ツイッター買収は合理的な判断だったのか
マスクのツイッター買収の試みに話を戻そう。マスクの傘下に入ったツイッターがどのような企業になり、どのように機能するのかが明らかになる日は訪れないかもしれない。彼はツイッターの買収から撤退しようとしており、ツイッターは訴訟を起こして法廷闘争の準備を整えているからだ。
だが、ここまで述べてきた戦略を踏まえて考えると、マスクのツイッター買収は本当に合理的な判断だったのだろうか。
「空飛ぶ車が欲しかったのに、代わりに手に入れたのは140文字だった」。ペイパルの共同創業者でベンチャーキャピタリストのピーター・ティールが2013年、ツイッターについてこう語ったのは有名な話だ。マスクは概して、「空飛ぶ車派」を自認してきたのにもかかわらず、ツイッターに一体、何を望んだのだろうか。
ポイントは、この10年間でテクノロジーをめぐる状況が変化しており、いつ、どのような形でコンテンツモデレーション(ネット上の不適切なコンテンツを監視するモニタリング業務)を行うかが重要な問題──ソーシャルメディア企業にとっては存亡に関わる問題──になってきたということだ。別の言い方をすれば、コンテンツモデレーションはいちだんと、マスクの興味を引く重大で複雑な戦略的課題となってきている。
そうは言っても、これは別の問題でもある。まず、経験曲線の効果がこの問題に当てはまるという根拠はほとんどない。ユーチューブが始まったのは17年前、レディットは16年前。フェイスブックはスペースXの従業員よりも多くのコンテンツレビューアーを雇用している。これらの企業だけに限っても、コンテンツモデレーションの問題解決に莫大な資金と時間を費やしている。
また、マスクの買収計画の発表を受けてツイッターの求人への関心は250%以上増大したが、マスク自身に組織改革の実績はない。彼がツイッターを立ち上げたわけではなく、現在のツイッターには、マスクが所有する企業のように極端な企業文化があるわけでもない。マスクがオーナーになることで、従業員のモチベーションが上がるのか下がるのかは不透明だ。
さらに、マスクの傘下企業の路線に沿った組織改編──つまり、すべてを社内に取り込んで独占する手法──がツイッターでうまくいくかについても疑問の余地がある。大半の企業は、拡張性のあるAIモデレーションツールを内製化する一方、人間によるコンテンツモデレーションは過酷で技術力を必要としないため、アウトソースしている。
だがマスクの企業では、ミッションクリティカルで、技術的でないタスク(スペースXでの溶接など)を垂直統合することで、タスクそのものに加えて、隣接するプロセスの改善にもつなげている。一方で、クローズドシステムを好むマスクの傾向が、さらなる価値を獲得できるかどうかは明確ではない。
明らかなのは、資金を集めるマスクの能力が依然として高いことだ。彼はツイッターに純資産の約10%という巨額の個人投資をすることで、投資家およびビジネスの長期的な展望と同じ方向を向いていると強調している(エトス)。
一方、マスクの感情(パトス)への訴え方もやや複雑で、イデオロギーに沿って人々を二分している。曖昧な計画しか提示せず、ツイッター買収の目的は金儲けではないと主張しているにもかかわらず(ロゴス)、投資家は彼の実績と権威を信頼しきっているようだ。
マスクの戦略がツイッターで実を結ぶか否かは、永遠にわからないままかもしれない。それでも、この物語はもう一つの有益な教訓をもたらしてくれる。それは、人の心を揺さぶりながらも、最終的に成果を上げられず、過去から現在に至るまでそのロジックを説明できなかったリーダーを信じることで、多くの投資家が資金を失ってきた、ということだ。
つまり、天才と狂気は紙一重で、手遅れになるまで、その違いが見えないことも多い。マスクは誰もが不可能だろうと思っていた偉業を、彼なりの一貫した大胆な戦略によって成し遂げた。確かなのは、この点だけである。