(3)対応を過度に集権化する

 不確実で不安定なことが多く、リスクと曖昧さが強まる危機の際に、リーダーはすべてをコントロールしたくなる場合がある。

 突然、些細な意思決定に関しても、新たに幾層もの承認プロセスを設けたりする。そうなると、その組織は、状況への対応能力が弱まってしまう。リーダーがメンバーに対して新たな制約を課すたびに、チーム内のいら立ちが募っていく。

 この落とし穴にはまらないためには、コントロールではなく、秩序を求めればよい。秩序のある状態とは、人々が自分にどのような行動が期待されているかを理解でき、ほかの人たちにどのような行動を期待できるかを理解できる状態のことを言う。

 リーダーは、自分がすべてをコントロールできるわけではないとわきまえて、自分でなければ決められないことは何かを判断し、それ以外はメンバーに任せるべきだ。自分ですべてやりたいという誘惑に屈するのではなく、メンバーが意思決定できるように、明確な指針と価値観を示すことが重要なのだ。

 私たちがこれまでに調べた危機対応の事例の中で言うと、多くの人が協働して、調和の取れた行動を同時並行的に実施することに最も成功した例は、2013年のボストン・マラソン爆弾テロへの対応だ。私たちの研究によれば、当時のマサチューセッツ州知事デヴァル・パトリックのリーダーシップの振るい方は、きわめて賢明なものだった。

 本人やほかの人たちが語っているように、パトリック知事は司令センターに足を運ぶとき、スタッフに指示するよりも、自分が何をすれば役に立てるかを尋ねることが多かった。

 事件の捜査活動に責任を持つのはFBI(連邦捜査局)であり、「町の運営」はボストン市長が担いたいと思っていて、その時々の状況に応じて最良の決定を下すのに最適任なのはさまざまな関係組織の専門家たちだと、はっきり理解していたのだ。

 自分が最も貢献するためには、コミュニケーターとしての役割を果たせばよいと、パトリックは気づいた。つまり、州政府の「顔」として人々に希望を持たせ、ホワイトハウスとの信頼できる橋渡し役になることが自分の最大の仕事だと考えたのだ。

 また、マサチューセッツ州内のさまざまなコミュニティが厳しい状況の中で、レジリエンスを発揮するための支援でも先頭に立った。