最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第11回は、HLAB代表・小林亮介氏により、リーダーとして組織を立ち上げ運営するなかで直面した課題に対して、解決策を提示してくれた論文が紹介されます。(構成/加藤年男、写真/鈴木愛子)

世代や国籍、分野を超えて
学び合う機会を提供したい
僕はいま、HLABの代表を務めています。2011年、ハーバード大学在学中に日米のチームで立ち上げ、2014年に法人化しました。
HLABの“H”は、よく母校の頭文字だと誤解されるのですが、人的交流と学びの“Hub”(ハブ)となる“House”(寮)から取っています。また“LAB”は、“Liberal Arts beyond Borders”(ボーダーを越えるリベラル・アーツ)の頭文字です。世代や国籍、分野を超えて互いから学ぶ、レジデンシャル(全寮制)・リベラル・アーツ教育を提供することで、多様性と学びを結びつけるというHLABのミッションを表すとともに、新たな教育の形を日本で実現するための実験の場になってほしいという思いも込めています。
僕がこうした取り組みを始める契機となったのは、高校2年生のとき、米国への交換留学を体験したことからでした。中学生の頃から留学に憧れを抱いていたものの、語学力の乏しさもあり迷っていたなか、僕の背中を押してくれたのは、留学から戻り、学年を落としてクラスメイトになった先輩の「すごく面白かった!」という何気ない一言でした。特別な言葉ではありませんが、それを聞いた瞬間、不思議とそれまでの迷いが嘘のように吹っ切れたんです。このときに気づいたのが、人生を変えてくれる一言は、自分と重ねられるような、身近な人からもたらされるということでした。
それから1年後に日本に戻り、受験勉強に取り組みましたが、大学でどのような教育が行われ、教授たちが何を研究しているかも知らないまま受験する現状に違和感を抱いていました。実際、入学した一橋大学でも、自分も含めて入ったとたんに目標を見失ってしまう学生が多かったように感じます。幸い、同時に受験したハーバード大学にも合格したため、当時の指導教員の勧めもあり、一橋を半年で退学してハーバードへの進学を決めました。
全寮制のハーバードで体感したのが、ピア(仲間)メンターシップの力です。僕が高校の先輩から刺激を受けたように、ハーバードではそれが自然と実践される仕組みが設計されていて、レジデンシャル(学生寮)教育として機能していました。たとえば僕がいた寮には、かつてビル・ゲイツがマイクロソフトをつくったという部屋がありますし、『ラ・ラ・ランド』の映画監督と音楽監督が協業するきっかけになったのは、この寮のルームメイトだったからでした。コンピュータ科学と応用数学という異なる学問を学ぶ創設メンバーが寮で知り合い、フェイスブックをつくったストーリーは映画にもなっています。
それができるのは、どの寮に振り分けられるかわからない「ブロッキング」と呼ばれる仕組みや、寮の飲み会など、多くのソフト面の仕組みが導入されていることと、そこを通らなければ自室に行けない位置にある寮のコモンルームや食堂が24時間開放されており、その空間で互いに課題をやりながら議論したり、コミュニケーションが取れたりするハード面での導線設計や工夫が提供されているからです。僕もそう思っていますし、多くの同級生が「大学での大半の学びは寮生活にあった」と口を揃えます。大学側が、そのような居住空間を利用した「計画的な偶発性」を意識的にデザインしているのです。
僕自身、寮がこのように機能するための変革に学生の立場から関わる機会を得たことで、多様なバックグラウンドを持つ友人から学び合うピアメンターシップを、居住空間のデザインを通じてつくる教育のやり方に関心を持つようになりました。そして、自分自身が高校時代から大学にかけて抱いた進路選択の違和感に立ち戻り、日本の教育に欠けているものがここにあると思い、2011年からHLABの活動をスタートしました。
最初から寮や学校はつくれませんから、まず実施したのは、世代や国籍、分野を超えて学生が学び合う、寮生活の短期的な再現です。ハーバードの学部生が日本を訪れ、日本の大学生と一緒になって、日本の高校生にリベラルアーツ教育を行うプログラムを行いました。そこには米国や日本の学生ばかりでなく、多くの大学の教授陣やビジネスリーダーたちも賛同して集まってくれました。
そのプロトタイプとして2011年から始めたのが、「HLAB」として広く知られる、1週間の合宿を通したサマースクールです。それから徐々に拡大し、いまでは、東京、長野県小布施(おぶせ)町、宮城県女川(おながわ)町、徳島県牟岐(むぎ)町の4ヵ所で毎年開催しており、HLABの活動の基軸になっています。また後述しますが、いまでは寮も運営できるようになり、そこでは高校生や大学生、社会人、起業家が共同生活を送っています。
