●ワーク・ファミリー・コンフリクト
多くの研究が、柔軟な就業形態は、実のところ仕事を増やし、家庭での負担も増やすため、ワーク・ファミリー・コンフリクト(仕事と家庭の衝突)を大きくすることを示唆している。
柔軟な就業形態では、女性は家庭での責任が増える一方で、男性は仕事を優先し、その責任を増やす可能性が高い。ある研究によると、専門職の男性(子どもがいる場合もいない場合も)と、専門職の女性(子どもがいない場合)は、サービス残業を増やすのに対して、子どもがいる専門職の女性はそうはならない。
歴史的に、ワーク・ライフ・バランスを改善するために柔軟な就業態勢を認める慣習は、必ずしも女性の上級管理職の増加にはつながってこなかった。その恩恵は、下級管理職の女性の維持率を高めたにすぎない。
●インフォーマルなネットワークと重要任務へのアクセス
人間の「自分に似た人を好む傾向」や「相似の原理」が、インフォーマルなネットワークに影響を与えることはよく知られている。このため在宅勤務がまったくない労働環境でも、女性は、男性だらけの意思決定者が連絡を取りやすい人物が得るような恩恵を受けにくい。
在宅勤務は、対面でのネットワーキングの機会を減らすことにより、環境的な不平等を加速するのだろうか。その答えがイエスであるなら、キャリアの進展が大きな影響を受ける恐れがある。中堅クラスの従業員は、昇進が加速するか、頭打ちになるか、息切れになるかの年齢と段階にある。
マネジャーがリーダーに昇進するきっかけとるなる重要任務や重要ミーティング、プレゼン後のインフォーマルなコーチングは、強力なキャリアを築くうえで極めて重要だ。ズームのバーチャール会議には、同じように親しみを感じさせたり、フィードバックをもたらしたりするメカニズムがない。学習プロセスに不可欠のインフォーマルな建設的フィードバックは、ますますジェンダー別のプロセスになるのだろうか。
ネットワークは、仕事を割り振るうえでも重要な役割を果たし、その後のキャリアにも影響を及ぼす。リモートワークは、プロジェクトチームのメンバーを選ぶとき、有能な人材を、より自由かつ民主的に選ぶことを可能にする。そして、それが新しいスキルを学んだり、すでに持つスキルを活用したりすることを可能にする。
ユニリーバやイーベイ(Ebay)、シスコシステムズ、ヒアテクノロジーズといった企業はすでに、社内マーケットプレースをつくることで、プロジェクトと希望者を結びつけるバーチャルプラットフォームの活用を加速している。
だが、こうしたプラットフォームは、みずから履歴書を提出し、上司(相変わらず有能な人材をシェアするよりも溜め込む傾向が強い)と交渉して、課外プロジェクトに参加する許可をもらうような人々に依存している。
グーグルが、女性エンジニアは男性エンジニアよりも、昇進候補にみずから名乗りを上げるペースが遅いことを発見したときに学んだように、一見したところ客観的なシステムが、不平等な結果をもたらす可能性がある。リモートワークが、キャリアの命運を決めるような機会へのアクセスにどのように影響を与えるかは、まだほとんどわかっていないのだ。
これまでほとんどのグローバル企業では、転勤が昇進の条件とされており、多くの女性はそれができないために昇進の道を断たれてきた。リモートワークがそうした状況にどのような影響を与えるかは、まだわかっていない。
在宅勤務のトレンドは、実に多くの場合、転勤を伴ってきた(したがって男性の領域だった)重要任務へのアクセスも民主化するのだろうか。
●新しい形の「プレゼンティイズム(出社重視)」
なかには100%リモートワークにシフトする企業もあるかもしれないが、ほとんどの企業は、リモートワークをする人と通常勤務の人の混在になるだろう。
同じチームでも、出勤して一緒に仕事をしたり、出張したりする人がいる一方で、在宅勤務している人がいると何が起きるのか。出勤したり出張に行ったりして、目に見える形でビジネスに貢献するのは男性が中心となり、女性は物理的にも心理的にも目立たない存在になるのか。
企業がアウトプットを評価する方法を学び、外観ではなく実際の貢献に基づき報いる方法を学ばない限り、「ほぼ」リモートワークの世界は、姿を見せる人を偏重するバイアスを拡大し、女性に偏ってダメージを与えるかもしれない。
在宅勤務は、即席あるいはインフォーマルな意思決定の話し合いに、誰が含めてもらえるかにも影響を与える。新しい環境は既存の格差を悪化させ、女性はフォーマルでオフィシャルなコミュニケーション・チャンネルにのみ存在し、意思決定を形づくる無数の会話からは除外されるのだろうか。
ある金融機関では、出社できるのは一握りの従業員のみとしたところ、実際に出社したのは男性ばかりだった。彼らは個室を持っている場合が多かったからだ。このため女性たちは、在宅勤務をしていると重要なディスカッションに加えてもらえないのではないか、という疑念を抱くようになった。
出社することがステータスシンボルになった場合、少なくとも知識労働者の間では、女性よりも男性に排他的な、あるいは特権的なアクセが認められるのではないかと懸念される。