最初の発見として、パイロット調査に参加した金融プロフェッショナルたちが、ある部分では正しかったことがわかった。つまり、感情が本心である場合、対面やビデオなど最もリッチなコミュニケーション媒体を用いるのが最善である。
しかし、本心ではない感情を伝える必要がある場面では、驚くべき違いがあった。メールでのコミュニケーションが最適とは言えないが、対面のコミュニケーションもまた最適ではなかったのだ。多くのやり取りの場面を通して、本心でない感情を本心のように伝えるためには、電話や音声など「中程度にリッチな」コミュニケーションが最も適していることがわかった。
漏れ出る感情や、本心でないことを示す手がかりを隠すという点では、メールは他のどの媒体よりも優れていたが、それには代償が伴う。発信者がコミュニケーション媒体を選択できる状況においては、伝達される感情が本物か否かにかかわらず、メールで伝えた感情は受け手から「まったく本心ではない」と認識されてしまうのだ。
メールでは簡単に感情を「偽る」ことができるため(たとえば、顔文字を入力するのは心からの笑顔を見せるよりもずっと簡単だ)、そしてメールは選択に伴う労力が少ないと認識されているため、受け手は感情伝達の手段としてメールを選んだ送信者のオーセンティシティに疑念を抱いた。受け手は、送信者がメールを選んだのなら、その人が伝える感情はあまり本心ではないと単純に想定していたのだ。
メールにはこのようなマイナスの代償が伴うため、結果として、本心でない感情を本心らしく見せるためには、電話か音声によるコミュニケーションが適当な媒体となったわけだ。電話によるコミュニケーションは対面と比べて、本心でないことを示す手がかりがはるかに多く消し去られ(体の動きに表れる非言語的行動がすべて取り除かれるため)、しかもメールと比べると「本心でない」という受け取り方をされにくい。