僕が『Harvard Business Review』(HBR)の存在を知ったのは、ハーバードの在学中でした。大学では政治経済を学んでおり、以前から社会科学の論文を好んで読んでいましたし、立地的にもHBSは身近な存在でした。また、自分がHLABの運営を始めたこともあり、象牙の塔にとどまらずに実業界との距離を縮め、学術的な発見を通して実業界に影響をもたらすという、HBRの意義にも興味を引かれました。当時は社会科学の学生として、若手研究者の思考の系統をたどりながら、HBRが実務家にどのような知見を提供しているのかを知ることが純粋に楽しみでしたし、いち実務者として、そこから多くの示唆を得ることができました。
今回を機にいろいろと振り返り、僕がHLABを立ち上げ、代表としてこの組織を運営するためのヒントや自身をもらえた論文をご紹介したいと思います。
HLABの意義を再確認し、
自信を与えてくれた論文
たとえば、HLABの共同創設者であり、HBSの教授である竹内弘高先生の論文は思い出に残っています。僕がハーバードに入学したのとほぼ同時期、竹内先生も一橋大学からHBSに移られました。そんなご縁もあって在学中から個人的にお付き合いいただき、いまも僕のメンターであると同時に、理事としてHLABの経営にともに取り組んでいます。
竹内先生はUCバークレー時代からの師匠であった野中郁次郎先生を信頼されており、HBRに共著論文を書いているという話を聞き楽しみにしていたところ、直接渡していただいたのが「賢慮のリーダー」(DHBR2011年9月号)です。この論文に書かれている「本質を伝える力」「メンタリングを通じた実践値の養成」などは、まさにHLABの哲学にもつながるメッセージだったので、とても刺激を受けました。
竹内先生はホンダの「ワイガヤ」など場の力を重んじており、学術論文にまとめにくい難しいテーマを扱いながらも本質に迫ります。「賢慮のリーダー」は、その問題意識を野中先生と共同で理論的かつ体系的に整理した論文であり、自分たちがHLABを通してやろうとしていることとも合致したので腑に落ちるところが多く、サマースクールでも高校生や大学生と読み合わせしました。
なかでも、論文内で「賢慮のリーダの6つの能力」として挙げられた一つである、メンタリングを通じた「実践知」の形成は、HLABを牽引する過程で強く意識しなければならないと感じました。また、社員が相互交流できるような機会を「場」(英語圏でのBar)と呼び、多様な人たちが所属を超えて交流する場所をつくってあげる重要性を説かれていますが、それはレジデンシャル教育を実践したいという自分自身の思いそのものであり、すとんと腹落ちました。この論文を読んだことで、僕がこれから何をやるべきかが整理できました。
ほとんど同じ時期に竹内先生から紹介していただいた、マイケル・ポーターによる「共通価値の戦略」(DHBR2011年6月号)は、HLABの意味を確認できた論文でした。竹内先生はポーターと親しく、ポーターのことを「ポーちゃん」と呼んでいるのですが、「ポーちゃんが、これからはCSRではなくCSVが大事だと言っているよ」と、この論文の存在を教えてくれました。
僕が大学に入学した2009年はリーマン・ショックの直後で、キャンパスは金融への嫌悪感と世の先行きへの不安から「社会起業」一色でした。ポーターは論文の中で、公と私、すなわち社会と企業との関係性が変わると指摘しています。彼の言うような時代が訪れるのであれば、産声を上げたばかりのHLABにも存在価値があるのではないかと、自信を得るきっかけになった論文です。
また、いまにつながる重大な学びもありました。それは、プロジェクトの関係者間でインセンティブのアライメント(調整)を取る重要性です。
ボランティアのような形で、自分たちの利益にならないのに無理をして取り組んでも長続きせず、よい結果はもたらせません。また、長期的な価値を生み出そうとしたとき、1つのプレイヤーにできることは非常に少ない。単独でやろうとすると部分最適に陥ってしまいがちですが、各々のインセンティブを調整し、進むべき方向性を合わせることで全体最適を実現できます。それは最終的に自分たちに利益が返ってくるので、インセティブを調整することがリーダーの役割であるというのが、この論文の示唆だと思います。
もちろん、ポーターは企業活動としてのCSRを否定しているわけではありません。支援する側・される側の双方にとって、より高い視座に立ち、自分たちの純粋な事業の延長線上で、他のセクターと協働して何ができるかを考えることが重要だということです。
