『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2019年4月の注目著者は、ハーバード・ビジネス・スクール教授のフランチェスカ・ジーノ氏です。

イタリアの大学院に在籍しながら
HBSの特別研究生に志願
フランチェスカ・ジーノ(Franchesca Gino)は1978年4月生まれ、現在41歳。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の交渉術・組織・市場ユニットに所属し、タンドン・ファミリー記念講座教授を務めている。
ジーノの研究分野は行動科学であり、その対象は、意思決定論、組織行動論、心理学、行動経済学、交渉術など広範に及ぶ。HBSのMBAコースとエクゼクティブ・エデュケーション・プログラムでは「意思決定と交渉」科目を担当し、博士課程では意思決定に対する組織行動・行動経済学アプローチや実験法を教えている。また、ハーバード・ロースクールやケネディ・スクールでも同様の科目を提供している。
ジーノはイタリアン・アルプスのトレント地方にある小さな町、テイオーネ・ディ・トレント(Tione di Trento)で生まれ育った。地元のトレント大学に進学してビジネスエコノミクスを専攻すると、2001年に同大学を優秀な成績(Magna Cum Laude)で卒業した。同年、ピサにあるサンタアーナ大学院大学(Scuola Superiore di Studi Universitari e di Perfezionamento Sant'Anna)に進学し、2002年に経済学と経営学の修士課程を修了している。
同大学院は1987年、従来のイタリアの大学に変わる新たな構想によって設立された先進的な大学である。2019年のタイムズの世界大学ランキングでは153位、イタリアでは1位となった[注1]。
ジーノは同校の博士課程に進学したが、HBSの特別研究生(Visiting Fellow)に採用されたことで渡米した。HBSでの博士論文はゲイリー P. ピサノの指導を受けて執筆した。そして、2004年にサンタアーナ大学院大学からPh.D.を授与されると、同年にHBSのポスドク研究員となった。
ジーノはその後、2006年にカーネギー・メロン大学の客員助教授兼テッパー・スクール・オブ・ビジネス(以下カーネギー・メロン)のポスドク研究員となり、2008年にはノースカロライナ大学(チャペルヒル校)キーナン・フラグラー・ビジネス・スクール助教授兼特別研究員に採用された。そして、2010年にHBSの組織行動論の准教授に就任し、2014年には正教授であるタンドン・ファミリー記念講座教授に就き、今日に至る。
ジーノは、人間のすべての行動に対して好奇心旺盛な研究者である。その研究課題は、組織のリーダーのみならず、組織メンバーが本心から離れる(脱線する)ことなく適切な意思決定を行い、生産的かつ創造的に充実した人生にするために何をすべきか、である。換言すれば、人はどのような状況に陥ると間違った判断をするのか、を検討するための実証的研究である。
ジーノは『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌に多数の論文を寄稿しており、2006年には最初の論文、“Let Me Give You Some Advice,” HBR, March 2006.(未訳)が掲載された。
この論文では、経営者は困難な問題に直面したとき、高い費用を払ってでもビジネスコンサルタントに助言を求めるが、その行為は正しいのかを問うた。その問題提起は、人は対処している問題が難しい場合、そのアドバイスを過大評価して高い報酬を支払うが、問題が単純な場合には、アドバイスを過小評価して受け入れない傾向があるという、カーネギーメロンで行った実験調査に基づく内容であった。
「学習する組織」の実践法と課題を検証する
マサチューセッツ工科大学(MIT)のピーター M. センゲが著した、The Fifth Discipline, 1990.(邦訳『最強組織の法則』徳間書店、1995年)に代表されるように、1990年代に入ると「学習する組織」という概念が提唱された。センゲによれば、学習する組織とは「人々が継続的にその能力を広げ、望むものを創造したり、新しい考え方やより普遍的な考え方を育てたり、集団のやる気を引き出したり、人々が互いに学び合うような場」である。
センゲはHBR誌創刊75周年記念号に、“Looking Ahead: Implications of the present,” HBR, September-October 1997.(邦訳「知の先覚者たちが語るマネジメントの未来」DHBR1998年1月号)を寄稿している。同論文では、ピーター・ドラッカーやチャールズ・ハンディなどと並び、経営の未来に影響を与えた5人の中の一人として紹介されていることから、学習する組織が重要な提言であったことが伺える。
