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未来は小さなアイデアによって形成されていく
未来を予知することはできない。未来について唯一確実なのは、それは現在の延長線上に存在するのではなく、現在とは別のものであるということだ。未来はまだ生まれていないばかりか、形成されてもおらず、また確定もしていない。
しかし未来は、目的を持った行動によって形成されうる。そして、このような行動の原動力となるのはただ一つ「アイデア」である。それも、異なる経済や技術、あるいは他社が開発した他の市場に関するアイデアである。
アイデアは常に小さく生まれる。実際、新たなアイデアが数年後にもたらしうる売上高は、大成功を収めたとしても数百万ドル程度にしかならない。大企業の既存事業がもたらす数億ドルの売上高に比べればあまりにも貧弱に見える。その結果、往々にして無視されてしまう。しかも、新しいものはたいてい、かなりの努力を要するので、大企業より小企業のほうが、未知なる取り組みには意欲的な場合が多い。だからこそ、大企業は通常の活動とは切り離して、長期計画を立案するともいえる。そうしないと、今日の仕事をこなすだけで手一杯となり、それ以上のことにはまったく手が回らなくなってしまうからである。
もちろん、未来を形成せんと順調に歩を進めている企業は、そういつまでも小企業にとどまってはいないだろう。IBMやゼロックスのように今日、成功を収めている大企業でも、かつては未来がどうあるべきかという構想に基づいて行動する小さな一企業であった。このような構想は、富を創出する可能性と力を備えた起業家的なものでなければならない。順調に業績を伸ばす生産的な事業として具体的に提示され、企業としての行為や活動を通じて実現されなければならないのである。
起業家的な構想の根底にあるのは、常に「経済や市場、知識がどのように変化すれば、当社が望むような方法で、しかも最大の経済的効果を上げうる方法で、事業が可能になるだろうか」という問いである。けっして「未来の社会はどうあるべきか」という問いが中心になってはならない。後者は社会改革者や革命家、あるいは哲学者の問いであり、起業家の問いではない。
起業家的なアプローチは、きわめて限定的で自己本位に見えるため、歴史家には看過されがちである。歴史家は昔から、革新的な起業家が及ぼす影響には見向きもしない。もちろん、偉大な哲学的観念のほうがはるかに深遠な影響力を世のなかに及ぼしてきた。しかしその一方で、そのような観念はほんの一握りにすぎない。事業の構想はたしかに限定的かもしれないが、その多くが何らかの影響力を秘めている。革新的な起業家たちを集団として見れば、歴史家が認識している以上に大きな影響を社会に与えてきた。