評価基準を示せていなかったと課題を感じていたからです。そうして伊賀さんに相談し、それを5つの要件にまとめたのがリーダーシップ・アセスメントです。
5つの要件とは、(1)ゴールを描く力、(2)対話をする力、(3)巻き込む力、(4)挑戦する力、(5)やりきる力です。さらに、それぞれの要件をレベル1から4の4段階に分解しています。たとえば、巻き込む力のレベル4は「価値観や立場が異なる人たちを含め、多くの人たちから、権威に頼らない自発的な協力を得て、継続的に協働できている」という能力です。
権威に頼らない自発的な協力を得るというのは、重要なメッセージです。肩書きに囚われず、厳しい状況でも新しい価値を生もうとするリーダーこそがCSVを実現させ、トライセクター・リーダーに成長できると信じています。誰もがあらゆるところから変化を起こせるという考え方は、留職プログラムのリーダーづくりの中でも最も大事にしている考え方です。
NPO法人ISLのファウンダー野田智義さんは、リーダーのあり方として、リード・ザ・セルフ(Lead the Self)リード・ザ・ピープル(Lead the People)、リード・ザ・ソサエティ(Lead the Society)と掲げています。まず、自分を鼓舞し、みずからをリードできなければ、リーダーシップを発揮できません。自分をリードできるからこそ人がついてきて、そこで初めてリード・ザ・ピープルが実現します。そして、人がついてくると社会が変わるので、リード・ザ・ソサエティです。野田さんは、この順番は絶対に崩れないと語っています。
リード・ザ・セルフは、自分の志が根底にあります。その志を持って人を巻き込み、社会を変える。すなわち、すべてのリードの根底にあるのはみずからの志なのです。権威や肩書きがあると、志がなくても人を巻き込めてしまうこともあります。だからこそ、権威を持っている人であるほど意識的に権威を取り払い、どのようなエネルギーが自分を突き動かしていて、何が人を動かしているのかを真摯に考えるべきだと思います。
残念ながら、日本企業には、そうした機会を持たずに役職に就いてしまうケースがよく見られ、権威を使って人を動かすことしかできない人が多いのも現状です。これが、伊賀さんが論文で主張されている、リーダー人材が枯渇している状況にもつながっているのではないでしょうか。私たちは、そこを変えていきたい。
留職プログラムに参加した人たちが社長や役員になったときには、日本の企業も、世の中のあり方も必ず変わっていくと信じています。伊賀さんの論文を読み返すことで、私は自分たちの事業の意義を再確認することができています。