学習する組織の提言は、グローバル競争、技術革新、顧客ニーズなど、事業環境の急激な変化に対応するためは、社員に事業ビジョンを示し、企業価値観の研修を充実させ、組織統制的にインセンティブを与えて組織学習を促すだけでは十分と言えないのではないか、という問題意識に基づく。
センゲは学習する組織を通じて、社員が自律的に環境変化を先取りし、知識やノウハウを学習し、行動するような組織文化の創造の必要性を説いた。そうして1990年代にわたり、MITをはじめとする大学やビジネスコンサルタントによって、学習する組織の企業への導入が進められたのだが、その程度は不明確であった。
ジーノはカーネギー・メロンの客員助教授時代、HBSで著名なデイビッド A. ガービンとエイミー C. エドモンドとの共著、“Is Yours a Learning Organization?” with David A. Garvin and Amy C. Edmondson, HBR, March 2008.(邦訳「『学習する組織』の成熟度診断法」DHBR2008年8月号)を発表した。
同論文では、過去20年間の組織研究を通じて得た、学習する組織に必要な構成要素である、(1)組織学習を支える感情、(2)学習プロセスと学習行動、(3)学習を増進するリーダー行動について検証できる具体的な診断ツールを紹介し、さらに学習する組織を増進させるために注意すべき点にも触れている。
共著者の一人であるガービンは、1982年、“Managing as If Tomorrow Mattered,” with Robert H. Hayes, HBR, May 1982.(邦訳「企業成長をむしばむ投資の減退 そのメカニズムと病理」DHB1982年10月号)でマッキンゼー賞を受賞した。1993年には、学習する組織の企業事例を検証して、そのマネジメント・プロセスのあり方を提唱した“Building a Learning Organization,” HBR, July-August 1993.(邦訳「『学習する組織』の実践プロセス」(DHBR2003年3月号)で、2度目となる同賞を受賞している。
1993年に発表した「『学習する組織』の実践プロセス」が、組織論の視点に基づく事例研究であったのに対して、2008年に発表した「『学習する組織』の成熟度診断法」は行動科学、とりわけ意思決定論の視点から検討されたことに意義が認められる。
組織学習が確実に成果を上げるために何が必要か
ジーノは、“Why Leaders Don't Learn from Success,” with Gary P. Pisano, HBR, April 2011.(邦訳「成功も厳しく検証せよ」DHBR2011年7月号)を通して、成功体験がなぜ組織学習を妨げるのか、について論じた。
「成功も厳しく検証せよ」では、成功体験が、環境変化に適応するための組織学習を妨げることを論じた。同論文では意思決定論の知見から、「成功が生む失敗の罠」として、(1)基本的帰属錯誤(fundamental attribution error)、(2)自身過剰バイアス(overconfidence bias)、(3)原因不訴求症候群(failure-to-ask-why syndrome)という3つの要因を挙げ、それらの克服に必要な5つの学習方法を提言している。
なお前述の通り、共著者のゲイリー P. ピサノからは、ジーノが母国イタリアの大学院に籍を置きながら、HBSの特別研究生として博士論文を執筆していた際に研究指導を受けた。ピサノは2009年、“Restoring America Competitiveness,” with Willy C. Shih, HBR, July-August 2009.(邦訳「競争力の処方箋」DHBR2010年1月号)でマッキンゼー賞を受賞している。
ジーノは、“Why Organizations Don't Learn,” with Bradley Staats, HBR, November 2015.(邦訳「なぜ『学習する組織』に変われないのか」DHBR2016年5月号)においても同様に、企業経営者が、継続的な組織学習を通じた自己革新の必要性を認識していながらも、学習する組織に変われない理由を探った。同論文では、その原因として人間の本性が持つ4つバイアスを取り上げ、それらの克服方法を提唱している。
4つのバイアスの第1は、「成功のバイアス」である。過去の成功体験に過度に依存することであり、前述の基本的な帰属錯誤も含まれる。第2は、「行動へのバイアス」である。常に業務で臨戦態勢にあると、組織メンバーは新しい知識を学習したり、応用したりする意欲がなくなる。また、何がうまくできて、何ができなかったのかを振り返る時間を持てなくなる。第3は、自分の強みを活かして組織に適応しなければならないという「適応へのバイアス」である。そして第4は、組織の改善を図るにはコンサルタントなどの専門家こそが適任者であり、専門家にまかせて自分は考えないという「専門家へのバイアス」である。