その意識は、僕たちのようなミッションありきの社会起業家や非営利組織こそが持たなければいけないと思います。我々の人材も資金も限定的なので、相互のインセンティブを調整し、その仕組みを変えることを通して、リソースが限られた中でよりよいものを生み出していく必要がある。それを最初に意識したのが、この論文でした。
ただ、ポーターの理論は、どちらかというと企業や組織の視点から論じられています。その点、同様の問題意識を個人の視点から見た「トライセクター・リーダー:社会問題を解決する新たなキャリア」(DHBR2014年9月号)は、より身近に感じられました。
この論文は、僕の恩師の一人であるジョセフ・ナイ先生の考えを受けて、ある国際会議のフェローとして僕と同僚であった、マシュー・トーマスらが書いたものです。民間、公共、市民社会という3つのセクターの垣根を越えて協働するトライセクター・リーダーは、HLAB自体がその中心的プレイヤーでありたいと思っているので納得感がありましたし、そうした複数の立場の言語を解して橋渡しするリーダーを育てる組織であるべきだとも考えています。
たとえばHLABのサマースクールの運営では、国から町まで、各自治体の職員の方たちと一緒になって仕事をする機会が多いかと思えば、海外の大学や学生、一般企業の人事部、広報部、CSR部などといった、まったく異なる論理で動く組織との協業もあります。そこではセクター横断的に人をどうつなぐかを意識します。それぞれが達成したい目標は同じでも、視点や立場は異なることを理解して、各々の見地に立って言葉にする必要があるからです。
この論文を通して、その意義を理解し、地域に溶け込み他のセクターとうまくつないでいる人たちの存在を知れたので、腑に落ちました。また、自分が意識せずにやっていたことが、これからの時代に求められるスキルセットであったことにも気づけたので、自信をくれた論文でもあります。
ちなみに、HLABがトライセクター・リーダーを育てていると気づいてから、サマースクールのプログラムを大幅に書き直しました。スクールでは、メンターとなる大学生スタッフが、半年かけて高校生のためのプログラムをつくるのですが、実際はプログラムをつくる体験を通して、大学生のリーダーシップを養えるという学びがあると考え始めるようになり、そこから「リーダーシップ・プログラム」としてメンター側への研修も始め、体系的なカリキュラムと実践の機会を提供するようになりました。こうして、他の社会起業家とはまた違った視点で課題に取り組んでいます。
リーダーとして直面する課題に
解決策を与えてくれた論文
僕がHLABを興したきっかけでもある、ハーバード大学でのレジデンシャル教育をデザインしていたのが、ラケシュ・クラナというHBSの教授です。彼はみずから寮監を務め、ハードからソフトまで戦略的な設計を主導した一人です。ラケシュは現在、ハーバード・カレッジ(同大学部課程)の学長を務めており、6000名の学部生と教授、事務職員という多様で巨大な組織を運営して、ハーバードの日常に最高の学びがあふれる環境を実現するという、壮大なテーマ取り組んでいます。
ラケシュが寄稿した「カリスマCEOの呪縛」(DHBR2003年3月号)と「次代のリーダーを全社で育てる」(DHBR2006年1月号)という2本の論文には、彼が取り組んでいた組織行動論の中でも、特にトップのリーダーシップにおいて、ボトムアップ型とトップダウン型の違いや、それをどう引き継いでいくかが描かれています。
ソーシャルセクターの人間として認知されて始めてから悩んでいたのは、「組織のプロジェクト」が「自分のプロジェクト」になってしまいがちなことでした。組織を継続させるうえで、リーダーはあえて組織から離れることも必要です。でも実際には、多くのCEOはそこから抜けられなくなってしまい、結果的に苦境に陥りやすい。
僕にも似たような葛藤がありました。特にソーシャルセクターは、組織の顔となる人物の情熱やストーリーに頼りがちです。実際、日本の多くの非営利組織は、リーダーがその顔として機能しています。一方、HLABは、毎年100人以上のスタッフの大半が入れ替わる組織です。そんな状況でサクセッション・プラン(後継者育成計画)やチームづくりに関する論文を読むことが増えるなか、「カリスマCEOの呪縛」を手に取りました。この論文は、多くの公益法人が直面しがちな矛盾を突きつけられ、非常に学びの多い内容でした。
HLABのサマースクールは、毎年リーダーもスタッフも入れ替わります。新しいスタッフとして入ってくる18歳から24歳までの学生は、半年の間に、「リーダーシップ・プログラム」を通して組織運営のいろはを身につけたり、自治体や起業家などのステークホルダーと関係性をどう築き、人をどのように動かせばよいかを学んだりすることになります。そして2年目になると「マネジメント・プログラム」に入り、100人のスタッフを導きながら面倒を見る立場になる。
