-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
-
PDFをダウンロード
「日本株式会社」は一枚岩ではない
西欧人は、日本人の一体性をコングロマリットに見立て、しばしば「日本株式会社」と評する。しかし日本人にとって「日本株式会社」は、ジョークにすぎない。それも、あまりできのよくないジョークだ。
日本人の目に映るのは亀裂であり、外国人の目に映るような一枚岩ではない。また、日常生活のなかで日本人が感じているのは、緊張や圧力、対立であり、一体性ではない。彼らは、大銀行や巨大企業グループの間で繰り広げられる、熾烈な競争を目にしている。
そしてみずからも、日本の組織の特徴である内部の派閥争いに日々関わっている。各省庁は他の省庁を相手に飽きることなくゲリラ戦を仕掛け、派閥の内輪もめが政党や内閣、大学、民間企業を動かす。
なかでも特に注意すべきことは、外国人からは日本政府と日本企業が密接に協力しているように見える場合でも、日本人の目には政府が余計な干渉をして指図しようとしているとしか映らないことだろう。ある大会社のCEOはかつて、「我々は同じ綱を引いている。だが、互いに反対方向に引っ張り合っている」と語ったものだ。
日本政府は、国益のために産業界の一致した協力を引き出すことに、常に成功しているわけではない。たとえば、全権力を掌握しているといわれる通商産業省が、20年にわたって圧力をかけ続けたにもかかわらず、どうしても大手コンピュータ・メーカー各社を連携させることができずにいる。これは、ドイツやフランス、イギリスにおいては、政府がうまくやりおおせたことである。
外国人はこぞって、円満な日本の労使関係をほめそやす。ところが、日本の庶民は、国有鉄道がたびたび起こす不法ストに不平たらたらだ。労使関係が円満なのは、労働組合がことのほか非力な領域、すなわち民間部門だけである。