ジーノは、これら4つのバイアスを克服する方法を導入できれば、経営者は組織学習の活力を引き出すことができ、継続的な改善を実現できる、と主張した。
組織行動のバイアスを認識し
意思決定プロセスを変える
どれほど優秀な経営者であっても、誰でも防げるような判断ミスを犯すことがある。ジーノは、“Leaders as Decision Architects: Structure Your Organization's Work to Encourage Wise Choices,” with John Beshears, HBR, May 2015.(邦訳「行動経済学でよりよい判断を誘導する法」DHBR2016年1月号)で、行動経済学の基本原則をもとに、優れた意思決定を導く方法を提唱した。
人は、問題が複雑であったり、問題の構造が不明確であったり、あるいはその解決のために何らかの意思決定を行う必要があったりするとき、試行錯誤しながら解を探索することで判断の手がかりをつかもうとする。ただし、その判断結果には系統的な偏り(バイアス)を含んでいることが多い[注2]。
行動経済学はこれまで、経済行動において、さまざまなバイアスが生じる原因を明らかにしてきた。「行動経済学でよりよい判断を誘導する法」では、ビジネスの意思決定に影響を及ぼす認知バイアスに関して、意思決定の4段階を設定することで説明している。
第1に、選択肢を構想する場合のバイアスである「損失回避(loss aversion)」「埋没費用の誤謬(sunk-cost Fallacy)」「立場固定(escalation of commitment)」「制御可能バイアス(controllability bias)」を、第2に、安定を求めるバイアスである「現状維持バイアス(status quo bias)」「現在バイアス(present bias)」を、第3に行動上のバイアスである、「過度の楽観主義(excessive optimism)」「自信過剰(overconfidence)」を、そして第4に選択肢を認識して判断する場合の「確証バイアス(confirmation bias)」「アンカリングと不十分な調整(anchoring and insufficient adjustment)」「集団思考(groupthink)」「自己中心主義(egocentrism)」を紹介している。
ジーノはこのように、思考の錯誤から生じる意思決定の問題を明らかにし、認知バイアスの影響を軽減する意思決定環境を再設計して解決策に至る、5つの基本的なステップを示した。そのように意思決定プロセスの環境を変えることで間違いを避けることができる、と論じている。
人や組織と上手に交わるための方法論とは
ジーノは意思決定の他に、上司と部下の関係など、人間の交わりや交渉も調査研究の課題としている。“The Hidden Advantages of Quiet Bosses,” with Grant, A. M. and D. A. Hoffman, HBR, December 2010.(未訳)では、部下の立場に立ったとき、もの静かで内向的な上司と、活発な外交的な上司のどちらがよいか、という問題を提起している。
活発で外交的なリーダーは一般に、不確実性の高い事業環境においても、正確な決断と迅速な行動によって成果を生み出すイメージがある。では、実際にはどうか。同論文では、フィールド調査を通して、リーダーを2つのタイプに分類し、成果という観点から検証した。
また上司と部下に限らず、現代社会では、人間関係の円滑さを保つことは重要である。豊富な人脈を築くことで広範な知識を得たり、新たなビジネスチャンスや雇用の機会が生まれたりする場合も少なくない。
ジーノは、“Learn to Love Networking. Even People Who Find It Repugnant Can Do It Effectively,” with Tiziana Casciaro and Maryam Kouchaki, HBR, May 2016.(邦訳「人脈づくりが好きになる方法」DHBR2017年2月号)を寄稿し、人脈づくりは気詰まりで煩わしいと考えている人に対して、効果的に人と交わる4つの方法を提言している。
特に組織で働く人にとって、協調性は創造性と並んで最も重要な性質の一つである。ただし、協調が行き過ぎることによる課題もある。ジーノが各業界の社員たちにアンケート調査を行った結果、回答者の半数以上が周囲と協調する必要を常に感じており、職場では誰も現状維持に異を唱えない、と答えている。
