企業だけでなく、個人にも「両利き」は求められる
入山:事前に、芦澤先生の最新の研究「スタートアップ・エコシステムの形成とベンチャーキャピタリストのネットワーキングの変化」をお送りいただいていたのですが、それがすごく面白くて。
スタートアップ・エコシステムの形成期に、ベンチャーキャピタリストがどのように出現し、レジティマシーを獲得し、影響を及ぼすポジションを獲得するに至るのかについて、研究されています。
1人のベンチャーキャピタリストに焦点を当てて、その人物がどうやって人的ネットワークを作っていったのか、時系列で追ってありますよね。ネットワークのつくり方が、どんどん変わっていく様が非常に面白い。
芦澤:現在取り組んでいるこの研究は、入山先生が日本に広めている「両利きの経営」の個人版なんです。両利きの経営は、簡単に言えば企業がイノベーションを起こすためには、知の範囲を広げる「知の探索」と既存の知を深める「知の深化」の2つをバランスよく行うことが重要だということです。この両利きは企業だけでなく、個人でも必要なのではないか――。それを突き詰めようとしています。
研究の対象としたのは、著名なベンチャーキャピタリストである倉林陽さん(DNX Venturesのマネジングパートナー/日本代表)です。そもそも、彼は、日本のスタートアップ・エコシステムの中で、最初から影響力を持つ存在だったわけではありません。最初は外資系VCとして敢えて日本のスタートアップ・エコシステムと距離を取り、辺境で活動していて、徐々にレジティマシー(正当性)を獲得して、業界のど真ん中で活躍する人になります。
初期は、両利きの経営で言う「探索」の時期で、発展途上の日本のエコシステムの中で、信頼できるネットワークを作るために、ネットワーク開拓を行っています。ただし、ネットワークの質そのものを良くするためには、途中でそのギアを変えて、深化をしなければならないんです。その切り替えるタイミングが重要で、おそらくこれが、成功する新しいプレーヤーの主要因だと考えています。
入山:なるほど……興味深いですね。深化の時期が重要なんですね。
芦澤:はい、タイミングの問題が大きいと考えています。探索から深化に切り替える必要性をまず認識して、その上で、どのタイミングで変えるべきなのか。それを、外部環境を見ながら認知できれば、よりスタートアップ・エコシステムの中で活躍できる人が、日本にも増えていくのではないか。そうすると社会が変わっていくはずです。それが、この研究で主張したいところです。
入山:企業レベルの話で言うと、「知の探索」と「知の深化」は意外と同時にできないので、タイミングを見極めて思い切ってシフトしなければいけない、という研究も出ています。Vacillation(ヴァシレーション)と呼ぶのですが。一方、個人レベルでは、そういった研究はまだ見たことがないので、この研究が進展すれば大きな貢献になり得ますよね。
ただ実務家の中には、芦澤先生の研究で取り上げられた事例を読んで、「事後に説明されれば深化に切り替えるタイミングは分かるけれども、事前にどう切り替えるかは予測できないでしょう?」というような、いじわるな意見を言う人もいると思います。その場合はどういうふうに回答されていますか。
芦澤:この研究では、倉林さんからFacebookデータを提供いただき、その友だちの数と質がどのように変化していったのかを細かく分析しています。その分析から、どのタイミングでシフトすべきか、ヒントを提案できていると思っています。
実際に起こっていたことは、彼の投資分野であるB2B SaaS領域の案件が少なく、投資先候補に自ら積極的に声をかけていた倉林さんのところに、スタートアップ側から投資の依頼が立て続けに舞い込むようになりました。また、取締役会への参画を求められるようになり、投資先の相談にのることや、ハンズオンで投資先企業の成長に関わることが増えていきます。
その頃、自分が自ら支援している経営者からの紹介が、最も良い案件の探索につながることを倉林さんは実感したと言います。この時に倉林さんは、それまで力を入れていた探索活動を削り、自分が深化すべき相手へのコミットメントを強めていったのです。この意思決定は当たり前のように思えるかもしれませんが、おそらく同じ立場であったと想像した場合、簡単なことではなかったと思われます。
探索活動を削ることは、過去の行動の修正になりますし、スタートアップの華やかなイベントでの登壇機会を削ったり、将来の投資機会の幅を広げるネットワーキングを減らすのは、勇気がいることだろうと思うからです。それでもこのような大きな潮目の変化に直面したら、勇気をもってシフトを変更するのが必要なのでしょう。倉林さんのケースはそのことを示唆していると思います。
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