アメリカ社会は大企業と経営者に期待している

 アメリカ大企業とその経営者たちは、新たな行動、従来とは異なる産業政策、行動様式の改革などを求める世論の声に直面している。いずれも、以前ならば企業の責任と見なされることはなかった分野である。このような声が突きつける課題とは次の4分野を中心とするものである。

(1)大企業は、国際市場におけるアメリカの競争力を維持する、あるいは必要に応じて回復させる役割を果たすことが大きく期待されている。ここで銘記すべきは、アメリカ国内の賃金政策や雇用政策に深く根差している、時代遅れな原理を変更する必要性があり、経営者はこのような改革を実現させる先導者として期待されているという点である。

(2)大企業は、技術や事業慣行(たとえば流通システムや組織など)を革新するという従来ながらの役割に加えて、産業政策の改革についてもますます期待されている。たとえば、防衛産業や大規模な公益事業における「準自由市場」に関する基本コンセプトや具体策をまとめることは、政府や経済学者ではなく、企業に期待されている役割なのである。

(3)大企業のマネジメントは、個々の企業とそこの経営者や株主の専権事項ではなく、公共の利害を考慮したものであることが重視されるようになった。この点から目を背けようとする経営者には、不自由極まりない政府規制が待っている。

(4)最後に、大企業の経営者たちは、2つの社会的要求、すなわち「企業人であること」と「プロフェッショナル・マネジャーであること」を調和させるような行動規範を強く求められている[注]。たとえば経営者報酬については、これら2つの社会的な期待という観点から再検証される必要がある。

 これらの要求は、企業人にすれば「企業への新たな敵意」の高まりのように思えるかもしれない。しかし実際には、これらは敵意とはまったく正反対の立場から生じてきたものだ。すなわち、「アメリカ社会における経済的な役割の大部分を担うにふさわしい存在として大企業を承認するアメリカ世論」、かつこれと等しく「大企業の経営者たちを、アメリカ社会を牽引する指導的グループの一員として、また『プロフェッショナル・マネジャー』として承認する立場」から生まれた要求なのである。

 世間は企業や経営者に期待する姿勢を公に表明するようになっており、とりわけ大企業やそのリーダーに向けられた社会的な期待は急速に高まっている。その結果、企業に期待される行動と実際の行動とのギャップに敏感に反応するようになっている。たとえば、ゼネラル・エレクトリック(GE)とウェスチングハウス(WH)による価格操作事件について、いまだに世間の関心が高いのは、国民の道徳心が突如として向上したわけではなく、このような背景があるからにほかならない。