ただ、学部生が中心なので、企業と異なり在籍期間がすごく短く、どうすれば組織を安定的に運営できるかが常に大きな課題です。必然的に次のリーダーの育て方を強く意識させられるなか、「次代のリーダーを全社で育てる」を読みました。
組織の力は、リーダーによって大きく変わります。カリスマ的なリーダーがいる年もあれば、そうした人が出てこない年もある。でも、今年のメンバーはよくないと批判したところで、組織の継続性もアウトプットの成長もありません。パラレルワーク(副業)やプロボノが多く携わるソーシャルセクターにおいては、1年、2年でスタッフが変わっていくのは仕方ないのです。その問題を解決するためにも、組織としてリーダーを育成する方法が書かれた論文は役立ちました。
HLABは、まだまだ未熟な組織です。いまだにうまくいかないことがたくさんありますが、特に2015年は苦しい1年間でした。そのときに読んだのが、リーダーシップ教育の第一人者リンダ A. ヒルによる「新任マネジャーはなぜつまずいてしまうのか」(DHBR2007年3月号)です。
僕は2014年の夏、ハーバードを卒業して帰国してからHLABを法人化し、日本で本格的に事業を立ち上げました。ただ、もともと学生のいちプロジェクトとして考えていたこともあり、利益を生む事業モデルについて、当初は何も考えていませんでした。まずは自治体と委託契約を結ぶことを目指しながら、自分の生活費はスタートアップの財務計画を書くアルバイトなどで稼いでいました。
とはいえ、事業としてやる以上、事務方を務めてくれる人を増やしていくことが必要です。そこで、学部時代から一緒に活動していた、非常に能力の高い友人を雇うことにしました。でも、僕のマインドセットが経営者になれていませんでした。学生時代と同じような感覚で、自分のマネジャーとしての立場と、彼女が置かれている立場の差を見て見ぬふりをしていたのです。そんな僕の対応や行動を無責任に感じたことで、彼女は半年ほどで出ていってしまいました。
お互いのライフステージが合わなかったこともありますが、本当に優秀なリーダーであれば、彼女の能力を引き出せたはずだと、自分のことがすごく嫌いになった時期でした。学生やメディアと接点を持つなかでも自分の未熟さを痛感させられる出来事が続き、リーダーとしてのコミュニケーションの取り方がわからず、ネガティブな感情のループにはまり、ずっと悩んでいました。
組織に属した経験がなくロールモデルがいなかった僕にできたのは、商社やコンサルティング会社に勤める友人とシェアハウス生活を送る中で企業での経験を日々聞くことと、本を読むことだけでした。すがるように書物を読み漁り、そのなかで最も深い示唆を与えてくれたのが、この論文です。まさに僕のように、プレイヤーからマネジャーに変わらなければならない人材が直面しがちな課題と、その解決策が書かれています。
毎年のように目まぐるしくリーダーが変わるHLABでは、全員が「新米マネジャー」です。10年前に書かれた論文ですが、折に触れて、スタッフに紹介しています。
HLABの将来のあり方への
ヒントをもらった論文
HLABにとって、組織の生産性を高める体制づくりは創設以来の課題です。毎年のスタッフの能力と経験には差が生じますが、組織構造は能動的に変えられます。実際、毎年チーム編成を変え、与えられる役割とスタッフのモチベーション、パフォーマンスがどう変わるか実験を重ねています。「ホラクラシーの光と影」(DHBR2016年12月号)からは、組織に関する多くの学びを得られました。
著者の一人であるイーサン・バーンスタインとは、大学卒業の前後に出会いました。彼はもともと実務家で、ボストン コンサルティング グループに在籍した経験があり、実業の現場を知る点にも共感するところがありました。僕が大学を卒業した年と、イーサンがPh.D.を取得した年が同じで、彼はそのままHBSに残りましたが、イーサンが日本のテッセイ(TESSEI)のケースを書いたときに僕がビデオグラファーを紹介したことと、彼の講義のヘッド・ティーチング・フェロー(指導助手)となったことで、さらに付き合いが深くなった経緯もあります。
ホラクラシーとは自主管理型組織の一形態であり、意思決定の権限を個人ではなく、サークルと呼ばれる流動的なチームと「役割」(ロール)に持たせます。この論文では、ザッポスを例に挙げながら、その功罪を解説しています。
HLABも、ある意味でホラクラシー型組織です。日本人と米国人。18歳の学生と29歳の若手社会人と40歳の県教育委員会の教員。有給のスタッフとプロボノ、ボランティアの学生。こうした多種の人間が集まり、多様な関わり方をしているので、たくさんのヒントをもらえました。
