「自信」重視がもたらす弊害

 筆者らの調査からは、「自信批評」が性差に根ざしたものであることが明らかになっただけでなく、「自信」と「職場での成功」の間にあるはずの正の相関関係が成り立たないことも示されている。

 確かに、自信という側面に意識を向けることは、女性にとっていくらかの利益がある。たとえば、問題を現実的な行動に落とし込めるようになり、ポジティブな主体性が促されて、不安に対する心理的な緩和剤になることが、今回の調査で明らかになった。だが、これらの利益も長期的には、女性の精神衛生とジェンダー平等に対する広範でネガティブな影響に凌駕されてしまう。

 これはどのようなことを指すのだろうか。第1に、自信に意識を向けることによる治療効果は、一時的なものにすぎないことを筆者らは見出した。自信は、自己批判や自信喪失、全体的な精神衛生の悪化など、有害で長期的な影響に結びついていた。

 たとえば、女性の中には、評価や昇進で不当な扱いを受けたり、男性の同僚から威嚇されたりした時、そのような難しいタイミングで「頑張って立ち向かうこと」や「チャンスをつかむこと」ができなかったと悔やむ声もあった。女性は、上司や同僚に責任があるととがめるのではなく、自分ではコントロールできないことに対しても、すべて自分の責任にし、さらに自責の念に駆られる傾向があった。精神分析において、自責は、大切な人を失ったり、大きな失望を感じたりした時の破壊的で苦痛に満ちた反応とされる。

 筆者らの調査対象となった女性は、自分が不当な扱いを受けていることを認識していた。しかし、そのエネルギーを組織に向けるより、自己非難に向ける可能性のほうが高かった。周囲に「ちょうどよい」と思われる自信を見せることで、望み通りの結果を手に入れることができるという幻想があり、それを守ろうとしているのかもしれない。

 第2に、自信に焦点を当てるのは、個人志向の戦略である。ジェンダー平等を阻む根深い問題、すなわちステレオタイプやワークデザイン、スタッフ(女性が占めていることが多い)よりも、組織のラインを重んじるといった課題から、シニアリーダーの目を逸らしてしまう。

 第3に、公然と自信に焦点を当てると、常に自信を見せることが正しいという、そもそもの前提には触れないことになる。インクルーシブリーダーシップに関する筆者らの研究では、より微妙な構図を説明しているので参照されたい。

 自信を見せることは、先行きが見えないなど、いくつかの状況においては価値があるかもしれない。しかし、他者に心理的安全性や親近感を与えるうえで必要な、人間味を感じさせる効果があるのは、謙虚さやバルネラビリティ(弱さを隠さず、傷つくことをいとわない姿勢)のほうだ。言い換えれば、よりインクルーシブ(包摂的)な職場をつくるという意味では、内省とオープンネス(開放性)のほうが健全で価値があると考えられる。