“Let Your Workers Rebel,” Special Issue on The Big Idea, HBR.org, October 24, 2016.(邦訳「『建設的な不調和』で企業も社員も活性化する」DHBR2017年11月号)では、なぜ職場で周囲に同調してしまうのか、その理由として、同調圧力(peer pressure to conform)、現状維持バイアス、情報を都合よく解釈する確証バイアス、あるいは「動機のある懐疑主義(motivated skepticism)」の存在を挙げた。そのような姿勢が、組織にとってむしろマイナスとなる場合があることを示唆している。
実験調査では、周囲に不調和な態度を貫くグループのほうが、同調する態度の他のグループに比べて仕事に対する自信と意欲が高き、与えられた課題に対しても他のグループより高い創造性を発揮した。すなわち、不調和こそイノベーションを促進し、よりよい成果をもたらす可能性があると主張した。そのうえでジーノは、リーダーが、過剰な調和によるご都合主義に陥った組織を活性化するために「建設的な不調和(constructive nonconformity)」の雰囲気を育てることが必要である、と主張する。
ジーノの最近の著作、Rebel Talent, 2018.(未訳)では、社会や組織へ不調和を貫く、さまざまな「才能のある反逆者(rebel)」の生き方を紹介している。調和を超えて「才能ある反逆者」が持つこだわりの基盤となるのは、並外れた好奇心である。“The Business Case for Curiosity,” HBR, September–October 2018.(邦訳「好奇心を収益向上に結び付ける5つの方法」DHBR2018年12月号)では、好奇心とビジネスの関係について、3つの重要な知見を引き出している。
第1に、好奇心が企業業績に果たす役割は、従来考えられたよりもはるかに大きいことである。第2に、リーダーが社員の好奇心を意識的に刺激すると、創造的業務かルーティン的業務かとは無関係に組織が活性化することである。しかし調査してみると、リーダーは社員の探究心や好奇心の必要性を述べるものの、実際には業務のリスクや非効率が高まることを恐れて好奇心を押さえ込んでしまうことが判明した。これが第3の知見である。
そのうえで同論文では、リーダーが自身や部下の好奇心を刺激して高い収益を得るための、5つの戦略を紹介している。
「脱線」から始まり
「才能ある反逆者」を貫く人生
ジーノが最初に上梓した書籍は、Sidetracked, 2013.(邦訳「失敗は『そこ』からはじまる」ダイヤモンド社、2015年)である。
“Sidetracked”は「脱線」を意味する。同書では「私たちは自分の目標や願望が、自分の選択を導く羅針盤のように働くものと思っているが、この本を通じて説明してきたように、目標に到達すために下す必要のある意思決定は、些細で予想外の要因によってしばしば脱線してしまう」と書き、意思決定を間違ったために運命が変わってしまった企業事例が記されている。
この本ではまた、イタリアン・アルプスの小さな町に育ち、幼い頃から建築家になるという夢を描き、トレント大学工学部への入学を目指していた彼女が、試験会場前で偶然に遭遇した学生との出会いにより、経済学と経営学を学ぶことになった経緯が語られている。
ジーノは大学で「脱線」してビジネスエコノミックスも学んだが、経済学部長のエンリコ・ザニノット(Enrico Zaninotto)の研究指導で“I sistemi di produzione”を出版した経験から研究者となることを決意した。「その本をまとめるプロセスはとてもやりがいがあり、満足のいくものでした」[注3]と、「フランチェスカ・ジーノの正しい判断」の中で述べている。
また前述の通り、博士課程はサンタアーナ大学院に在籍したものの、ここでもある意味で脱線し、イタリアの先端的な大学教育に対する“Reble Tarent”(才能ある反逆者)としてHBSの特別研究生に志願した。その後も「才能ある反逆者」であることを貫いたジーノは最終的に、HBSの中心に位置し、厳格なコロニアル風の建物のであるベイカー図書館のコーナーオフィスに一番近い場所に研究室を構える、テニアトラックの正教授に就任した。
近著Reble Tarentの「あとがき」の中で、ジーノは夫のGregory S. Burdに謝辞を述べている。 “I feel so lucky to have met you, and am reminded of this whenever I look at the three wonderful little rebels we brought into the world together.”(私たち二人で、この世界に育てる3人の素晴らしい「反逆者」である子どもたちがいるファミリーを思い出すときはいつでも、私はあなたに会えたことをとてもラッキーに感じるのです)と。