この論文を読んだときは、HLABを日本でともに立ち上げた仲間たちが、就職を機に去っていった時期でもありました。そのため自分の力で、これからHLABという組織をどうつくるべきかを再考しなければなりませんでした。
それまでのHLABは、組織として、誰が、どこまで決めてよいのかという権限の範囲を定めていなかったので、階層構造をつくったりもしましたが、どうもうまく回らない。経験の乏しい人たちばかりが集まり、現場で判断されずに何でも上まで上がってきたことがその理由で、連夜2時まで働いているスタッフも多くいました。本人は好きでやっていると言うのですが、どう考えても健全ではありません。
その状況を解消するには組織を変えるしかないと考えましたが、なかなか正解が見つかりませんでした。それならばと、毎年のサマースクールが終わるとゼロベースで翌年の組織構造を考えるワークショップを3日ほどかけて開き、いろいろと実験しながらHLABのあるべき姿を模索するようにしています。最近では、組織のトップにCEOやCOO(最高執行責任者)を置いたり、部門間に横串を刺したりということも試しています。
僕は長らく、組織の中で問題が生じるときは、金銭的インセンティブの差異が大きな要因だと思っていたのですが、金銭面のトラブルが表面化するときは、決まって他の要因から生まれた心理的な不満が理由であることに気づきました。心の問題を本質的に解決しない限りは、どんなに給料を上げても問題が残ってしまう。一方で、それをうまくできれば、非営利組織のアキレス腱である、ともに責任を有するボランティア(無給スタッフ)と有給スタッフの共存も、納得感のある形で実現できます。金銭的インセンティブだけで解決できることは限界があるという発想に変わったのも、この論文がきっかけだったように思います。
イーサンの論文でもう一つ、HLABの運営に貢献してくれたものがあります。彼は「『ガラス張りの職場』に潜む罠」(DHBR2014年3月号)を通して、オフィスという「物理的・心理的スペース」の設計を論じました。この論文は彼の博士論文をもとにしているのですが、オフィスというフィジカルスペースを使って交流を生み出す方法を学術的に研究している点が興味深く、HLABの組織におけるハードやソフトの設計にも大いに活きています。
冒頭でもお話ししたように、HLABでは現在、教育環境を最大化するためのハードウェアづくりも進めています。その最初の取り組みが、中目黒にある「THE HOUSE by HLAB」という寮です。その後、UDSと小田急電鉄との共同で、今年(2018年)4月から藤沢市の湘南台で「NODE GROWTH 湘南台」という150部屋のオペレーションを任され、共有設備を充実させた教育寮としてオープンしました。
鉄道会社のビジネスモデルの一つは、路線が通る街全体のポートフォリオを上げることで、長期のスパンで沿線住人を増やすことが基盤となっています。たとえば、学校を誘致できることは街の価値を大きく引き上げますが、それは容易ではありません。そこで、短期間でも学生が住める施設をつくろうという思いが一致し、湘南台のレジデンシャル・カレッジ(教育寮)につながり、この施設は2018年度のグッドデザイン賞も受賞しました。
今後、より多くのカレッジ(教育寮)を建物から設計していくうえで、こうした観点はより重要になると考えています。この試みは経済産業省の「未来の教室」実証事業にも採択されました。現在は2021年の開校を目指し、下北沢の再開発エリアをキャンパスに見立てて、多様な学生や社会人が集まって学ぶ「レジデンシャル・カレッジ」を開発中です。東京に全寮制の学び舎ができるという点で、革新的なものになるのではないでしょうか。
それらの開発には、イーサンの論文をはじめ、さまざまな知見を参考にしています。ソフトもハードも、小さな実験を短期で繰り返しながら、さらによりよいものをつくりあげるのがHLABの得意とする手法だと自負しています。
HLABの事業の面白さは、プロジェクトを卒業してからも、長期的な関係性が続くところにあります。たとえば、サマースクールに参加した高校生の半数以上が数年後にはメンターの大学生として戻ってきたり、彼らが社会人になってから得た知見や経験を組織に還元してくれたりしています。
現在、こうしたHLAB卒業生のコミュニティは世界中で3000人ほどになりました。その中には、フォーブスの「30 UNDER 30」やノーベル平和賞の候補に選ばれるなど、若くして活躍する人も多くいます。数年後、このつながりがさらに拡大することで、もっと大きな変化を起こせると信じています。
僕はこれまで、自分自身の迷いや組織の課題を抱えたとき、HBRの論文からヒントをもらうことで乗り越えてきました。これからも組織をさらに強くするヒントを得るために、そうした深い見識に触れ続けたいと思っています。