まず、サントリーホールディングスです。同社の創業者である鳥井信治郎は「利益三分主義」という経営哲学に基づいて、利益を事業に再投資するだけでなく、得意先・取引先へのサービスや社会貢献にも役立てました。
現在のサントリーグループは、「水と生きる」というキャッチフレーズの下に、水源涵養力のある森林「天然水の森」を育てる活動を続けています。水はサントリーにとって重要な経営資源であり、地球環境や人の生活にとっても必要不可欠な共有資源です。つまり、水を守ることは、サントリーの競争力の源泉を守ることにつながるわけです。
同社は2014年、大型買収によって米蒸留酒大手のビーム(現ビームサントリー)を傘下に収めました。ビームは米国の魂ともいわれるバーボンをつくる老舗企業でプライドが高く、PMI(買収後の統合)ではなかなか苦労したようです。
そうしたビームの社員たちの共感を呼んだのが、水を大切にするものづくりへのこだわりであり、「やってみなはれ」という文化へのこだわり、そして、利益三分主義や水源涵養というESG的な精神です。ビームの社員たちを日本の天然水の森へ案内したところ、彼ら彼女らははとても感心し、北米の工場周辺で水源涵養のプロジェクトを自発的に始めたそうです。
いまではサントリーのチーフブレンダーとビームのマスターディスティラーというウイスキー職人のトップ同士が中心となって、新たなバーボンを合作するなど両社の強みを持ち寄ったビジネスを展開しています。
次は、1887年創業のヤマハです。同社は音楽の楽しさを多くの人に伝えるために1950年代から音楽教室を開講、1960年代には海外でもヤマハ音楽教室の展開を始めました。いまでは40を超える国と地域で19万人以上が音楽に触れる喜びを体験しています。
音楽を楽しむ顧客体験を提供し続けることで同社はファンを増やし、世界最大の楽器メーカーへと成長しました。特に電子ピアノやポータブルキーボードなどの電子楽器は、世界の約半数のシェアを握り、他社に圧倒的な差をつけています。
このように顧客体験を軸として長期的な取り組みで市場を開拓する一方で、同社は独創的な電子楽器も次々と上市しています。直販ルートを活かして、コアな楽器ファンやミュージシャンの声を吸い上げ、製品化につなげているのです。
あまりにもイノベーティブなため、1年か2年で廃番になってしまう製品も少なくありません。でも、そうした多くのチャレンジと失敗の中から、やがては中核商品が出てきてシェアトップのポジションを築くに至ったのです。
私はヤマハの人たちに、「どうして廃番を恐れずに、次々と製品を開発できるのですか」と尋ねたことがあります。答えは、「ヤマハにはものづくりの熱意と、その熱意を受け止める鷹揚な文化がある」というものでした。
たしかにヤマハの歴史を振り返ってみると、オートバイづくりにチャレンジしてそれがいまのヤマハ発動機に発展していますし、半導体事業を始めて一時は会社の屋台骨を支えていたことがあります。半導体事業からはほぼ撤退しましたが、音響LSI(大規模集積回路)を自前でつくれるのは半導体事業で培った技術があるからで、ヤマハの電子楽器の差別化要素となっています。
共感型経営をグローバルにスケールさせる
ここまでの話をまとめると、世界はいま全方位経営によって将来価値の創出力を高めることが競争のルールとなっています。そうしたルールの下で、グローバルにスケールさせるための路線としては、米国のようなデファクト型、欧州のようなデジュール型のほかに日本企業に固有のDNAに立脚した共感型がありうるわけですが、そこにはサントリーやヤマハのようなグローバル化の成功例が少ない、あるいはグローバル化に至るまでに多大な時間を要するという課題があります。本論考の最後に、こうした課題にどのように取り組むべきかについて考えたいと思います。
まず、「共感」が冒頭に述べた企業の将来価値に深く関わることは間違いないでしょう。ここであらためて「共感」のパワーをいくつかの観点から振り返ると、まず歴史的に見ると共感は、社会全体に①危機感が広がる、②孤独感が広がる、③自分以外のことを考える精神的余裕が広がる、④以前よりも情報の伝播・共有が格段に容易になる、という4つの中のいくつかが組み合わさった時に大きなイベントが起きていることがわかります。
たとえば、英国における奴隷解放の場合、奴隷制度が英国の文明化を阻んでいるという危機感、1832年に選挙権を得た産業資本家階級の精神的余裕、産業革命がもたらした情報伝達手段の進化の3点がトリガーとなったわけです。
翻ってこれらの4つの点を現代に当てはめてみれば、日本のみならずグローバル全体で見ても「共感」に共感を覚える風潮が広がっている理由が理解できます。これまでの資本主義社会の共通の尺度、すなわち、マインドや行動の規範であった「金銭」に加えて、「共感」を第二のカレンシー(通貨)として認識すべきステージにあるのではないかと思います。
言い換えれば、これまで日本の共感型経営の特色であるがゆえに、それらがグローバル化への障害となっていた状況、特に同質性を所与とするというポイントは障害でなく、むしろ追い風になっていると認識すべきではないでしょうか。
次に考えなければいけないのが、「共感」の強みをいかにグローバルスケールで、かつ迅速にマネタイズするかというポイントです。一言で言えば、それは自社のオペレーションのデジタル化をこれまで以上のレベル、スピード感で推進するということになりますが、その中でもAIの活用について日本企業はまだまだ遅れていると言わざるをえないと思います。
この点に関して、業務改革やアウトソーシングを数多く手掛けているアクセンチュアの同僚である山形昌裕は、「これからは業界内で劣後している業務効率のKPIの解消から、たとえば新規契約獲得時にはマージンがネガティブになってもしょうがないなど、業界全体で所与としてしまっている課題の解消が重要となり、そこにAIの活用価値がある」と述べています。
AIについては多くの企業において、省力化や自動化の範疇を超えていないように見受けられますが、AIの本当の価値はシミュレーションにあると認識すべきです。すなわち、多くの経営やオペレーションにおける意思決定においては、適切なデータセットとアルゴリズムがあれば、AIはデジタル空間内でシミュレーションを行い、その結果、人間よりも高い精度、スピードで判断をしてくれる、ということに着目すべきです。
アクセンチュアではこうした形でAIの価値を享受できる企業の姿を「デジタルツイン・エンタープライズ」と呼び、いくつかのクライアントとその実装を進めています。そのために最も重要なことの一つは、精緻な経営判断のシミュレーションを行うことを目的変数とするデータストラテジーを立案することにありますが、特にこの点において日本企業の取り組み余地は大きいと思います。
実は共感の価値をマネタイズするうえでは、経営やオペレーションのデジタルツイン化が、これまで人間がやっていた部分を精緻化、スピーディにするということ以上の意味合いを持ちます。
それは、どこで、誰が、いつ、何に対して、どのような共感を覚え、それらがどのようなマインドセットや行動につながるかについては、まだ人間による観察、思索のほうがAIに勝るということです。巷でよく言われているような「機械にできることは機械に任せて、人間は人間にしかできないことをやるべし」という一般論を具体化する一例ともいえるでしょう。
歴史的に見れば、共感がネガティブな方向に振れた例も多く存在します。たとえば、ドイツでのホロコーストやフランス革命は、民族としてのアイデンティティ喪失の危機感や経済的な危機感が、情報共有の浸透と相まって、他者の排斥や暴力的な行動につながったという見方ができます。よき共感の芽を察知し、育むとともに、こうしたネガティブな芽を摘み取れるか否かに、経営者の「人間」としての力量が問われていることを深く認識すべきだと思います。